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ほんとうのじぶん 加工アプリの中のアリス / わたしは世界で一番美しい
「本当、可愛いよね!」
そう友人からメッセージが届く。私は社交辞令で「そんなことないよー」と答えた。
「そんなことあるって! まじで、ほらこの雑誌のモデルよりもあんたの方が可愛いよ!」
そう、友人は、友人たちは口々に褒め言葉を送ってくれる。チャットには、どこかのモデルの画像が添えられていた。
わたしは可愛い。
私は綺麗。
だからこんなふうに褒められることも日常茶飯事だ。
友人の反応を見た自撮り写真をSNSにあげると、goodボタンが過剰なほどの勢いでついていく。
コメントには友人たちがいったような、SNSであるゆえにそれ以上の言葉が書き込まれる。
そんな中に「こんなの加工だろw」というような嘲笑が書き込まれるが、それさえも自分にとっては褒め言葉だ。
あげた画像は無加工なのだから。
自分は自分の容姿が優れていることを自覚していた。
それにより、性格が悪いと言われようが、それで十分に利益を享受できるので、勉学やその他の努力を怠っていたが、それは全部どうでもいい。
この容姿があれば、自分は満足だ。
かつて自分は自分の容姿が嫌いだった。
それは美貌が、ということではない。幼少期は自分でも好ましい容姿をしていなかった。しかし、成長するとともに自分は美しくなった。
まさに蕾から花が開くように、自分はなったのだ。
かつては容姿を理由にいじめられた。いまでは信じられない。
うん。私は、この容姿でーー
ーー朝、洗面台の鏡が「壊れていた」。
そう、この鏡はいつも壊れているのだ。
その鏡の中には、かつての自分がいた。おそらく幼少期に覚えている自分が、成長したような姿の自分の姿が写っている。
自分にとって生きている中でもっとも苦痛な時間だ。
そして、毎日の習慣としてコンタクトレンズをつける。
スッと、慣れた手つきで。そして、レンズが嵌め込まれた瞬間ーーそこに現実が描かれる。
そして、壊れていた洗面台の鏡が直る。
そこには、いつもの美貌溢れる自分が写っていた。
「うん」
自分が微笑むと、鏡の中の美女も微笑む。
そう。
そう。
これは自分。
この美貌は自分のもの。
コンタクトレンズは、極小のディスプレイであり、レンズ。そこには自分が見たいものが映し出される。
見たいように加工される。
思い描く美貌が、自分に上塗りされる。うん。
ーーぷるる。
携帯がなる。ーーような虚像が描かれる。
そしてそこには届いていないメッセージが描かれ、存在しない友人たちとのやりとりが流れる。
うん。
うん。
美貌により恵まれた人生が描かれる。
なにをするにも、この虚構を支えるために加工が施される。写真を撮れば、現実は映らず、虚構が上塗られる。
うん。
この世界では、誰よりも。
私は美しいんだから。