
幸田露伴の「努力論⑪ 進潮退潮」
進潮退潮
同じ江海である。しかもその朝は朝の光景を現わし、その暮は暮の光景を現わす。暁の水煙が薄青く流れて、東の空が次第に明るくなると、やがて半空(なかぞら)の雲が焼け初(そ)めて、また紅(くれない)にまた紫に美しく輝く。その時一道の金光が漫々と涯(はて)なき浪路の果てから閃(ひらめ)き迸(ほとばし)り、火の矢が天を射るように、忽ちその金光の一道は二道となり、三道となり、四道五道となり、美しくキラキラと火龍が舞い朱蛇は驚き、大量の黄金が炉から溢れ出て光炎激しく、烈々煌々(れつれつこうこう)と炎を揚げるような状(さま)になると、紅玉が溶けて爛(ただ)れたような太陽が波間から輾出(めぐりだ)す。暗闇を忽ち斥(しりぞ)けて、天地俄かに開け妖怪は逃げ去り、鳥獣みな喜ぶ勢いが現われる。即ち、いわゆる「水門開(港明け) 」の光景(ありさま)を示す。そうすると岸打つ波の音も、浜に寄った貝の色も、黙している磯の岩の顔も、死んだような藻塩木(もしおぎ・藻塩を炊く木)の香も、みな尽(ことごと)く歓喜の美酒に酔い吉慶の頌歌を唱(とな)えて、愉々快々の空気に嘯(うそぶ)くような相(すがた)を現わすのである。朝の江海の状態は実にこのようである。
その同じ江海でも、もし日が既に西の海に没した後、西空の夕焼けが次第に色を失い、辺りがほの暗くなり、将(まさ)に夜になろうとする時になると、刻一刻と加わりまさる薄暗い雲の幕の幾重(いくえ)に、大空の光は包み蔽(おお)われて、陰鬱の気は一波(いっぱ)一波(いっぱ)と流れ来る。霧は愁い、風は悲しんで、水と空とは憂苦に疲れ、萎えた体を自(みずか)ら支えられないように、互に力無い身を寄せ合い凭(もた)れ合って、終(つい)に死の闇の中に消えてしまうような様相を現わす。その時の光景(ありさま)は実に哀れなものである。
江海は本来無心である。その朝もその暮も全く同様なのである。しかし同じ江海といえども、その朝は彼(か)の様でその暮は此(こ)の様である。同じ物といえども常に同じでは有り得ないのである。
詳(つまび)らかに論じれば、世に「時間」というものがある以上は、同じ物というものは実は存在しないのである。ここに一本の松の樹が在ると仮定する。その松の樹の種子が苗となり、苗が稚松(わかまつ)となり、稚松が今あるところの壮樹(そうじゅ)となるまでは、時々刻々に成長しているのであって、昨日のその松の樹が、昨年一昨年ないし一昨々年の松の樹と異なるように、昨日のその松の樹と今日のその松の樹とは必ず異なっているのである。もし又その松の樹が次第に老い、次第に衰へ、一部分が枯れ、終(つい)に全く枯れるとすれば、明日の松の樹もまた今日の松の樹と異なり、明年の松の樹もまた今年の松の樹と異なるのである。一切の物は皆この松の樹と同様なのである。少なくとも「時間」無くして存在するものが世に無い以上は、一切の物は時間の支配を受けているのである。その時は「或る時の或る物」は「或る時間を以って除した或る物」である。その物の始(はじめ)より終りまでは、「或る時間を乗じた或る物」である。
黄玉(こうぎょく)は黄色を有する宝石である。しかし長い間には徐々にその黄色を失う。鶏血石(けいけつせき)は鶏血のような殷紅の斑理(はんり)を持つ貴い石である。しかし十余年も経つ時はその表面の斑理の紅色は、次第に黒暗色を帯びるのである。これ等の物は時間の影響を受けること動植物等のように明白ではないが、しかし長い時間の後には、明らかに時間の影響を受けることを示すのである。故(ゆえ)にその本質を観る時は、百年前の黄玉や鶏血石と百年後のその黄玉や鶏血石が、その色彩の濃度に於いて異なるのみならず、昨日の黄玉や鶏血石と今日のその黄玉や鶏血石とも、またまた違った色彩の濃度を持っているのである。この理屈で同じ松樹も実は同じ松樹では無い、日々夜々に違ったものになっているのである。同じ江海といえども江海そのものは日々夜々時々刻々に変わりつつあるのである。
一切の物自体が時々刻々に変わりつつあるのである。ましてそれ自体以外に、日の照り風の曝(さら)しが之に加わるのである。同じ江海の朝と夕とが相異なることは怪しみ訝(いぶか)る必要もないことである。ましてやまた大観すれば、日もまた光を失い海もまた底を現わす時が来るのである。つまり世間一切の相は無定をその本相とし、有変をその本相としているのである。
しかし無定の中に一定の常規が有り、有変の中に不変の通則が存在するのも、これまた世間一切の相の真実である。黄玉は或る程度の率で徐々にその黄色を失うのである。鶏血石は或る程度の率で徐々に黒変するのである。松樹は或る時に花を飛ばし或る時に葉を替え、そうして次第に成長し、次第に老い、次第に枯れるのである。江海は朝々にその明るく快活な光景を示し、暮々にその陰鬱で凄凉な光景を示しているのである。
一切の物がみなそうである以上は、人何(なん)で独り良く道理や規範や運命の類(たぐい)から脱することができようかである。人もまた黄玉のように、鶏血石のように、松樹のように、江海のようなのである。特に人は黄玉、鶏血石に比べて生命があり、松樹に比べて感情があり意志があり、江海に比べて全ての物に対応し、三世(さんぜ・前世,現生、来世)に交錯する関係があり、それ自体より他体に及ぼし、他体より自体に及ぼし、自心より他心に及ぼし、他心より自心に及ぼし、自体より他心に及ぼし、他心より自体に及ぼし、自心より自体に及ぼし、自体より自心に及ぼし、自心より他体に及ぼし、他体より自心に及ぼし、自体より自体に及ぼし、自心より自心に及ぼす、その影響の、紛糾して錯落して多様多状なことは、まるで百千万億兆の細かい目、粗い目の沢山の網を、縦横に交錯し上下に敷き並べたようなものならば、その日に変化し、月に変化し、年に変化して、そして生まれてから死ぬまでの間、同じ人といえどもその変化は、また急に、また激しく、また大に、また多い訳である。
さて、変化して定まり無いことは人の元より免れないことである。無機物有機物皆そうなのである。しかし変の中にも不変あり、無定の中にも定めがある。江海の朝は朝の光景を現わし、暮は暮の光景を現わすように、人もまた生まれてから死ぬまでの間に或る軌道を廻わって、そして次第に成長し、次第に老い、次第に衰えるのである。個人の事情は此処では論じない、また人間の心理や生理の全部にわたる話も此処では語らない、今は人の「気の張弛(ちょうし)」に就いて語ろうと思う。
誰しもが経験し記憶していることだろう、人には気の張るということと、気の弛(ゆる)むということとが有る。気の張った時の光景と気の弛んだ時の光景、その両者の間には著しい差が有る。張る気とは抑々(そもそも)どういうものだろう。弛む気とは抑々どういうものだろう。何故か知らないが人の気分は張っているだけでもなく弛んでいるだけでもない、一張(いっちょう)一弛(いっし)して、そして張った後は弛み、弛んだ後は張り、循環すること例えば昼夜のように、朝夕のように、相互に入れ替わることは誰しも知っていることである。
試みに人の気の張った場合を観よう。張るとは内にあるものが、外に向って拡がり伸びようとすることを指して云うのが普通の語訳である通り、その人の内の或るものが、外に向って伸び拡がろうとする状(さま)を現わす時、之を気が張ったというのである。努力して従事する場合には、一分の苦痛に耐え忍ぶ光景がある。例えば女子が夜になって人の少ない路を行く時に、その心に恐怖を抱きながらも強いて歩みを進めるような場合は、努力して従事しているというのである。また人が流れに逆らって船を進めるのに、水勢の我に利なく腕力既に萎(な)えようとする時、尚(なお)強(し)いて櫓(ろ)を操(あやつ)り竿を張るのを止(よ)さず、汗タラタラと働く場合なども、努力して従事しているというのである。努力して事に従うのは立派な事ではあるが、尚(なお)その中にかすかに厭悪の情や苦痛の感じが在るのを認め得る。であるが、同じ女子が同じもの寂しい路を行くにも、若(も)しその女子が病母の危急に際して医者を招く為に、病母を思う心が深く、速やかに母の苦を救おうとの念が壮(さか)んに走り、夜道の寂しさも構わずに行くとすると、そのような場合を指して「気が張った」と人は言うのである。また同じ流れを溯(さかのぼ)って同じ人が船を進めるにしても、何処々々(どこどこ)の処に魚の大群を認めたとの知らせに接し、漁獲を思う余り一刻を争って溯り、また強い流れと腕の疲れを考える暇(いとま)もなく働くとすれば、そのような場合を指して「気が張った」と言うのである。もちろん努力にも気の張りは含まれている。気の張ったのにも努力は含まれている。しかし努力というものには少なくとも苦痛を忍ぶところが含まれているが、気が張って事を行う場合には苦痛を忍ぶということは含まれていないで、苦痛を忘れるとか、ないしは物の数ともしないというような光景なのである。細かく観察すると似ている中にも異なったところがある。
