自己肯定が高すぎると理想と現状とのギャップに苦しむ。「~したい」ではなく「~する」と願望を予定に変える必要性。
どーも
明日やろうは馬鹿野郎だ!けど怠けガチ、、、
ぺけぽんです!!!
先日、サークルの同期と先輩と一緒に焼肉に行きました。賭けボウリングで見事に負けてしまった僕は、その2人に対し焼肉を奢ることになってしまったのです。お金をあまり持っていないぺけぽんは、2人に対し何とか説得し1人5000円、計15000円で抑える事になりました。(元々、叙々苑とか言っていた気がする、、、)
取り敢えず、一安心しました。安くて美味しい焼肉を同期と先輩と一緒に食べていると、ふとこんな話になりました。
同期が僕に対して「子どもって欲しい?」と軽く述べてきました。僕はうん、欲しい、と二つ返事で返しました。何故なら僕は子どもが好きだからです。子どもの無邪気さや可愛さは何物にも変えがたく、一緒に居たら楽しそうだなと思いますよね。また、子どもの成長を傍から見るのも1つの楽しみでもあるはずです。
まぁ僕には彼女すらいませんが、、、。
しかし、同期は子どもは欲しくないと述べてきました。何故か?と聞くと色々理由を伝えます。
1つ目は、子どもの純粋無垢な気持ちが理解出来ないとのこと。とある番組の話ですが、子どもの父親に試練を与え、父親が成功すると、子ども自身の自分の好きな物を貰えるが失敗してしまうと貰えないという企画。大抵の子どもは、父親を応援するか、父親が成功した時に感動のあまり泣いてしまうといった場面が多かったが、その中で1人だけ違った行動をしていたらしい。
その子は父親が企画に挑戦し始める段階で泣き始めてしまった。しかし、父親が成功したと分かった瞬間に泣き止んだ。そして父親と一緒に喜んだらしい。その心の奥底の卑しさが気に食わないとのこと。気持ちとしては分かるが子どもなのだから、不安で泣いてしまったのだろうと言うとまだ2つあると同期は言って続けて話し始めた。
2つ目は自分のようなクズ人間から生まれる子どもの将来の責任を負うことが出来ないから、と言いました。まぁこれは分かります。僕含め同期と先輩、3人は世間一般的に見ると性格や容姿含めて下の中(下の下と言わないのは最後のプライド)なんですよ。で、除け者にされた事のあるこの3人が自分の子どもを作ると、その子どもも、自分と同じ道を歩むのではないか、という不安があり、その子の将来の責任を取ることが出来ないため、子どもは欲しくないと強く述べています。
しかし、それでも僕は欲しいです。不安もありますが、そんな不安ばかりでは人生やっていけません。確かに子育ては難しいと思いますし、共働きが多いなか子供を上手く育てられるかという自信はありませんが、それでも何とかやっていきたい、そう思うからです。
そして最後に同期が言ったこと。それが、僕自身に刺さりました。
3つ目は、自身の予定の中に無く、ただの願望だから。
そうなんです。同期が述べたかったのはこれだそうです。全てはただの願望であり、願望が上手く現実世界で表現されないと不満が出てしまい葛藤が生じるのです。ではなぜ、軋轢が生じてしまうのか。それはただ1つ、
自己肯定が高すぎるのです。
自己肯定をすることに間違いはありませんが、高すぎると理想と現実のギャップに苦しんでしまいます。1つ目も2つ目もこれが良く当てはまります。1つ目は父親は上手くいくはず、だけどミスをして欲しい物を貰えないかもしれない、そうギャップに苦しんでしまった結果泣いてしまったと捉えました。2つ目も、自分は優秀なんだ。だからこそ、産まれてくる子どもが優秀では無いはずが無い。しかし、子育てが上手くいかなければそこでギャップが生じてしまい子育てを放棄してしまうと捉えました。そう、彼は自己肯定を高くしすぎると、理想と現実でギャップが生じてそれを上手く受け入れられなくなる可能性が生じる事を1番恐れているのです。
