見出し画像

いまどきな復讐方法/安易なアナタは人殺しなんですよ?-ー呪いが人を殺す時

「え……? 彼女、亡くなったんですか?」
「ああ、そうみたいだよ」

 共通の知人からそう聞いた。

「病気…だったんですか?」
「いや、理由とかはわからない。俺もまた聞きみたいなもんだからさ。なんか彼女のSNSアカウントに母親が上げていたらしい」
「そうですか…」

 知人がなくなれば多少なりとも気落ちする。
 しかもそれが元恋人だったなら。

 趣味のSNSで知り合った恋人だった。
 とはいえ、俺にとっては正直遊びだった。
 容姿が気に入って付き合ったが、軽く遊んで捨てた。

 一言だけ別れのメッセージを送っただけでも優しいもんだろう。
 返信を待たずにブロックした。
 それで終わり。
 インターネット時代のライトな付き合いだ。

 多分、相手は俺を恨んでいただろう。
 もしかしたら死んだのは自殺だったのでは。
 そしてそれが俺のせいだったのでは、とも思ってしまう。

 しかし、すぐにかぶりを振ってそれを否定する。

 馬鹿げている。
 もし、万が一、俺が原因の一つだとして、俺に責任があるはずがない。
 少なくとも俺は「殺」してはいないのだ。

 ――ピコン

 その数日後、SNSに見知らぬ人からDMが届いた。

 差出人は――死んだはずの彼女だった。

[覚えている。○○です。幸せそうでなによりです]

[でも、なぜあなただけが幸せなんですか?]

 短いメッセージだった。
「誰のいたずらだ!」
 そういってDMを削除するとそのまま相手のアカウントをブロックした。

 しかし、数日後

 同じメッセージが届いた。

 削除してブロックした。

 けれどもまた数日後、届いた。

 同じメッセージが届いた。

 時には数日ごと、数週間あくこともあった。

 そのSNSをやめてもほかのツールで連絡が来る

 1か月間平穏に過ごせたと思っても、また通知が来る。
 逃れることができない。

「俺は悪くない。俺は悪くない。俺は悪くない」

 彼女は死んだはずなのに。ずっと届き続けるメッセージ。

 呪い。
 これは呪いなのか?

 仕事にも支障が出て、疲弊し、日々やつれていった。
 追い詰められた俺は個人端末を捨て、あらゆるアカウントを削除した。

 現代でSNSや携帯端末を捨てることはプライベート捨てることにほぼ等しい。
 しかしそれでも捨てないとダメになる。
 そう思って俺は、限界に達し、端末を破壊した。

「おい大丈夫か? 最近なんかおかしいぞ。やつれているみたいだし」
「いえ、すみません。もう大丈夫で――」

 心配した同僚が声をかけてくれた。

 ――ピコン。

 会社のチャットツールに見知らぬDMが届いた音だった。

―――――――――――――――――――――――――――――

 人を呪うのに必要なことは、”呪われてた”と思わせることだ。
 そうすれば勝手にすべての悪いことを呪いのせいだと思い込んでくれる。

 ”ネット上では死んだ”私はほくそ笑む。

 死も自演だ。
 身近な、現実に見知った人の死の偽装は難しい。
 しかしSNSで、ただの一般人ならば簡単だ。

 死にました――その一言だけだ。

 会うこともない。確かめようともされない。
 安易な死。

 それを信じたならば、そこから届くメッセージは死者からの言葉になる。

 どれだけブロックしようとも、どれだけ削除しようとも。どれだけ逃れようとも。
 なにかに繋がっているネットの中では、ネットにいる以上逃れることはできない。
 そして現代においてネットから完全に断絶することなど不可能。

 あとはただ淡々と送り続ければいい。

 私が探す必要はない。私が執念深く彼を追う必要もない。

 ターゲットを決めて、その対象にただ同じメッセージを送り続けるだけのアプリ。

 ただそれだけの簡易な安価なアプリ。

 ただ罪悪感と妄執に取りつかれた心は、デジタルなメッセージに恐怖を覚えてくれる。

  誹謗中傷で人が死ぬように、ただの言葉も人を殺す。

 あとはただ、その恐怖の重みが彼の心を押しつぶすのを待つだけ。
 じわりじわりと。

 呪いの成就する日が待ち遠しい。

 正直、そこまで恨みはない。

 でも、安易に私を捨てたのだ。

 あれがあなたにとって遊びだったように、 私にとってもただの遊び。

「軽く復讐されても仕方ないでしょ?」


いいなと思ったら応援しよう!