深夜に書を読み学んでいて、夜更時(よふけどき)になって次第に眠りが催して来る時に、意志を励まして敢えて眠らないのは努力である。学を好んで自然と睡りを思わないのは気の張りである。努力は「努めて気を張る」のであり気の張りは「自然に努力する」のである。二者の間に相通ずるところがあるのは勿論である、不自然と自然との差があり、結果を求めるのと原因となるのとの差がある。努力も良い事には違いないが、気の張りは努力にも増して好ましいことである。この気の張りということが有る以上は、願わくは張る気を保って日を送り事に従いたいものである。しかし人は一切の物と同様に、常に同じでは有り得ないのである。それで、或る時は自然に張る気になり、或る時は自然に弛む気になっているのである。一張一弛して、そして次第に或いは生長し或いは老衰するのである。張る気を保っていることは中々困難である。同じ人でも、その気の張った時は、平常に比べて、優れた人ででも有るかのように見え、かつまた実際に於いて平常の時のその人よりは卓越した人になるのである。前(さき)に挙げた女子が夜道を行く例、漁夫が流れを溯る例、学生の灯下研学の例もそうであるが、かよわい婦人が近隣の火災に遭って意外に重い家財を運べたりするのも、気の張った時には人が何時も以上の力を発揮する証例として数えられることで、その例と同じような例は世の中では多くの人が実に数々遭遇している事である。であれば、学問をするにも、事務を執(と)るにも、労働に服すにも、張る気を以ってこれに当たったなら、いわゆるその人の最高能力を出す訳で、非常にその結果は宜しいことになる。たとえ張る気を常に維持することが甚だ難しいとしても、少なくとも事に当り務(つとめ)を執(と)る時は張る気を以ってこれに臨(のぞ)みたいものだ。一気大いに張る時は女子も恐れを忘れ重い物を運び出せるのである。まして堂々たる男子が張る気を以って事に当り務(つとめ)を執る時は、天下に難事の有ることはないのである。
琴の絃はそれが張られて音が出るのである。弛(ゆる)めば音は低く、いよいよ弛めば音無しになるのである。弓の弦はそれが張られて矢を飛ばすのである。弛めば矢の飛ぶには力弱く、いよいよ弛めば弓矢の働きは仕ないのである。人もまたそうで、その気が張るのはその人が功績を立てて事を成就させる根源で、その気が弛めば効果は無く、事は失敗に終わるのである。気の張弛の人に於ける関係は実に重大であるというべきである。
張る気の相(すがた)は、夜が徐々に明けて一寸(ちょっと)ずつ明るくなると共に、一刻々々に陽気が増して行く時のようである。草木の種子が土の肥料と水の潤いを得て、徐々に膨らみ充ち、将(まさ)に芽を出そうとする状(さま)である。男児が十五六歳になって次第に男らしくなり、自然に大望を起こす気象や、押し太鼓の初めは緩く、中は緩みなく、終りは急になって、打ち迫り、打ち迫り打ち込む調子も、皆張る気の相である。最も良く張る気の相を示すものは進潮(上げ潮)である。大潮がムクムクと押し進み来て、汪々(おうおう)とさし進んで、見る見るうちに洲を呑んで渚を侵し、見渡す沖の方は中高(なかだか)に張り膨らんで、防ぎ止めることの出来ない勢いで押し寄せて来る状(さま)は、実に張る気の相である。種子のように、弓弦(ゆんずる)のように、暁天のように、少年のように、進潮の勢いのように、進軍の鼓声(こせい)のように、およそ内より外に向って発展しようとする象(かたち)は皆張る気の相であり、人に就いてこれを言えば、我が打向かうところに我が心がイッパイになる気合である。空気の充ちたゴム球のように、その内のものが減ることなく良くイッパイになって、そして外に向かってそこに在るのが張る気の象(かたち)である。書を読めば、その書と我が全幅の精神とが過不足なく対応しており、算盤(そろばん)を取れば、算盤の上に我が全幅の精神が打向かっているのが張る気の気合である。
書を読みながら、その書の上を我が心が一寸離れて、昨夜聴いた音楽の調節を思い浮べるなどというのは、気が張っていない散る気の象(かたち)である。書を読みながら他の事を思うというのでもなく、ただ浅々と書を読み、弱々と書を味わい、精彩なく気力なく、書物に対しているようなことは、これまた気が張っていないで、即ち気が弛んでいるのである。気の散るのは例えば灯火のチラつきのため物を明瞭に出来ないように、気の弛んだのは例えばゴム球の中の空気が萎(しぼ)んで、反発力が衰えているようなものである。算盤で運算しようとしても、気が散れば必ず過失を生じがちである。また気が弛めば必ず運算するのに明敏ではなくなりがちである。もしそれ、気が張っていれば確実に明白に、少なくともその人の技量の最高最頂だけの事は出来るのである。
同じローソクが燃えているのでも、その一本のローソクの火に気の張弛があって、従って光の明暗が有り効果の多少がある。ローソクの火に気の張弛が有ると言えば可笑しく聞えるが、暫くその芯を切らずに芯の燃えカスをそのままにしておけば、ローソクの火の気は弛んでその光は暗くなりその効果は少なくなる。もしその芯を切れば火の気は張って来る、そしてその光は明るくなりその効果は多くなる。一本のローソクにも一皿の灯火にもよく観ると気の張弛は有る。同じゴム球でもそのゴム球の冷えた場合には、その中の空気は萎縮して弛む。これを暖めればその中の空気は膨張して張る。空気が張れば反発力は加わり空気が弛めばその力は衰える。ローソクが急に太くなり細くなるのではなく、ゴム球の中の空気が急に増したり減じたりするのではないが、一張一弛は確かにそこに在り、一張一弛がそこに在れば、その結果は明らかに差異を生じる。この二つの比喩(たとえ)の示すように、人もまた張る気で物事を行うのと、弛んだ気で物事を行うのとでは、大きな差がその結果に生じる。出来れば張る気を以って物事を行いたいものである。
我が全幅の精神で物事を行うということは、正直で有ったならば誰でも簡単に出来そうなことであるが、しかしそう簡単に出来るものではない、或る人には散る気の習癖が付いており、或る人には弛む気の生じる習癖が付いている。その他、逸る気の癖であるとか、悖(もと)る気の癖であるとか、暴(あらぶ)ぶる気の癖であるとか、空(うつ)ける気(ボーとする気)の習癖であるとか、昂(たかぶ)る気の習癖であるとか、種々の悪い気の習癖が有るものであるから、なかなか張る気だけを保つことは難しいのである。ローソクの芯を切ればしばらくは次第に明るくなる、それは張る気であるが、又やがて暗くなるのは、火の気が燃えカスに妨げられて弛み弱るからである。ゴム球のやや古びたのは既に気が足らなくなっているから、一時は温暖の作用によって張っても、又やがて弛んで反発力は衰えるのである。
張る気の反対の気は弛む気である。気というものは元来「二気を合せて一元となり、一元が分かれて二気となる」ものであるから、必ずその反対の気と引き合い、生じ合い、招き合い、随い合うものである。そこでたまたま張る気を以って物事を行っていても、少時(しばし)で直ちにまた反対の弛む気が引き出されて来て、次第に張る気が衰え弛む気が長じて来ることは、例えば進潮(上げ潮)が永く進潮であり得なくてやがて退潮(引き潮)を生じるようなものである。そこで、折角張る気を以って物事に接していても反対の弛む気がやがて生じて来る。これが一難である。
それから又「母気は子気を生じる」のが常である。張る気を母気とすれば逸(はや)る気は子気である。逸る気は一気に効果を急ぐ気で、枯草や乾柴(ほししば)の火が永くは続かず、つむじ風が朝のうちに止(や)むようなもので永続しないものである。「駒の朝勇み」という諺(ことわざ)が有るが、駒が未(ま)だ馬と成らない内は、甚だしく逸り勇むもので、朝は好んで駆け回るが夕に及んでは、ヘトヘトになり朝の元気が無いのが常である。逸る気で事を為す者は、書を読めば流れるように一日に数十巻の書を読み、文章を作れば飛ぶように千万字を筆にするような勢いを示し、道を行けば忽ち山河丘陵をも飛び過ぎるような意気を示す。しかし逸る気で事を行う者の常として必ず疲労と躓(つまず)きが出て、勇気は頓挫し萎縮し振わないようになるのである。張る気は甚だ良い気であるが、張る気が一転して逸る気となると、善悪は別として多凶少吉の気となる。書を読めば早飲み込みをする傾向が有る。字を写せば落字錯画の過失をする傾向がある。算数をすれば桁違いや撥込(ばじきこ)みなぞをする傾向がある。道を行けば或いは脇道に入り、或いは曲がり角を誤る傾向が有る。そういう過失や間違いに陥らないとしても、一気は早く尽き余気はなくなってしまうから、書を読んでも書を読み続けることが出来ない、字を写しても字を写していることが出来ない、算数をしても算数の事を続けられない、路を行って中途で退屈するようなものである。折角張る気であっても流れて逸る気となってしまう。これも一難である。
昂(たかぶ)る気もまた張る気の子気として生じる。幸にして張る気から逸る気を生じないで、しばらくは張る気を保つ、そして幾らかの時が経つと、張る気の結果として幾らかの功徳(くどく)が生じる。その時その人の器(うつわ)が小さいとか気質に偏りが有るとかすると自然と昂る気を生じる。昂る気の象(かたち)は、世の中に驕り昂(たか)ぶり、人々を圧倒するのである。一巻の書を読めば、その三、四分を読んで一巻の説くところを知るとするのは、昂る気の仕業(しわざ)である。人の言を聴くのに、その言が終わらないうちにこれを批判するのは、昂る気の習癖がある人の常である。十万二十万の富を得ると、百千万の富を得ようとするのは、昂る気の習癖のある人の常である。世の多少の半英雄、世間の幾多の半聡明の徒は、みなこの昂る気の習癖を持っていて、その為に成功できず事業は失敗し、終にはひねくれた気の習癖を抱くことになるのである。この昂る気が一度(ひとたび)生じると、張る気の働きは張る気の正しい働きをしないで、良い張る気の働きをすることが日に日に無くなって行くのである。偶々(たまたま)その人が張る気になっても、早くも昂る気が生じて来て、後には殆んど純正の張る気の働きは無いようになるものである。例えば南海の上げ潮の時に、強い南風がこれに加わると潮狂いになっていわゆる潮時(しおどき)と云うものを失ってしまうのである。真に潮が進むべき時に潮が進まないように、真に優れた作用の張る気が却って見えなくなってしまうのである。張る気の後に昂る気の生じ易いのも、これも一難である。