これ、今回は子どもがいるかどうかで判断していますが、全てに当てはまると思います。例えば、今Webマーケティングやnoteでたくさんお金を儲けている人が多くいます。そんな人はTwitterで多くの有益な情報を呟き、その呟きに対し多くのフォロワーが反応し、「自分も稼いでみたい!」と思った人がその人たちのやってきたことを真似て努力している人もいます。しかし、続かない。稼いでいる人は「継続が大事だ!」と述べていますが、目に見える成果が出ない、、、そうして続かずに諦めてしまう人が多いそうです。忙しいや飽きた、様々な要因があると思いますがその中の一つには必ず、理想と現実のギャップ、つまり自己肯定が高すぎて成果が出ないことを受け入れられないことが生じているのではないかと思います。勿論、今回はネットで稼いでいる人を例にしましたが上手く継続ができない人は理想と現実が乖離しすぎているのかもしれません。
他には、ファッションでしょうか。人は見た目の印象が9割なのでファッションに気を遣うことは当たり前なのですが、ある程度イケメンではないやつがファッションに時間をかけることは無駄だと同期は述べています。何故なら頭打ちになるから。結局、ファッション、人の見た目には顔面偏差値が加わります。自己肯定が高すぎると、ファッションが良ければ見た目の印象が高くなると錯覚に陥りがちです。ダメです。貴方は新田真剣佑には勝てません。(ここはあなたがイケメンだと思う人、可愛いと思う人を想像してください。僕は新田真剣佑がイケメンだと思います。)何なら僕は平均以下ですから普通メンにも勝てません。ではどうするか。他の部分を伸ばすのです。顔で勝てないなら話、性格、気配り。様々な総合点で勝っていかなければなりません。ただそこで、自己肯定の高さに1点張りで勝てると思い込むと中々苦しみます。
今回の、子どもの話に戻りますが。僕は彼女すらいません。ですから全ては理想、いうなれば妄想なのです。子どもいたらこういうことしたい、あれさせたい、しかしすべては妄想。もし私が彼女ができなかったら。子どもが出来なかったら。子どもが出来たとしてもグレテしまったら。様々なマイナスの要素を想定せずにいざ、直面すると目を逸らさずに出来るのか? 僕は改めて考えると安易に考えていいものではないなと考えを改めました。
では、その願望をどうすればいいのか。叶わない願望を人に言うのはダメなんでしょうか。
違います。この話の正解は願望を予定に変えることです。自己肯定が強い人は「あれがしたい」「これがしたい」と口先だけの「~たい」を述べることが多いです。そう、それは願望であり、実際の人は大抵やりません。なぜなら受動的思考で向こうからやって来るものだと考えています。現実はそう甘くありません。上手くいかないことだらけです。だから予定に変えるのです。「あれをする」「これをする」と「~する」と果たすべき目標、やるべきことに変換すればよいのです。しかし、口先だけではダメです。勿論、行動することが大切なのですが、まずは能動的思考にシフトさせることが優先事項です。
あと、自分の願望を実行できる人になりましょう。例えば、子どもが欲しいという人は彼女がいる、もしくは妻がいる人。人気になりたいという人は人気になるための方法を模索、行動に移している人。モテたい人はモテるための行動をしている人。そういう人は願望を述べたとしても、その願望をかなえるための努力をしているためそれに向かってがむしゃらに努力すればいいだけの話です。しかし、問題は何もしていないのに口だけ言う人。これはダメ。虚しくなるだけです。
そうならないためにも、
「~したい」ではなく「~する」という人になりましょう!
自己肯定を低くして、少しずつ目標に向かって一歩ずつ行動することが王道です。学問に王道は無し、といいますが全てに王道はありません。今の地位を築いている人はそれなりの努力をしている人です。それなりの努力をしていきましょう。理想は高すぎず、目標は低すぎず、努力は継続です!
因みに、同期は高校で引きこもり、先輩は今大学を3回留年しています。それまでは順風満帆に人生を歩んでいましたが、一度挫けてしまうと一人で立ち上がれません。そんなときに親を頼ったのですが、両方の親も理解をしようとしなかったのです。同期は過去に寮のある高校に追いやられ、先輩は今も尚、家に居づらい状態です。そうした状況を歩んできたからこそ、そういった考えを持ったのだと思います。いい奴らですけどね。
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