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死ぬときに後悔することの生存バイアス/死者にくちなし
「もっと家族を大切にすればよかった」
「もっとお金だけではないものを大切にすればよかった」
「働きすぎなければよかった」
ここは終末医療施設。
もはや死が定まった者たちが集まる施設――いや、死は誰にもに定まっているので、死が間近に迫った者たちが集まる施設だ。
「お話を聞かせてくれて、ありがとうございます」
そこで多くの人たちにインタビューをして、彼女は終わりを間近にした人たちの本音を集めた。
それは多種多様な声や意見のように見えて似通っていた。
その人が抱える背景や生きてきた道は違うが、こと後悔ということに関しては、自分や自分の大切なものを”大切”にしてこなかったことへの後悔だった。
人はパンのみに生きるにあらずというが、その通りなのだろう。
死を間際にして、なんのために生きてきたのか、その生きざまこそが最も大切なのだと感じた。
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「え?」
自分の死は唐突に訪れた。
インタビューをした日の帰り道。
暴漢に襲われた。
男はコンビニで買ったビニール袋を奪った。
わずかな食料。
そのためにこの男は人殺しという犯罪を容易に行ったように見えた。
血が流れて薄れていく意識。
まだなにもなしていない人生を悔やむ。
今日のインタビューが走馬灯のように思い浮かぶ。
そしてふと思う。
あの人たちが口々にいっていたこと。
あれはあそこまで生きれた人だからこそ言えたのだ。
地位もあり、カネもある。
パンに困ることのない人たちが、「パンだけが大切ではない」という道田中での欠乏感を述べただけの言葉だったのだ。
そうでなくとも同じ施設に入れた選ばれた者たちだ。
似たような者たちの声だった。
人はパンのみに生きるわけではない。
しかし、パンがないと人は、死ぬのだ。