凝(こ)る気は張る気の隣気である。その象(かたち)は張る気に似て甚だ近いものである。しかし張る気とは大きな差がある。張る気は我が対(む)かう所に対して我が心が一杯に充ちているのであるが、凝る気は対(む)かうところに我が気が注ぎ潜(もぐ)ってしまうのである。我が心が既に我が心でなくなったようになって、ただ一方向になるのが凝る気である。例えば道を行く旅人が、行きかけた道なのでと云って、右も左も見ないで一方向に進むようなものである。その取った道が過っていない時は良いけれども、もし正路を失っている時は非常に悔恨を招く。碁を囲んでいて、敵と争う一局面の処に勝とうとして、他の処を打忘れるようなことは即ち凝りである。全盤を見渡して良い手良い手と心掛けて勇むのは張る気の働きである。今争う一局面の他には争うべき処(ところ)も石を下すべき処も無いように思って、どのようしても敵を負かそうと思うことは、即ち凝るというものである。凝るのは死である。高山の湖水の凝然(じっ)として澄んでいる状態は凝る気の象である。思いのままに動けない、束縛がきつい、恐ろしく厳しい状態に有るのである。張る気は善悪を論じれば善である。大小を論じれば大である。吉凶を言えば不凶不吉である。凝る気は善悪を言えば不善不悪である。大小を言えば小である。吉凶を言えば多凶少吉である。英雄にも俊傑にも凝る気の習癖が多い人は有る。武田信玄(戦国大名)や上杉謙信(戦国大名)も晩年までは凝る気が脱けないで、「川中島の戦い」に半生の心血を費やしたのである。徳川秀忠(徳川二代将軍)も凝る気の働きに任せて、「関ヶ原の戦い」に間に合わなかった。家康と戦って負けた秀吉は、口惜しくも思っただろうが、「小牧・長久手の戦い」の負け戦(いくさ)にあって、戦いを続けないで自分の母さえ人質にして、家康の上洛を促して、そして天下の整理を早めたところは、流石(さすが)に凝る気の弊害を受けないで、張る気の効果を用いた秀吉の大人物たるところである。勇士・学者・軍師・芸術家などと云うものは剛勇でも聡明でも、多く凝る気の弊害を受けがちのものである。武田勝頼の「長篠の戦い」などは、いかに凝った気の恐ろしいもので有るかを示している。出もしない、入りもしない、一軍がそこに在るのみ、後へも前へも右へも左へも行かない、凱歌を奏でるまでは退かないと、我が対するところに一念凝り詰めて、悪戦苦闘して辞さなかったのは勝頼である。もし勝頼を一部将として秀吉のような人がこれを用いたならば、実に勝頼は偉勲大功をも立て得る猛勇の将であるが、凝る気が恐ろしい敗けを招いたのである。勇者というのはすべて張る気の強い人をいうので勝頼なども勇者には違いない。が、惜しいことに、その恐ろしく強い張る気が、隣気の凝る気になってしまったので、事が失敗し功績を失ったのである。秀吉は「小牧・長久手の戦い」に敗れたが、気は屈しない、勇気は十二分に張っていたのである。しかしその張る気だけを用いて凝る気に落ちなかったので、機略を思うままに用いて、終に家康に沓(くつ)を取らせて(服従させて)、「徳川殿に沓を取らせたる事よ」と、謙遜の中に豪快の趣(おもむき)を込めた言葉すら放ち得たのである。死生より論じれば凝る気は死気である。張る気は生気である。凝る気は一所不動の気である。張る気は融通無碍の気である。凝る気は悪気ではない、しかし凝る気にならずに張る気を保ちたい。気の張ることが壮(さか)んで強いものはともすれば凝る気になる。これもまた実に一難である。
上に挙げた以外に、なお多く子気も有れば隣気も有るから、張る気を張る気として保って、そして物事に接するということは、中々簡単では無いのである。さてそれではどのようにして張る気を保とうかということについて語りたいが、これに先だって張る気の盛衰に就いて語ろう。人事は覚り難いようであるが実は覚り易いところもある。天命(自然の法則)は知り易いようであるが詳しくは解り難い。但し人事は結局、天命の中に含まれている。天命で人事を推し測ることは出来るけれども、人事で天命を説明する訳にはいかない。人は天地の間の一塵であるから、その大処より論じれば天地の規則に従うほかはない。しかし人事は我に親しく天命は情に遠いから、その密接で切実な処より論じるには人事を観るに越した事はない。張る気の起って来るところを人事から考えると種々ある。
第一には「我と我が信との一致の自覚」から起こる。これは最も正大で崇高なものである。仮令(たとえ)そのいわゆる我が信なるものが誤っていても、その立派なことを失わないと言いたい。仏教であれ、儒教であれ、キリスト教であれ、回教であれ、道教であれ、ないしは自分が発見もしくは自分が得た悟りや認識や肯定する信条であれ、およそ真実である、公明である、中正であると信じるところのものと、自分との間に反することが無くて一致することを自覚したならば、人はこれくらい勇気が渾身に満ち張ることはあるまい。昔の伝道者や殉教者や立教者や奉道者が、世俗から云えば堪えられない困難・凌辱・痛楚・悲哀等に堪えて、屈せず弛(たゆ)まず一気緊張して、一条のレールのような立派な生涯を遂げた根本のものは、多くは実に我と我が信との一致の自覚に因るのである。人間の道此処に在り、天神の教え此処に在り、曲げられない真理此処に在り、優れた真価此処に在り、信じるもの此処に在りと確信する、その至大・至神・至真・至聖のものと我とが、一致していると自覚する時は自然と我が気は張る道理である。道義や宗教の上だけではない、数学や天文学や地学ないし理学・化学その他の学科について、我が信じるところと我との一致の自覚は、明らかにその人をして十二分にその気を張らすに疑ない。そして気が張ればいよいよ、その道・その教(おしえ)・その学に奮励精進させるから、益々その自覚の核心を強固にして長養する。自覚の核心がいよいよ強固になり長養すれば、いよいよ気が張るから、遂に一気は徹底して至偉至大の事を為すに及ぶのである。
孟子(中国、戦国時代の儒学者)のいわゆる浩然(こうぜん)の気のようなものは、この間の消息を語っているものと理解できる。至大・至正・至公・至明の道と我とを一致させるのが、即ち浩然の気を養う根本である。古今偉大の人、賢聖の人々、誰が浩然の気を養わない者があろう、皆良く浩然の気を養い得ている人である。日蓮(日蓮宗の開祖)でも、法然(浄土宗の開祖)でも、パウロ(聖人、初期キリスト教の使徒)でも、ペトロ(聖人、キリストに従った使徒の一人)でも気の萎えた人などは一人も無いのである。若(も)し徳いよいよ進み、道いよいよ高ければ、その気はいわゆる凡人の気というものとは、自然に異なって来るに違いないから、聖賢の世界の事は此処では避けて言わないとするが、要するに「我と我が信との一致の自覚」は最も良い意味で張る気の起る因(もと)となる。
信(しん)は意と情と智との融和の上に立つ信を最上とする。しかし大多数の人について言えば、そういう最上の信だけではない。智が不足の信もある、情が不足の信も有る、意が不足の信もある、情智不足の信も有る、智意不足の信もある、意情不足の信も有る。三因具備の信はむしろ稀少である。しかし因不足の信でも何でも信は信である。智が反逆を企てている信もある、意が反している信も有る、情が反している信もある。これ等は理解できない矛盾であるが、実際には存在しているものである。智情が反している信もある、情意が反している信もある、智意が反している信もある。これ等も奇妙な事ではあるが世に存在している。およそ信の力は因(いん)の不足や反因の存在に因(よ)って、甚だしく高低大小を生じるが、それでも信は信である。それ等の各等級の力の信と自己との一致は信力の違いによって違う状態を現わし、従ってまた張る気の状態を異にするは勿論であるが、それでも我と我が信との一致の自覚は、或いは多、或いは少であるにせよ、張る気に影響することは勿論である。
