見出し画像

訪うこと もてなすこと


今日は友人宅へランチ付きお茶会へ。
人を訪うということは、お出掛けが苦手な私には、僅かな興奮と緊張を伴う。
それでも会いたい、時間を共有したいと思うからわざわざ出掛けて行って、友人を訪うことをする。
もし、どうしても出掛けたくないなら、呼べば良い訳でもあるけれど、自分から訪うという行為に至るのには、そこに相手への愛情があるからだと思う。
思えば平安時代の通い婚も社会のシステムがそうだったと言ってしまえばそれまでだけれど、愛する人を自分から訪うという愛情表現が根底に有るのではないかと私は思う。

友を訪うという事は私にとっては、それくらい重大な意味がある。

そして、訪問者をもてなす行為。これも相手に対して愛情がなければ、心のこもった「おもてなし」は出来ない。
おざなりな気持ちでもてなせば、どこかにアラが出るので、もてなされる方だって直ぐに分かる。

今日は心からのおもてなしを受けて、心も身体も癒された。片道2時間余りかかって出掛けたのに!
それも、訪う側ともてなす側に、何かしらの愛情の交換があったからだと思う。

そんな相手がいることに、とても喜びを感じる素敵な一日だった!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?