真理子のリアル人生劇場・波瀾万丈 第8話 〜母になって〜息子ょ、ごめんね。
真理子のリアル人生劇場は実話です。
《前回迄の語り》
暴力父親と労働させるだけの継母の虐待家庭から18才で逃げ出して、唯々”愛ある家庭“を求め続けたあたしが、恋愛、不倫、結婚、出産、離婚、再婚と惑い悩んで、結局、愛なき再婚の中で、もう男の愛は要らないと思うまで。
※詳しくは 真理子のリアル人生劇場〜初めに。から第7話迄をご覧ください。
〜*〜*〜*〜*ここから第8話*〜*〜*〜*〜
“愛するひとと結婚して家族を作る”
それがこの世で願うたったひとつの事だったけど、どうしてもそうはなれなかった。
最愛のソウルメイトとは結婚出来なかったし
その後結婚した相手とは、愛はあったけれど男の気持ちがわからなかったあたしと、女の気持ちに応えられなかった男のすれ違いで離婚となり・・・。
幼い息子を抱えて産後病気になったままのあたしは息子と生きる為、愛なき再婚という選択をした・・・そしてその後も結局愛のある家庭にはできなかった。
あたしには息子だけが家族だったともいえる。
息子は最初の夫との子。
息子は生まれてすぐにとてもきれいな赤ちゃんだった。
きれいな輪郭にきれいな肌・・。
そして成長する程にきれいな子だった。
1才の頃には色が白く滑らかに見える肌、整った顔立ち。
そして何よりきらきらと輝く瞳と輝く笑顔。
本当に天使のようだった。
透明感があり過ぎて不安になった位。
その不安は当たっていたのかもしれない
息子のきらきらとした瞳は決して誰とも視線を合わせる事はなかった・・・。
幼い息子の世界は息子だけが感じることのできる面白さや不安や動きで満ちていて、誰をも必要としていないようだった・・母でさえも。
一日中走ったり動き続け、睡眠も少なかった。
初めての子育てで教えてくれる母親もいないあたしでも何かが違うと感じていた。
10ヶ月には歩き始めた息子はすぐに走れるようになり、スーパーに買い物に行くとスーパーの中を走り続けて見失ってしまうのでベビーカーに乗せればベビーカーから飛び降りてしまう・・・育児を助けて貰える身よりもいないあたしは息子を置いて買い物に行く事もできず、時には暴れる息子を肩に担いで帰る事もあった。
3才になる頃でも、人の目を見て話を聞く事もなく、じっと座る事も殆どなくとにかく動き続けた。
そして3歳児検診の時も泣き喚いて暴れて検診にならずで、「お母さんあちらで話があるので残ってください」と言われた。
そして“息子さんをしばらくある場所に通わせてはどうでしょう”という事だった。
ある場所とは市の管轄機関の教育センターのような所だった。
そこで息子は遊びを通して観察され、あたしは別室で息子の日頃の様子などについて話をするという事だった。
詳しくは語られなかった為、それが当時のあたしにはどういう事なのかハッキリとはわからなかったが、息子の発達状況について何か観察すべき点があったのは間違いない。
3才の息子は睡眠も少なかったがアトピーだった為、1時間半おきに「背中がかゆいよ〜」と泣いて起きた為、息子自身が掻きむしらないように、息子が又寝つくまで背中をさすり続けるということを一晩中繰り返していた為あたしは当時相当疲れていた。
起きれば動きまくる息子を追いかけて、昼寝もしない息子がTVを観ている隙にサッと家事をして、夜中は1時間半おきに息子の背中を優しく掻いてと、もうクタクタだったと言ってもいい。
再婚した夫は毎日12時近くに帰宅だったが、帰ってくれば片付けきれてないおもちゃに対して怒るのであたしは心の休まる時がなかった。
そんなバタバタとした日々の中であたしは息子を愛しているという実感がなかった。
そしてそれが罪悪感となっていた。
あんなにも望んだ家族なのに、、、あたしは息子を何とか育てていかなければならないという責任感と息子の育てにくさでいっぱいいっぱいになって可愛いと思う気持ちのゆとりなどなかった。
そんなあたしに変わって息子に愛情をかけてくれる身内もおらず、息子は何と愛のない可哀想な日々だったろうと思う。
我が子として育てたい、と言っていた夫も息子の理解できない行動に怒鳴ったり厳しくするばかりだった。
小学校に上がる直前まで教育センターに通った息子だったが、”普通小学校に行ってください、ここにはもう来なくていいですよ。又、思春期に何かあるようでしたら又その時に。“
と言われた。
結局詳しくは語ってもらえなかったがその時のやりとりで
数ある発達障害の中のどれかの軽度という可能性もあるが、或いは境界線上かもしれないし、今の段階ではわからないのだ、とあたしは理解した。
それを夫にも話したが、興味なさげに、すべてお前の考えすぎでわがままなだけだよと言ったのみだった。
では何故2年以上も市の教育センターに通ってと言われたのか・・・夫という人は自分の知らないものは受け入れない人だった。
あたしは自身はその後、発達障害というものについて色々調べて自分なりに考え続けた。