第二には「心の持ち方」によって張る気は生じる。例えば幼い児がいる商家の主婦が突然に夫を亡くしたような場合である。哀しみ泣き暮れるほかは無い折であるがここは大切の時である。いたずらに泣き崩れている場合ではない。どうにかして亡夫の遺児を育て上げ、夫の跡目も見苦しくないように仕なくてはと女ながらも店を閉じず、出来ないまでもと甲斐々々しく働くようなことは、心の持ち方で張る気が生じたのである。人は境遇の転変に因(よ)って心の持ち方を一大転回させることがあり、一大発作をすることが有るものである。そういう場合には甚だしい気の変化が起こる。逸る気になるのもある、散る気になるのもある、弛む気の生じるのもある、昂る気の生じるのもある、凝る気の生じるのもある、縮む気の生じるのも有り、伸びる気の生じるのも有る。上に挙げた寡婦(かふ)のような場合に当たっては、先ず普通の婦人であれば縮み萎(な)える気が生じて身体も衰え才能も鈍り、幸運が訪れない限りは次第に悲境に陥(おちい)るのである。また或いは凝る気を生じて、神とか仏とかキリストとか或いはそれより下(くだ)って牛鬼蛇神の類のようなもの、巫覡(神下ろし)・卜筮(占い)・方鑑(占星)の道、その様なことに心を委ねるようになるのもある。しかしまた張る気が生じて、今までは夫の存在に因(よ)って我知らず弛みきっていた気を張り、衣服装飾から飲食の末までを改め改め、必死になって家を保ち、児を養おうとする者もあるのである。そういう場合には一婦人の身であっても中々侮(あなど)り難い事を為すもので、いわゆる「気の張り」は才智をも発展させ、挙手投足をも敏活にさせるもので有るから、「その人が天より受けただけのものは十分に使い尽す」状態になる。気を張って事を為したからとて、必ずしも成果を収めるとは限らないが、人が天より受けただけのものを十分に使い尽せば、天がどうして無禄(むろく・無報酬)の人を生じさせることがあろうかである、その人の分限相応だけは働きの報酬を受けて、案外に張る気という善気の結果を出し得て、それほど吉祥(きっしょう)ということも無い代わりに、それほど大凶ということにもならないものである。背水の陣の兵必ずしも勇士だけではない、心の持方から張る気を生じさせたのは、韓将軍(中国、戦国時代の将軍、背水の陣)の兵機を観るに卓絶なところである。こういう場合だけでなく種々の場合に於いて、人は心の持ち方で張る気を生じるものである。
第三には「情の感激」によって張る気を生じる。前に挙げた孝女が医者を呼びに物寂しい夜道を行くようなことは即ちこれである。嫉妬の念・感恩の情・憤怨・恨怒・憎疾・喜悦・誠忠その他諸種の情の感激は、ともすれば人に張る気を生じさせる。しかし醜悪の情感は張る気のような善気を発するよりは、或いは悖(もと)る気、或いは暴(あらぶ)ぶる気、或いは逸る気のような悪気を生じる場合が多く、歓喜の情のようなものは醜悪というのではないが、張る気を生じるよりは弛む気を生じる場合が多い。正しく美しい情の感激は張る気を生じる場合が多い。女王イサベラ(スペイン、カスティーリャ女王イサベル一世)の援助は、思うにコロンブス(アメリカ大陸発見者)に十分な張る気を生じさせたことだろう。近松門左衛門(江戸時代の歌舞伎作者)はその戯曲で、美人の温情が難与兵衞をして奮って気を張らせたことを描いて、一場の名場面を作らせている。実際は情の感激から張る気のような善気を生じる場合は、むしろ少ない方に属するが、歴史や伝記や戯曲や小説に於ける佳話は、多く情の感激から善にして正しい気の緊張が、終に好結果を結ぶ傾向にあるといっても良いくらいである。
第四に「智の光輝」によって張る気を生じる場合を挙げたい。しかしこれもまた寧(むし)ろ稀な事実に属する。但し多くの発見者発明者等の伝記を繙(ひもと)けば、智の灯りによって或る事象の一端一隅を知り得て、そして忽ち張る気を生じ、少なくない時日の困苦を意とせずに終には成果を挙げた例を見出すことは難くない。張る気は人の学才智慮を拡大し、膂力(りょりょく)や意気を拡大するので、智光いよいよ輝けば気はいよいよ張り、気いよいよ張れば学才智慮はいよいよ拡大されて、その人は意識することなく自己の最高能力を発揮する。その光景は経験のない者には伺い知ることが難しいところだが、例えば勇士が敵を望んでいよいよ意気軒昂となるようなものであることを疑わない。
元来知識の威力は灯のようなものである。灯は外界が闇黒(あんこく)になるに従ってその威力を増し、闇黒の度が減じ明るくなるに従ってその威力を減じ、明るい昼間には殆んどその威力を失う。それと同じく知識は社会が知識を欠いている度合いが強いことに従って、甚だ微少の知識でも一歩進んだ知識であれば、その知識は燦然と光輝を放って、無知識の暗闇(くらやみ)世界に美しく威力を振うものである。一点の星灯りも漆黒(しっこく)の暗闇に大威力を発揮するように、微弱な知識でもそこに一点の光明があって社会の暗闇を破るのを覚える時、これを見出した人はどれほど勇気を生じるだろうか。ニープス(フランスの写真家)やダゲール(フランスの写真家)が、光線が他物に及ぼす力に差のあることを知って、撮影の術の達成を信じた時の知識は、今日の我々が持つ写真術の知識に比べて如何にも微弱なものであったに違いない。しかし出来難いものの比喩(たとえ)に、影を捉えるという程の当時の無知識の闇の中に在って、一歩進んだ知識を持った二人が、その自己の持つ知識が燦然と輝き、暗黒世界を照破(しょうは)する景色を認めた時は、いかにその大威力を讃嘆し感賞して、その為に言うに云えない霊威を授けられた思がしたことだろう。そして又その霊威に励まされたことは、どれほど二人に無限の希望と喜びと勇気を与えて、周囲の惨苦の光景に堪え一身の気分を緊張させた事だろう。およそ知能が世に先だって群を抜く人は、多くこれ等の光景に遭遇してこの滋味を知り、他人が視てそして難しいとするところを為し得たのである。
第五に「美術及び音楽等に宿る作者の強大な張る気」から張る気は生じる。これは特に張る気だけがそうなのではない、人はすべて共鳴作用のような心理を持つから、甲人の萎(な)えた気は乙人の萎えた気を誘起し、丙人の散る気は丁人の散る気を誘起する。その他すべて多少によらず或る人の或る気は他の或る人に或る気を起させるものである。狂気は散る気・凝る気・悖(もと)る気・暴(あらぶ)ぶる気・沈む気・浮く気等あらゆる悪気が入り乱れ膨らみ、時と境の二圏の輪郭を破砕して発生するものであるが、その気は一切の悪気の最たるものであるから、甚だ稀ではあるが伝染・感染の作用をする場合がある。狂気までには至らなくとも、悪気は全て善気よりも共鳴作用を起こしやすい。それは世の中、自然と平生善良の資質を抱く者よりも、雑駁不純の資質を持つ者の方が多いからで、愚劣な事が賢良な事よりも却って俗衆に歓迎されるのと同じ理屈である。
多人数の集会は、換言すれば優良な資質を持つ人よりも優良でない資質を持つ人が多いから、ともすれば甚だしく気の偏りの有る二三人がその中に在って突飛で狂妄な言動を演じると、その気の偏りの威力に動かされて共鳴作用に似た心中の波動を起こし各人が持っている同じ気が発動し始める、やがてその同気の発動が五人から十人、十人から二十人というように次第に多数の人々の上に及ぶと、これを音響にたとえれば次第に洪大な音響を発するような訳に当たるから、その大音響に衝動されてまたまた他の人々の気の絃(いと)が共鳴作用を起こして、終には比較的健全で平静な人々、即ち少量しかその気を持たない人々までも、強いて共鳴を余儀なくされて騒ぎ立てるようになり、一悪気一凶気が場を蓋(おお)って他の善気・吉気は潜没してしまう。その挙句はずいぶんと気狂いじみた事を仕出かすものである。これ皆気の共鳴作用というべきもので、特に暴ぶる気などは他の種々の悪気が発動し帰着するところのもので有るから、容易に共鳴作用を各種の気に対して発し易い。凝る気も一変すれば暴ぶる気になる。猛勇の将士が悪鬼のようになる事を考えると解ることである。凝る反対の気の散る気も暴ぶる気になる。街頭で些細の事から喧嘩などをして警官の手を煩(わずら)わす人には、散る気の習癖の有るものが多い。逸る気もまた暴(あらぶ)ぶる気になる。軽挙妄動して事に失敗する者は多く逸る気の一転である。悖る気はもとより暴ぶる気の陰性で念入りなもので、まるで鉤(つりばり)の戻りのように、バラの棘のように、人が右に行こうとすれば右に行けなくし、左に行こうとすれば左に行けなくするものであるが、これが一回転して暴ぶる気になると悪辣(あくらつ)さは苛烈を極めて、人を殺してその肉を啖(く)らい、国を夷(たいら)げてその墓を発(あば)くような事になるのである。昂る気も一屈再屈三屈すれば、終には転じて暴ぶる気になる。百千万人を殺して笑って酒の肴とするのはそれである。その他暴(あらぶ)ぶる気と一脈通じ同調する者は甚だ多いから、凡庸の人が多人数の集会では、ともすれば愚挙を生じる。ましてや或る意味が存在し、或る一気が流行する時にはそうである。これ故に昔から大悪党などは毎々この気の共鳴作用を利用して事を起こすくらいである。このように気の共鳴作用が存在する中に、善気の共鳴作用は多くはない。しかし、キリスト教徒の復活のような「気の伸び」を欲して、直ちに一切の利害を脱して正しきに合せんとすることも起る。
