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子どもの虐め / アドボカシー

小学3年生の頃、当時のクラスは虐めが蔓延していました。


・教室内で毎日肉体・精神的に虐められている子

・理由無く常に誰かが集団無視のターゲットになっていく毎日

・個別にされ続ける陰湿な虐め


皆んな自分がターゲットにならないよう
必死だったと思います。
当日の担任の先生は新任で、対応に困っていました。



私も特定の女の子達から陰湿な虐めを
10ヶ月ほど受けていました。

彼女らが私を虐める理由は

「私が泣く姿を見るのが面白いから」でした。

虐める側には、大した理由はない様です。


しかし虐められた側は、毎日が本当に
苦しくて辛くて学校へ行く事が地獄になりました。


それでも、子どもの頃の私は
家は安心して過ごせない環境でありましたので
私までが虐めだの休むだの
母を心配させるような事をするなんて
とんでもない事と思っておりました。

その為、当然ながら休む選択はできず
また、誰にも相談する事もできず
結局、その年は苦しくも皆勤賞でした。



毎日教室で泣いていました。
当時友達からは「泣いたらダメだよ」と言われました。

分かっているけど、泣きたくないけど、苦しいから泣いてしまうんです。

どう乗り越えたら良いかも分かりませんでした。



私は幼少期以前から虐められる事が何度もあったので、ある意味虐められる事に慣れていましたが。

この時は、極限の苦しさを感じたせいか
初めて極論の選択を考えるようになりました。


それは、「生きる」か「死ぬ」かという選択でした。

小学3年生は、子供ですが子供なりに生死をも考えられる歳でした。
8歳の頭で、真剣に真剣に何度も考えました。


当時の私が出した答えは、
「どうせ死ぬなら出来ないと思ってた事、やるだけやって死のう。」
でした。
今思っても、本当に早まらなくて良かったです。。


そして4年生になって直ぐの頃。

初めて、虐めっ子の彼女らに向かって
鋭く睨みを効かせて
「止めてくれる?」
と、吐き捨てました。

すると、翌日から彼女らの態度は一変しました。
(※ 当時3・4年生のクラス替えはありませんでした)





この日を境に、
誰かから虐められる事は無くなりました。



が、しかし
以後、私の心は歪みました。

なぜなら
自分の心を守るために
心にナイフを所持する事を覚えたからです。
 

どこかで適切では無いと分かっていたけど
そうする以外に術が無かったのだと思います。


持ち慣れないナイフ
初めのうちは、違和感があるけど
慣れてくると、持っている違和感が消えて
それが新しい自分になっていくのです。



こうして、縺れた糸は
どんどん絡まり、原点が見えなくなっていくのだと思います。


原点を回帰することは
所持者にとって最も苦しい瞬間だと思います。
何故なら
ずっと、蓋をしていた苦しい苦しい感情が
溢れ出すのですから。



その回帰するプロセスは、一人では難しいと思います。
わたしはお陰さまで、信頼できる先生の下
向き合う事ができました。


その時、大人気ないほど泣きじゃくりました。
余程苦しかったと思われる感情が浄化されました。
それは、とても不思議な感覚でした。
(今は、ナイフを手放し、お陰様で毎日心晴れやかです)








もし、あの時。

そっと声を掛けてくれる、聴いてくれる、一緒に考えてくれる、大人に出逢えていたら…

その後の人生は少し変化したかもしれません。



あの時求めていた事は

心からゆっくりと休みたい。

ただ、それだけでした。





虐められている子に

「今、何か困っている事はありませんか?」

と声をかけても、きっと

「はい、何も困っていません」

と、死んだ目で答えると思います。


それでも、もし可能なら。

その子から目を離さずに声を掛け続けたいです。

その子が私に心を許すまで。










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