子供さえ産めば母親になれるわけじゃない

わたしが20歳の頃、祖母が亡くなった。
母は棺にすがりついて泣いていた。
「おかあちゃん、おかあちゃん」と言って
いつまでもいつまでも泣いていた。

わたしはその母の姿が忘れられない。

祖母は、母を産んでいない。

2歳だった母は、祖父母の養子になった。
産みの親の記憶なんてないし、
会いたいとも思わないと母は言っていた。

わたしの知らない間、
二人はどんな親子だったのだろう。

祖母はどんな風に母を愛したのだろう。

妊娠中、母親の自覚なんて
これっぽっちも芽生えなかった。
ただただお産への恐怖と、
産後の生活に対する不安ばかり
感じていたように思う。

健診で毎度渡されるエコー写真を
見てもかわいいと思わなかった。
正産期の前に出血して、
病院へ行くために乗った車の中でも
この子にもしものことがあったら、
どれだけ夫は悲しむだろうかと、
夫の心配ばかりしていた。
出産した直後も分娩台の上で
マジで人間出てきたよ…と考えていた。

母親の自覚って何だろう。

子供が産まれれば、母親になるの?
子供を産んだから、母親と呼ばれるの?

赤ん坊なんて、好きじゃなかった。
特別にかわいいなんて思わなかった。

たぶんわたしは、人間として
大切な何かが欠如しているんだろう。

自分が産んだから、と言うより
何もできない子供がそこにいるから、
という理由で、
子供の世話をしてきたように思う。

べつに愛じゃない。
困っている人を助けるのは「務め」だ。

いまも自分に「母親の自覚」が
あるのかどうか、よくわからない。

ただもう息子が
わたしの生活のなかにいることが
日常になっていて、
わたしは当たり前に息子を愛している。

母親だからか?と問われたら、
息子に対して自分でそう名乗る以上、
そうなのだ、と答えるしかない。

息子を産んだのがわたしでなければ
わたしは息子の母親には
なり得なかったんだろうか。

祖母と母のような
親子にはなり得ないんだろうか。

母親って何だろう。
母親の自覚って何だろう。

ふと、そんな小難しいことを
考え込んでしまうことがある。

産んだとか産んでないとか、
そんなことはたぶん関係ない。

自分でその子の「母親」を
引き受けると決めた瞬間、
そこに母親が生まれる。

その子に対して、周囲に対して、
わたしが母親だと名乗った瞬間、
そこに母親としての責任が生まれる。

自覚なんて必要ないのかも知れない。

その子が自分を母親と認めてくれる、
それだけが必要なことなんじゃないか
そんな風に思う。

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