美術音楽は天地の自然が作り出したものではない。人の自然が作り出したものである。人は何等かの気があるものである。それなので、人の作り出した美術音楽には、その作者の気が宿らないことはない。であれば、或る作者の或る気を宿した美術音楽は、その中に宿っている気の作用によって、観者や聴者の気に共鳴作用を起こさせる。前に挙げた多人数の集会での共鳴的作用は、普通の人の気の働きが他の人に及ぼして起こるのであるが、それですら偉大な伝播を生じるのである。ましてや美術や音楽は、特異な才能を持つ人の特異な興奮状態から結晶して成り立ったものであるから、その作用は普通の人の気の作用よりどれほど強いか知れない。そこでその美術や音楽の作者が、或る気から生じた或る作品或る楽曲を社会に提供するに際して、その作品または楽曲に接した人は、自然とその中に宿る気の作用を、意識的に若しくは無意識的に感受して、そしてその気によって衝動刺激される結果、共鳴的作用を起こして、自分もまたその気を誘発されるのを免れない。即ち頽廃傾向の作品を観たり聞いたりした場合には、同じく頽廃的になり、奮激緊張傾向の作品を観たり聞いたりする場合には、同じく奮激緊張するのであり、幽玄の作品や楽曲に接しては、又同じく幽玄の心を動かされ、軽薄(けいはく)淫靡(いんび)の作品や楽曲に接しては、また同じく軽薄淫靡の心を唆立(そそりた)てられるのである。換言すれば授者と受者との間に共鳴的作用の成立した時が、即ち芸術の効果が成り立ち、力が行われたと言ってよいくらいなのである。我々が卓絶した美術家・作曲家等の、作品・音楽等に接して、或いは美しく、或いは喜ばしく、或いは悲壮、或いは清怨等の感を生じるのは、つまり作者が芸術に臨む時の心象の反映に過ぎないのである。
この理屈に因って芸術家の選んだ題目や手法や内容が、たまたま我々の張る気を誘発するものであった時には、我々の気はこの為に共鳴的作用を起こしてそして張らされるのであるし、弛む気を誘発するものである時は、必ず弛まされるのである。特に張る気に限って起されるというのではない、どの気でも起される。しかしその中でも、薬は効きが薄いが毒は能(よ)く効く理屈で、弛む気であるとか、殺(そ)げる気であるとか、浮く気であるとかの悪い気は簡単に誘発されて共鳴的作用を為すものである。猥画や淫曲は下手なものでも人を動かすが、これに反して高尚な画や気品のある曲は、巧(たくみ)なものでも俗人の耳目を悦ばせるところとはならない。これには種々の理由があるが、多数の凡人は善い気を持つ者が少なくて共鳴的作用が起きないことも大きな原因である。画や曲などは気にもかけないと言ってはならない、嬌態をした美人の流し目の、艶めかしく、滴(したた)ろうとするばかりの画を観る時は、確かに人の気は猛々(たけだけ)しくは在り得ないのであり、迫りくる情・纏(まと)いつく意(こころ)・女性を愛(め)でる念(おもい)・色気ある寄り添うような淫らで優美な曲を聴いては、確かに人の気は氷のように冷徹で、石のように貞淑では有り得ないのである。同じ美人を描いたにしろ、聖母や仙女を描いたものに対しては、もしその画家が画題に適応した精神とその表現法を以って描いたものならば、我々は艶容な美人の図を観るのとは大いに異なった気を誘発されるだろうし、同じ人情を伝えた曲にしろ、或いは貞女が出征の夫を思い、或いは勇士が家族と別れるような場合の情を示した曲を聴いたならば、我々は色っぽい曲を聴くとは大いに異なった気を誘発されるだろう。であれば、張る気のような善気を保とうとするには、弛む気を生じさせる傾向の美術音楽等は努めて之を遠ざける必要がある。彫像は運慶(平安末期、鎌倉初期に活動した仏師)以上、書は魯公(ろこう・顔真卿、中国唐代の政治家、書家)以上、李杜(李白・杜甫・・中国唐の詩人)の詩、韓蘇(韓愈・蘇軾・・中国の文人)の文、画にしても音楽にしても、謹厳で嗜(たしな)みのあるもの、豪宕(ごうとう)で力量のあるもの、優雅で卑俗でないもの、純正で邪悪でないものには、その中に堂々凛々(りんりん)としたものが宿り充ち溢れている以上は、みな以って我が張る気を誘発して共鳴的作用を起こし、若しくは我が気の絃(いと)を協音的に鳴り響かせ振い起こさせるものである。
「環境の変化」もまた張る気を起こさせるものである。昨日まで無職だった人が今朝は役所に就職するとか、昨月まで役人として長官に使われていた人が、今月からは自分で店鋪を開いて、自由に力を発揮するとか、或いは僻遠の地方にいた人が、希望がかなって都会に住むことになるとか、或いはまた繁華な都会の粉塵の地を脱して山高水長の清境を歩き回るとか、或いは立派な家柄の人が忽ち漁師や農民の生活する荒れ里に身を落とすとか、貧人が急に富むとか、貴人が忽ち落ちぶれるとか、寡婦(かふ)が夫を得るとか、悪賢い人物が起こした乱に遇うとか、およそこのような環境の変化に際会して新しい状況に出遇う時は、人の気は自然と張るものである。これは環境の変化によって自分で意識して大いにその気を張ることに基づくが、しかしまた無意識に張る場合もあるので、およそ土地・気候・天候・空気・風俗・習慣・言語、これ等のものが昨日と今日と大いに異なれば、昨日と今日と我が受けるところのものが大いに異なる為に、身心の状態が自然と昨日と同じではないことになり、自分に取って有利であるにしろ不利であるにしろ、生気がある以上はその気が大いに張られるのは必定の事である。
環境の変化でなぜ気が張るかというと、この問に対しては一ツの答だけでは無く幾ツかの答が有るのである。第一に環境が善変した場合、第二に環境が悪変した場合、第三に甚だしく善変も悪変もしないがとかくに環境が変化した場合、これ等の場合の種々の差に因って人の受けるものも違い、これに対して生じる身心の状態も違うから、一概に説くことは出来ない。第一の環境が善変する場合には、身体状態が精神状態と共に善変して、そして張る気が生じる。汚染した空気の中で生活した者が清浄な空気の中で生活する時は、空気そのものから受ける影響だけでも決して少なくはない。咽喉・気管・肺が快適になるだけでなく、肺への酸素の供給が十分で血液の浄化作用が完全に行われる結果、循環作用は良好となり、脳及び各器官はその消費に対する補充を得易くなり、胃腸の働きは強まり、摂取と排泄との連携は良好になり、新陳代謝はテキパキと遂行されて、身体は安らぎ精神は整えられる。もしこれに加えて時々、オゾンを発生する波の激しい海岸とか、または気温の激変のない海辺近くとか、または大気の湿気や暑熱の無い高燥の地、ないしは砂地土壌の土地とかであるならば、いよいよその人に物質的利益を供給する。もしまた清鮮な野菜・魚肉・鳥獣肉・果物等が潤沢に得られる土地であれば、事情はいよいよその人の身体を良好にし、その精神状態をも良好にする。もしまた僻地や寒村から都会に出て美味しい食事を得るような場合でも、その失った良い点が得た所よりも少ない時は、同じようにその人の身体状態が良好になる事は、但馬牛が神戸付近に出て美食を得た為に、急に毛色も美しくなり肉付きが十分に発達するようなものだろう。その他事情は種々様々だが、およそこれ等環境の善変の中で実体を伴う善変は、先ず身体状態が善変してそして精神状態も善変する。そこで栄養の十分な樹は自然と生々の力が充実するように、身体状態の善変が精神状態をも善変すれば、自然と気が張るのに不思議はない。
栄養不良で身体日々に衰える場合は、昨日は六十キロの物を挙げられたのに、今日は五十八キロしか挙げられず、今日は五十八キロを挙げられても、明日は五十六キロしか挙げられないようになる。これは身体の衰弱により力が減少して行くのである。これと反対に栄養が良く身体が日々に強健を増す場合は、力は次第に強まって行くものである。腕力は筋腱だけによるものではない。また意志だけによるものでもない。意志と筋腱との互いの働きによって成立つものであるが、筋腱が自然と発達して実質が増す場合には、力もまた自然と増加する。日々に意志を注ぐと力が増すのは事実である、このように意志によって力が増加するのは、つまり意志の為に促されて筋腱の発達に必要な物質が日々に提供される結果として次第に実質が増加をして、そして後に力が増加をするのである。故(ゆえ)に意志の注加によって力量が増進するのも、形として論じれば筋腱が太り強まった為である。今力量を増加しようとする何等の意志がなくとも子供が次第に成長するように、また病後の人が次第に回復するように、実質が次第に増加する場合には、力量も次第に増加するのである。従来に比べて栄養良好で身体が日々に強健になって行く場合にもまた、力量は不知(しらず)不識(しらず)の間に増加して行くのである。まるでこの身体の力量増加の例と同様、精神の力量もまた栄養良好で身体が日々に強健を増すような場合には、日々増加して行くのである。さて潮が刻々に進み満ちるように、春の温度が日々に進み高まるように、精神の力量が身体状態の為に段々と増加する場合には、気も自然と張るものである。張るとは次第に無より有に進み、少より多に進む場合を云うのであるから、たとえ微少(すこし)ずつにせよ精神の力が増加して行く場合には、即ち張る気が現われるのである。環境が善変する際には、環境の善変が直ちに精神状態を快適にするということも、正(まさ)しく張る気にする一因で有ると同時に、身体状態の変化が精神機関の実質、即ち脳や神経等、そのものの改善に及ぼす結果として、精神力量は次第に増加する。その結果、自然と張る気が生じさせるのである。
