子供さえ産めば母親になれるわけじゃない
わたしが20歳の頃、祖母が亡くなった。
母は棺にすがりついて泣いていた。
「おかあちゃん、おかあちゃん」と言って
いつまでもいつまでも泣いていた。
わたしはその母の姿が忘れられない。
祖母は、母を産んでいない。
2歳だった母は、祖父母の養子になった。
産みの親の記憶なんてないし、
会いたいとも思わないと母は言っていた。
わたしの知らない間、
二人はどんな親子だったのだろう。
祖母はどんな風に母を愛したのだろう。
*
妊娠中、母親の自覚なんて
これっぽっちも芽生えなかった。
ただただお産への恐怖と、
産後の生活に対する不安ばかり
感じていたように思う。
健診で毎度渡されるエコー写真を
見てもかわいいと思わなかった。
正産期の前に出血して、
病院へ行くために乗った車の中でも
この子にもしものことがあったら、
どれだけ夫は悲しむだろうかと、
夫の心配ばかりしていた。
出産した直後も分娩台の上で
マジで人間出てきたよ…と考えていた。
母親の自覚って何だろう。
子供が産まれれば、母親になるの?
子供を産んだから、母親と呼ばれるの?
*
赤ん坊なんて、好きじゃなかった。
特別にかわいいなんて思わなかった。
たぶんわたしは、人間として
大切な何かが欠如しているんだろう。
自分が産んだから、と言うより
何もできない子供がそこにいるから、
という理由で、
子供の世話をしてきたように思う。
べつに愛じゃない。
困っている人を助けるのは「務め」だ。
*
いまも自分に「母親の自覚」が
あるのかどうか、よくわからない。
ただもう息子が
わたしの生活のなかにいることが
日常になっていて、
わたしは当たり前に息子を愛している。
母親だからか?と問われたら、
息子に対して自分でそう名乗る以上、
そうなのだ、と答えるしかない。
息子を産んだのがわたしでなければ
わたしは息子の母親には
なり得なかったんだろうか。
祖母と母のような
親子にはなり得ないんだろうか。
*
母親って何だろう。
母親の自覚って何だろう。
ふと、そんな小難しいことを
考え込んでしまうことがある。
産んだとか産んでないとか、
そんなことはたぶん関係ない。
自分でその子の「母親」を
引き受けると決めた瞬間、
そこに母親が生まれる。
その子に対して、周囲に対して、
わたしが母親だと名乗った瞬間、
そこに母親としての責任が生まれる。
自覚なんて必要ないのかも知れない。
その子が自分を母親と認めてくれる、
それだけが必要なことなんじゃないか
そんな風に思う。