人生の選択はもうはじまっている
息子の小学校受験を諦めた。
息子が年少の頃、せっかく近所に有名私立小学校があるので受験させてみようかと、軽い気持ちで考えたことがある。
教育理念や、授業料などを調べ、これなら通わせてもいいかも知れないと思った。
だけどさ、
大変なんだってね。小学校受験て。
受験のための塾に通わせる必要がある、というところで、踵を返すように考えを改めた。
しゃらくせえや!!!!
なんで、未就学児が塾に通わなきゃならないのよ。学校行くまでは、遊んで暮らせる人生で唯一の時間なのに!そんなくだらないことに息子の貴重な「遊んで暮らせる時間」を奪われてたまるかってんだよ!
というのが、息子の小学校受験を諦めた理由。
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だけど、既にこの「選択」こそが、息子の人生の行く末を大きく分けているのかも知れない。
エスカレーター式で大学まで行ける人生と、公立小学校からスタートする人生。
将来についての決断は、のちのち、息子自身がするものだとしても。この時点で、ひとつの選択肢を消去したことには変わりない。
え、親の責任重大じゃない?
人生の選択、もうはじまってるじゃん!!
こんなこと親が勝手に決めていいの?
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小学校受験を諦めた、と言いつつも、これが本当に正しい選択なのか?と自問自答する。忘れたと思ったら、またむくりと脳のすみっこにその姿を現す。
通う小学校が違えば、出会う人も変わる。
興味を持つことにも影響するかも知れない。
そもそも選択肢がひとつしかなければ、こんなことは迷わなかったのだけれど、いかんせん、一度思い描いてしまった未来が手放してよいものかどうか悩ましい。
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子供を産んだ瞬間から、その子の将来についていくつもの人生の分岐点の選択を迫られてきたのだと改めて思う。
そして、わたしはそれを間違わずに選んでこられたのだろうか。
何が正解かはわからないし、後戻りもできないのだけれど。ここまで正しく、ちゃんと息子の未来を選んでくることができたのだろうか。
育児ってワンチャン!リセット不可!
無理ゲーすぎない?
子育てって責任重大だね。
責任なんかとれないんだけどさ。
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既にはじまっている息子の人生の選択。
そりゃもう本人の記憶のないうちから。
本人の気持ちなんてそっちのけで。
これ、どう打開していくの?
わたしが代行した「息子の人生の選択」、もしどこかで道を誤っていたら、どうすればいいの?
これはもう、本人がそこのことに気づいたら自身の思う道へ方向転換していただくしかない。
親が本当にできることって、「そのための準備」をすることだけじゃないのか。
自分の選びたい道を進んでいく決断力とか、そのための行動力を身につけさせてやること。
常日頃から、あらゆる場面で息子に判断を委ねる。少し危ういかなと思っても、息子の決断を肯定する。(絶対ダメなときは理由を説明して中止させるけど)
彼の選択によって失敗したときは、慰めてやり、いっしょに解決策を考えてやる。もちろん、成功したときはいっしょに喜んでやる。
こういう経験の積み重ねで、自分の人生は自分で選んでもいいんだと彼も思ってくれるんじゃないだろうか。
思ってくれるんじゃないだろうか。
…思ってくれるといいな。
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息子の人生の選択はもうはじまっている。
でも、親が代わってやるそれが
必ずしも正解なわけじゃない。
だから、息子自身が「選択」できるようになったとき、それを全力で支えられる親になりたい。