であれば、環境の善変の場合には直接と間接との二ツの理由により張る気が生じるのであるが尚(なお)その他に、善変・悪変・不善不悪変の三ツの場合を通じて、すべて環境の変化が張る気を生じさせる理屈である。それは全て新しい刺激が心境に新しい衝動を与えて波浪を煽(あお)るものであって、そしてその波浪の衝激は心境の沈滞を破り、腐気を吹き払って、元気を振り起す為に自然と気が張る訳なので、環境の変化がいうまでもなく新しい刺激を与えるからである。詳しく言えば一切の生物には、その活力が在る限りは、環境の変化に対して自己を防衛する為に、環境に対抗する作用が先天的に与えられているので、その対抗作用が振興される場合には、他の一面において今まで永く働いていて、疲労困憊していた精神の一部分が休養を得ると同時に、今まで永く休んでいた部分が猛然として起って、その力を発揮するような状態を現わし、まるで政局一新して老官が引退し新才が登用され役所の中が活気に溢れるみたいな状態になり、身心全体の衰え若(も)しくは平静が破られて、そして興奮もしくは発展が惹き起こされる。人類に限らず他の動物でも植物でも永く同じ状態に在る時は、衰弱を来たすのである。動物が同じ状態を繰返す時は、身体及び精神の同じ器質及び機能だけが使用されるから或る程度までは進歩するが、それから後は倦怠疲弊するのを免れない。植物は常にその根幹(こんかん)茎葉(けいよう)を張って自然に、同じ状態に在ることを避けているが、もし盆栽のように常に同じ範囲内に置くときは、その葉を剪(き)って枝を除き或いは肥料を与える等の処置を巧妙にして、努めてその単調を破るようにしない時は或る程度になると枯死する。一年生植物でもマメ科やナス科の植物が連作を嫌うのは、明らかに同じ系統のものが永く同じ状態を繰返すことの不利を証明していると云ってもよい。人もこの道理の及ぶところを免れない。環境が変転して、絶えず旅をしていて、あちらこちらと困難なさすらいの生活をする者が、意気銷沈するかと思えば却ってそうでも無くて、「美妾(びしょう)左右に侍(はべ)り、膳夫(ぜんぷ)厨に仕える (美人や料理人を雇っている) 」というような安逸の生活を続ける者が、勇往の気を永く持続するかと思えば却って脆弱で、ともすれば胃腸病ないし神経衰弱なんぞに罹っている者が多い。環境の安定は確かに或る程度までは幸福であるが、或る程度を過ぎれば発達進歩を停止し、次に萎靡不振(いびふしん)を来たし、張る気を保たせないのである。
草木は動物と違って或る地点に植えられれば、また自分では移動することが出来ないものであるが、絶えず努力して新しい土へ土へとその根を伸張させているものである。その時に土中の障害に遭遇して根を新土に延ばすことが出来なくなると、その発達は停止する傾向を為すが、幸(さいわい)にして障害物の隙間等を穿って再び新しい土地にその根を伸張できれば、急激に活気は増加し、発達は再び遂げられるのである。庭上(にわさき)の松柏の類の成長発達には間欠があって、俗にいう「節(ふし)」のある育ち方をするのもこの理由である。盆栽のようなものは固定されて生を保つものであり、新しい土地に根を伸張しようにもそれが出来ないので、自然に放置すれば幾年もなくして枯死するのを免れないのであるが、上手に之を保って老蒼の態(ろうそうのてい・古色蒼然の姿)を生じさせる技を持つ人の為す所を見れば、常に抑損法(よくそんほう)を施しているのである。或いは枝を剪(き)って、或いは芽を摘(つ)んで、或いは花葉を刈り去って、自然に放任すれば伸びるだけ伸びて極度まで発達して仕舞うから、その後は発達することが出来なくなり終には次第に凋(しぼ)み枯死するのであるが、未(いま)だ十分にその極度にならないうちに先だって抑損される時は、なお幾分かの発達の余地が在る。そこでその鉢裏(はちうち)の植物はまた努力して発達する。また未(いま)だ発達の極度にならないうちに先だって抑損される。また発達する。つまり鉢裏では発達の度合いは甚だ低微(ていび)であるが、その低微な極度に達しないうちに先だって抑損法を施して常に発達の余地を残す時は、その植物の成長の道は人為に因(よ)って処理され循環的に行われるから、急速な枯死を免れて年月と共に老蒼の態を為し得るのである。上に挙げた庭前の松柏は自分で新しい環境を求めるのであるが、この盆栽の植物は人為によって与えられた新しい環境によって生を保つのである。また或る宿根草は旧根の一方に偏って新根を下ろし旧根は次第に腐朽するので、まるで歩行するように移動するものもある。これもまた環境の変化を欲して、新土の中から自己の成長に適した養分を吸収する為にそうするのであろう。
人も一定の職業・土地・栄養・宗教・習慣・知識等に固定される時は、或る程度までは確かに発達しかつ幸福になっても、その後は自然とその固定状態を脱することを欲する傾向がある。これは人類の成長の根本の法則によるものかどうかは此処では論じないが、世の中に多く見る事実である。稀には科学に於けるいわゆる安定物質のように十年一日の如く、安らかに落ち着いている人も有るが、多くの人は新を追って旧を棄てようとする傾向がある。この事を単にその人の節操の不確かとか意志の弱さとかの性質の軽浮に帰して、解釈すれば解釈は出来るのであるが、それよりは寧ろ人々の内部に潜んでいる自然の要求がそうさせると解釈した方が、正確ではないだろうか。マメ科植物が連作を嫌うのは、その土壌の養分を吸収し尽すからであるか、或いはその植物の発育に必要なバクテリヤ類の欠乏に基づくのか知らないが、何れにしても内的要求が存在して、そして新地に身を置きたがるのである。人と豆とを同一に論じることは出来ないが、三代以上続く純粋のロンドン人は次第に脆弱に傾くという説が生じる事実は、ただ単に都会生活の不良な事を語るだけではなく、人が或る状態に固定されることを嫌って、旧を去って新を求めることを幸(さいわい)とする内的要求が有ることを語っているのではないだろうか。土地だけではない、実に一切の事物が旧を嫌って、新を好むのは、結局は生物の内的要求の為であろう。
しかし生物には安定を喜んで因縁を恋しがる情もある。草木はしばしば移されるのを喜ばないものである。魚族は多くその孵化地(ふかち)に還って来るものである。地磁気がそうさせるのか、記憶がそうさせるのか、他の何がそうさせるのかは不明であるが、魚族のような単純で知能を持たないものが故地に還って来るのは奇蹟とも言うべきである。狐死首丘の話や、胡馬越鳥の喩(たと)えのようなことは信じられないとするも、燕・雁・犬・猫の類が旧を記憶し故郷を忘れないのはまた奇異と言うべきである。これ等と同じく人もまた故郷を忘れないもので、郷里を懐(おも)って病気さえ生じる者もある。であれば、環境の変化は人に役立ち人に張る気を生じさせるとはいえ、時には人に張る気を生じさせない時も有るだけでなく、却って散る気や萎む気等の好ましくない気をさえ生じさせることもある。環境の変化が必ず張る気をもたらすと思ってはならない。張る気の生じる原因が幾ツもある中に、その一ツが環境の変化で有るという迄である。
環境の変化が張る気を生じさせる原因になることは上に述べた通りである。さて張る気は他の悪気を追い払うものであるから、一気大いに張る時は種々の悪気は掃蕩されて、自然と精神状態及び身体状態を一新する。転地・湯治・海水浴等は、その土地の状態・温泉成分・海潮の刺激等が有効であるだけでなく、環境の変化ということが直ちに人の環境に対する自然な対応作用を開始させて、そしてその為に張る気が生じ、張る気が生じると同時に病気や疲労困憊を我が身心から去らせるのである。神経衰弱症などの多くは気の死定や気の失調から生じるもので、同じことに長期間我が気を死定させたり、気の調節が心理上や生理上によって欠くようになると起るのであるが、これを気の作用から説けば、萎(しぼ)む気や昂(たかぶ)る気や散る気や凝る気等がそうさせるのである。そこで、環境の変化によって幸に張る気になれば、直ちにその病を忘れてしまう。すべて病気は不覚に生じて自覚に成るものが多い。自覚しない時は病がすでに身に生じていても未だ病を知らない、ひとたび病を自覚するに及んで病は大いにその勢(いきおい)を張る。換言すれば若(も)し自覚しなければ病は有っても無いようなもので、また自覚すれば病では無いのに有るようである。神経衰弱などはその病の性質は殆んど自覚病と言えるもので、古い支那の諺(ことわざ)に、「病を忘れれば病おのずから逃げる」と云うのがあるが、実に近代のこの病の為に言ったものかと思われる程で、環境の変化によって張る気になれば自然と病を忘れ、そしてその病は既に治(なお)ったようになるものである。しかし数日もしくは一二週間して昨日の新しい環境も今日の熟した環境となると、一旦張る気になったものも昨日の夢となって、却って一旦張る気を生じたため、その反対の弛む気やその他の悪気を生じて、再びその病を自覚することが強くなるものである。この故(ゆえ)に転地療養その他の環境の変化によって、張る気を生じさせることを利用する治療法を無効と説く人もあるが、しかし全部無効として排斥するよりは、幾分は有効だとして利用した方が知恵のあることである。そして世の人の多くがこれ等の病症に対して新しい環境の出現を有効として採用している事の多い事実は、事実そのものが環境の変化によって張る気が生じさせられる場合が多いことを明白に語っているのである。