そしてあたしがその後息子の成長を見続けて感じた事は、発達障害とか、境界線上かはわからないが、
息子は一般常識といわれているものを環境から自然に身につけるという事はなかったという事。
息子はむしろ一般常識の裏側の視点で人の思いつかない、けれどもよく考えてみるとそんな見方もあるんだね、という価値観だった。
そんな息子を誰もが”何を考えてるのかわからない“と言った。
あたしもそうだったが、あたしは息子に小さな時から色々質問して分析していったのだった。
そうしてあたしはわかった事がある。
息子は、物事を常識にとらわれずに自分の感じた事に基づいてそれを深く考え自分なりの答えを出す。
そしてその答えは多くは一般常識の外にあり、哲学的であり、多くの人には難解であると。
そして、その価値観は環境に流されない。
求めるものには貪欲で誰にどう思われようと変えない。
ある意味究極のわがままであり、もしかしたらある面の天才ではなかろうかと思ったりもする、
でもそんな息子は今の社会に適合しないし、息子自身も自分の生きる意味と場所に悩み続けてる。
周りがどうあろうと求めるものを妥協しない面だけが人には見えて息子の優しさは人にはわからない。
でもあたしには息子のわがままさと同じように優しさもわかるのだ。
わがままな人でも優しさはあるのだ。
夫は息子を理解できない・・・理解できないだけでなく自分の価値観だけで息子のイメージを作り上げ・・裁く・・事実と違う事で。
2人は異星人のようにかけ離れた存在だ。
そうあたしと夫もそうだ。
息子の発達について考えてきてあたしは今はあるがままの息子を愛している。
でも、そう言えるまで何と多くの的外れな試行錯誤を息子に押し付けてしまったか、可哀想な事をしたと思う。
幼稚園時代〜小学校低学年はその協調性の無さが心配で、集団行動についていく事を強制し、集団スポーツクラブに入れ、頑張らせた・・本人は集団行動が嫌いで、集団スポーツも好きじゃなかったのに!
たくさんのお友達と遊んだり関われるように、家にはいつでもみんなが遊びに来れるように家を解放したのでいつも人の出入りがあった・・・本人はひとり遊びが好きだったのに!だ。
あたし自身元々は人見知りでひとりが好きだったのに息子の為にと社交的な自分へと自己改革し、多くの人と付き合い、さまざまな人との付き合い方や受け入れられる術を学んで、昔とは違うあたしになったように自分でも思ったものだ、人は変われるのだと。
でもそもそも何で息子が学校という集団からはみ出さないように必死になっていたのかと今更思う。
息子に合った子育てという観点もなく、集団に馴染む子育てに躍起になっていたダメ母親のあたしに気付くのはもっともっと後の事で、あたしに押し付けられてきた息子が中学生で自我に目覚めて(とうとう!)言った一言まで続くのだった。
息子は言った「お母さんの言う事聞いて成功するより自分でやって失敗した方がいい」と。
その時感じたのはこの子は多くの人から変わっているねと言われ続けたけど、
あたしのまわりの誰より本質をつく子だと。
あたしは子育てで多くの過ちを犯してきたが、この子はある意味この子が本質的に持っている何かが育ってる、そして今、子どもから大人への変革期に差し掛かかってる、、、あたしはこの子がまだ子どもである内に、ある事をしようと思った。
それはこの子に最後に伝えたい、、、どんなでも愛している事、そしてあたしは子どものこの子を手放し、大人になっていくこの子を信じる事を!言葉ではなく伝えたいと決めたのだ。
その後、息子は自我の目覚めによって、学校との摩擦、周りとの摩擦、さまざまな世間でいうトラブルを経て、子ども時代とはまるで違う者となっていった。
それはもう落ち着きなく動き回る子どもでもなく、ひっきりなしにしゃべりまくりもせず、そしてきらきら輝く瞳の天使の笑顔でもない、、、自己や世の中の事象を深く掘り下げ思考し、自分学を構築する気難しい青年になっていったのだ。
子ども時代から青年になって息子ほど変わったのは珍しいと言われる。
幼少期、
あたしの息子への愛は、親の責任を果たすという、子どもにとっては分かりにくくてつまらない愛で・・その後も、子どもによかれと思う自分だけの価値観を押し付け、結果、息子に愛されたという充足感も与えてあげられなかった情けない母親だった。
愛を求めながら愛のなんたるかもわかってなかったあたしに子育てが教えてくれたものがある、、、それは。
愛は、、その人がこの世で自分らしく生きていく事にエールを送り続ける事だと。
そしてその観点で言うとあたしは息子以外愛した事はないと言える。
夫も自分らしく生きればいいと思うが、自分らしい本来の夫というのがそもそもあたしは嫌いだ。
むしろ、夫が自分らしく生きていくのを受け入れられる人と暮らした方が夫も幸せであり、あたしも夫と離れた方が自分らしく生きられると思うので、今は諸問題を解決しつつ離婚に向かっているという感じかな。
続く。
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