第二に環境の悪変の場合もまた張る気を生じさせるというのは、一寸矛盾のように聞える。しかしその理由は、環境の変化が張る気を生じさせる傾向と同一で、従来に比べて不快不良不適の状態に陥ったことが、より多くの対応の作用を必要とさせるのに基づくのであるから、少しも疑うことはない。このような場合に際しては、もちろん多くの人は萎縮し退却して才能も勇気も衰えるのであるが、或いはまた却って事情が我に不利なだけに多く反抗興奮の作用を起こして、決然とし凛然として張る気を生じることもある。幼児を抱える婦人が夫の死に会って発憤する前(さき)の例のようなものがこれである。忠臣孝子が国運家運の悲運に遇って、却っていよいよ奮うのもそれである。役人が職を奪われて、却って勢を発し才を揮(ふる)う者が出るようなこともそれである。戦争が苦境に陥(おちい)って、将卒の意気が却って旺盛になるのもこれである。およそこのような例は決して少なくない。みなその環境の悪変によって張る気が生じさせられたのである。
但し環境の善変によって張る気が生じるのは順動で有り、悪変によって張る気の生じるは反動である。一は単なる自然であり、一は複なる自然である。一は天理であり、一は人情である。であれば、善変によって生じる張る気は持続性があり、悪変によって生じる張る気は一時性である。明の大軍が我が朝鮮駐屯軍を襲った時(豊臣秀吉の朝鮮の役)、尻込みしないで萎(な)えないで将士の一団は大いに張る気を生じたのである。しかしその張る気は一時性で有って持続性では無かった。頭脳明敏な小早川隆景(戦国武将)が、「我が将卒は土を食(く)らって、戦(いくさ)は出来ない」と云った言葉は、持続性のない張る気に期待は出来ないことを言い放った言葉とも聞くことが出来る。ただ逆境に生じた張る気が一時性なだけではなく、張る気と言わず何(ど)の気でも、気は実は皆一時性で持続性のものは無いが、ここに一時性というのは、その中でも急速に消散し変化し終わるのをいうのである。例えば潮は毎日夜に二回ずつ進潮になり退潮になる。進潮を張る気に比べるとその象(かたち)は殆んど似ている。さてその進潮は、進潮になった初めから終りまで、五時間ほどの間を刻々分々に進み満ちるのであるが、満ち尽せば即ち潮止りとなって、それから引き返えして退潮となるのであるから、つまりは五時間だけを持続するに過ぎないのである。一昼夜の間に就いて云えばこうである。人の張る気も一昼夜に就いて云えば、十六時間内外の時間だけは極端の例ではあるが張る気で有っても、張る気は終に或る時になって衰え尽きて、弛む気が徐々に生じて来るのである。甚だしい極端の例を挙げれば、二十時間ないし二十二時間、或いは全一昼夜を通じて張る気で有り得ることもあり、実際そういう人も有るが、大多数の人は、その気は雑駁で決して純粋では有り得ないので、一昼夜に二三時間でも張る気を保てれば、それは上等の事業家であり学者であると云ってよいくらいである。とにかく或る時間だけで張る気は尽きる。これが実際なのである。しかし一月(ひとつき)に就いて云えば、月齡の第七第八頃より潮の高まる度合いは日々夜々に長じて、第十五第十六に至るまでは次第に増大する。その増大の極度は七日間程あるが、極度になると再び徐々に減少して、七日間程を経て減少の極度になる。この月齢の第七第八より第十五第十六に至る間の潮はこれを気に比べると即ち張る気の象(かたち)である。その後、次第に低くなって行く潮はたとえば弛む気である。即ち一月(ひとつき)の中七日余りは張り七日余は弛み、また七日余り張り七日余り弛むので、一月(ひとつき)について云えば二回ずつ潮は張るが、その持続するのは七日余りだけなのである。
これと同様に人の張る気も自然にその持続し易い間はおよそ限度がある。もしその像(かたち)を求めれば、男子においては不明であるが、女子においては明らかに潮信同様の作用が月々に行われている。そしてその月信の去来する時においては、身体の状態に満ち欠けがあり、精神の状態にも消長が生じる。精神により身体の状態も変化するが、身体のこの状態から精神もまた影響される事実は、即ち海潮の張るのにも自然と持続期限のあるのと同じく、人の気の張るのにもまた自然と持続期限があることを示している。このように女子の身体の一月(ひとつき)に小さな再生が行われていることは、自然が人を支配しているその法則の中で、人も将(まさ)に盛衰することを明示していることは、詳しく生理及び心理の観察をする者の頷(うなず)くところである。男子には女子のように身体で行われる小再生の状態は明らかではないが、きっと循環再生の法則は行われているに疑いない。ただこの世が始まって以来、自意識の強大と内省の不足の為に、女子のように明らかな兆候が無いので之を覚知しないでいるが、生理及び心理の研究が進んだならば、恐らくは男子にもまた女子のように自然の或るリズムが、心身に跨って存在する事を唱える者が生れるだろう。日あり夜あって覚あり眠りあり、月逝き年移って次第に長じ次第に老い終に死すことは、男子も女子も同じリズムを辿っているのである。これは一日の小にしても一生の大にしても同じことである。その中において男子だけに限ってリズムの支配を受けない理由は無い。季節の循環・月の満ち欠け・時の終始が一定のリズムで一切の生物に影響している以上、生物もまた一定のリズムで或る時は発揚し或る時は沈衰し或る時は眠り、或る時は覚めているのである。少なくともリズムというものの存在を認める以上は、人の身心も律動することを認めなければならない。何等他の原因が無ければ、一日において幾時間は張る気が徐々に弛む気となるように、一月(ひとつき)に於いて幾日かは張る気が徐々に弛む気となるのが自然の決まりである。自然の法則はこのようなものである。
順境に自然に生じた張る気でさえも上説のようである。まして逆境に生じた張る気がどうして持続出来ようか。何等の他の原因無しには幾時日も持続出来ない道理である。例えば退潮時に当たって、たまたま風圧や地変によって生じた進潮のようなものである。また例えば長潮や小潮になろうとする時に当たって、たまたま生じた高潮のようなものである。その根底に相副(あいそ)い相協(あいかなわ)ないものがあるのだから持続で出来る時間は甚だ短い。瘠土に樹を移してその小枝の繁葉を除くこと夥(おびただ)しければ、樹は葱色(ねぎいろ)を保って新(あらた)に葉を出して、枝を生じ勢い少し張るような様相を現わす。しかし、幾らも経たずに次第に張らなくなる。旧(もと)の地から肥沃の地に移してその勢いの張るのは自然であるが、瘠土に移して勢いが少し張るのは人為がさせたことだから、その樹の中に蓄積していた養分が消費され尽すと、終に勢いが弛み威は衰えるのである。環境が悪変して生じる張る気は、その未(いま)だ悪変しないうちに先行するその人の持つ潜在力の発揮であり、その潜在力が使い尽されれば次第に弛むに至るのである。土を食らっても戦うという意気は大いに張ったものに違いないが、幼虫の残骸が作る食土という稀有な土であれば知らないが、普通の土などは食える訳のものではないから、必ずしも幾日と支えることが出来るものではない。体衰えれば気衰え、筋弛めば気弛んで、日々に支えられなくなる理屈である。人はともすれば環境の悪変に際して張る気を生じるもので、勝つことを好む者などに在っては特にそうだが、良くその張る気を持続出来る者は少ない。張る気を持続させるものが付け加えられない以上は、忽ち弛む気はその他の気に変わってしまう。前に挙げた婦人が夫を失って孤児を擁する場合のように、もしその婦人に特殊の技能や経験が有れば、その技能や経験の力の支えに依って張る気を持続させることも出来るだろうが、そうでない時は一旦(いったん)張っていても忽ち弛み萎(な)えるのを免れない。
環境の悪変から張る気が生じて、そして良く持続するように見えるものに、大いに似て非なるものが有る。例えば貧乏を嫌う妻が金持ちの老人の許(もと)に出奔したのを怒って、その残された夫が富を欲して非常な勤勉家となるような、また例えば家庭の波乱に苦しむ人が或る芸術や或る事業に熱心になり、常人の及びつかない精励をするような、このような事例は世に稀でないが、これ等の中には真に張る気を生じるものもある。しかし多くは似て非なる気の働きであって張る気とは言えない。即ち前の場合には、怒る気が一転して凝る気になって、そういう行動をするようになるものが多い。稀に真の張る気を生じる者もあるが、むしろ凝る気になって善悪も考えず富を求めることに汲々となる方が多い。その張る気と凝る気の違いは、凝る気の方は陰性で収縮的で、張る気の方は陽性で拡充的である。俗にいわゆる無茶苦茶になって非理非道を敢えてしてでも蓄財するようなことは、凝る気の所為(せい)である。また或る芸術や或る事業に熱心に、常人の及びつかない精励をするようなことも、張る気でするのと凝る気でするのとでは大いに差がある。真に張る気でする場合には、事業であれば、その事業はその人の周囲の状態に比例して経営もされ発達もするが、凝る気でする場合には事業そのものは十分に経営され発達もするが、周囲の状態に不均衡な状態が生じるのを免れない。芸術のようなものは、張る気でこれに当たりこれに当たりする時は、終に一気は分離し、澄む気が生じて、濁る気が離れて、全く俗界の毀誉褒貶などを超脱し、また浮世の利害得失などを忘却しきった境地に立ち至り、明らかに一進境を現わすようになるのである。
芸術に精進する者にあっては、もとより人に褒められたい、人に勝りたい、世に喜ばれたい、善報厚酬を得たいなどと思うべきではないが、そういう俗気俗意を何人(なんびと)でも無くすことが出来るかというと、中々そうはいかない。真面目な芸術家でも張る気の境界で芸術に従事している間は、人に褒められたい、人に勝りたい、世に喜ばれたい、善報厚酬を得たいという念が少しも無いという訳にはいかない。少なくともそのような種々の念が、張る気の随伴者となり後押しや前引きをしている光景がある。しかしその人が張る気で真面目に芸術に従事する以上は、少なくともその張る気が健在している間だけは、鳥なら鳥、花なら花を描こうとして筆を執(と)り画布に臨んでいるその瞬時には、人に褒められたいことも無くなり、人に勝りたい念も無くなり、世に喜ばれたい念も無くなり、善報厚酬を得たい心も無くなり、某君の胸の底、脳の奥より両眼十指の末々に至るまで、ただ鳥が満ち、花が満ちていて、殆んど他の物は無くなっているだろう。技の巧拙と力の強弱とは別として、執筆臨布の場合に種々の他のものが働いているならば、それは張る気の状態では無く、とにかく純気では無い。駁気で事に従っているのである。技は巧(たくみ)に力は強くても俗気や匠気(しょうき・好評を期待する気持ち)の多い作品というものは、結局は駁気で事に当たっている人、即ち執筆臨布の時に当たっても俗意が口を出して何か囁き、その声を聴くところの人の作品である。技は未(いま)だ巧(たくみ)でなく力は未だ強くなくても下手は下手なりに、我が身のどこを截ってもその画題の花なり鳥なりが咲き出し啼き出して、直ちにその香りを放ちその声を出しそうなくらいになって、その画題の他に別の物も無くなるか、我と画題と融合するか、我が画題中に没入するか、境地は種々だろうが、何にせよ張る気で画に従事する場合には、少なくともその人のその時の最高能力はそこに発揮されて、夾雑物が無いだけにそれだけその人の精神の全幅がそこに出ているのである。そして、芸術はそこから進み上るのである。そうではあるが張る気の境地ではそれだけである。筆を置き画布を離れれば、またも褒められたい、勝りたい、喜ばれたい、酬われたいのである。ところが今日も張る気で事に従い、明日も明後日も張る気で事に従い、一月(ひとつき)、二月(ふたつき)、乃至(ないし)十数月、一年、二年、乃至十数年、数十年も張る気で事に従って已(や)まない時は、自然に泥水分離の境地が現れて来る。不知(しらず)不識(しらず)の間に修行が積んで技が進み、術が長じるのみではない。日々月々に張る気を湛えて純気となり駁気にならない習慣が付く結果、次第々々に人に褒められたいことも何時しか忘れるようになり、人に勝りたい、世に喜ばれたい、厚く酬われたいという念も次第に薄くなって来て、ただ我が或るものの命(めい・内的要求)のままに描くようになる。例えば潮が満ちて海が自然と清くなるように、また泥水が時間の経過とともに泥は沈み水が澄むようなことである。これを澄む気の生じたところという。この泥水分離の境地に至ったにしても持って生れた天分の大小はどうすることは出来ないから、やはり小者は小、狭者は狭、偏者は偏、浅者は浅で有るが、それでも各々必ずその特長を現わす。芍薬(しゃくやく)を正しく栽培しても牡丹とならず、龍眼(りゅうがん)は甚だ美しくても茘枝(れいし)の味はしないのであるが、しかし芍薬は芍薬の清艶、龍眼は龍眼の甘美を為すのである。芸術の人も終に澄む気の境地に至れば実に尊ぶものがある。人を描いて鼻無く象を描いて牙を忘れても咎め難い境地に達しているのである。次第に佳処に至ろうとしているのである。張る気を積んでここに至れば一ツの技を修め徹して即ち仙を得たのである。評論家の使役するところとなって、風の中の飄葉、空中の游塵のような、何の甲斐も無い境地を脱して、「雨淋(あめそそ)げど、竹いよいよ翠(みどり)に、天寒けれど鴨(かも)水に親しむ」的の面白い境地に至り得たのである。どうして簡単にそこに至り得られよう。しかしながら真面目に張る気を積み積みして、終に澄む気を保つことが出来るようになれば、拙くても偏っていても、その人だけの本来を無駄にはしないところに到達するので、昔から一分半分でも為した人でこの境地に立たなかった者はないのである。
澄む気を養って止まなければ終に冴える気になる。冴える気になれば気は次第に変化して神妙になろうとする。冴える気になれば気象玄妙(きしょうげんみょう。気性が奥深く優れ)、神理幽微(しんりゆうび・真理、幽かで微妙)、我等ただ教(おしえ)を外に受けて教(おしえ)を体得できない者は、悦びを塞ぐ迷いの境地にいるべきであるから此処では言わない。ただ張る気で芸術に従事する者は、時に澄む気の閃光を放ちその芸術の進境を示すが、凝る気で芸術に従事する者は決して澄む気の象(かたち)を現わさない。張る気で芸術に従事すれば仮令(たとえ)その人が鈍根であるにせよ、時日を経るに従って遅々ながらも進歩する。また或いは一進一止するにせよ時に進境のあることを思わせる。しかし凝る気で従事する者はその執筆臨布に大いに努めても、何の進境をも示さないものである。七年碁を弄(もてあそ)び、九年俳諧を嗜(たしな)んで、千局二千局を囲み、一万句二万句を吐いても、ただ熟するというだけで更に進むことの無いのがある。環境の悪変から張る気を生じてそして持続するように見えるもの、例えば家庭内の波乱に苦しむ人が、非常に精励して碁に耽るというようなことは、その精励して飽きないという点から言えば張る気の働きに似てはいるが、多くは凝る気などの働きである。張る気のような善気の働きであるなら、持続する間には澄む気になる道理である。たとえ常に澄む気にはなり得ないまでも、少なくともその心を寄せ、身を委ねた芸術に於いては、著しい進境を現わさなくてはならない道理である。全幅の精神で長い時日を一芸一術に対していて、進境の無い道理は無いのである。しかも凝る気で之に対しているのなら、出入なし一所停滞の死気、即ち刻々に進んで止まず、念々に長じて止まらない生気の張る気とは大いに違うところの気で対しているのだから、その結果もまた出入なし停滞一所で不思議は無いのである。凝る気で従事するとは、例えば氷を物と一緒に置くようなもので、その物は幾らも変らない。張る気で従事するのは流水に物を涵(ひた)したようなもので、物は次第に長大生育する。俳優が舞台上で演じる舞台上の駆け足のように、その脚は動くが終始一処に在る状態の凝る気で事に従っている人の状況と酷似している。
七年八年碁に一切を忘れるように耽ってしかもその技の進まない人などは、その対局の着手の時の状態を観ると、ただ局に対するだけ石を下(くだ)すだけで、その対局の着手の時にこの一着が果して好手であるかどうかに就いて、我が全幅の精神で対してはいない。勝を欲する意は燃えるようであっても、ただ無暗(むやみ)にその意だけが高く燃えていて、一着の可否に就いては応手の考慮が甚だ疎(おろそか)なのである。勝を欲する意欲が燃えるのを火の燃えるのに例えれば、一着手の可否を考慮するのは物を鍋中に置いて之を煮るようでなければならないのである。張る気で従事する状態は即ちそれであり、全部の火気が一鍋に対しているので一鍋中の熱気は自然に鍋中の物に作用して、そこで煮熟(しゃじゅく)の働きが行われ効果が現れるのである。碁ならば、その一着手の可否の考慮の熟したところが即ち鍋中の物の煮熟されたところである。そこで物は煮熟されて後はじめて食されるように、一着の可否の考慮がその人の力量の限りを尽されて後、はじめて石が下されるならばそれは本来の道であって、一石一石がそのようにして下されるなら、その人たとえ鈍根であっても幾十局幾百局を囲む後には必ず碁技は次第に進むことだろう。しかしながら凝る気で事に従う象(かたち)は、例えば燃える火が鍋の上に置かれ、または鍋の傍に置かれた状態で、無暗と熾烈(しれつ)に光炎を上げて燃えているようなものである。その火の力と鍋中の物との交渉は甚だ疎(おろそか)であって、火は火だけで燃えている、鍋中の物は鍋中の物で依然としている、そしてその鍋中の物を漫然と口にするというようなのが、凝る気で事に従う象(かたち)である。勝を欲する心は烈々として独り燃えている。しかしその心は一着手の可否の考慮に向かって煮炊きの作用を少しもしてはいない。そして漫然と石を下し局の終るのが凝る気で碁を囲む状態である。これではどうして技の進むことがあろうかである。
或る事情に由って凝る気になっている人の為すところは、張る気で事に従うのとは異なるものであるから、ただその打対(うちむ)かったところに意識は留まるばかりで、気は真実には働かず、不出不入(でずいらず)停滞一所で、碁なら碁にへばり着いているだけであって、そしてその真に流通活発であるべき気の作用は、凝然(じっ)と殺され妨げられて、水には角(かど)なくとも氷には角ある理屈で、恐ろしい鋭さと固さとで或る点に対して厳しく苛酷に働くのである。即ち碁ならただ無暗(むやみ)に勝つことに向って、鉄石をも貫こうとの無比の猛勢を為しているものである。張る気で事に従っている場合は、勝つも勝たないも局を終る時のことで、現在のことではないから、それには寧ろ意識はなくて、或いは之を忘れたのにも近い状態で、ただ今の一着をどうするかに就いて、心は往きて還り万策を考え究めて、そして海が涸(か)れて底が現われるように、展望が明らかになって、初めて一石を下すのである。張る気の作用は刻々分々瞬間々々に流動し沸き滾(たぎ)る活発な生気で、まるで哪吒太子(なたたいし・道教で崇められている少年神)の六本の腕が用に応じて対処するような、川に張った長網の千万億目の目が皆張って魚来れば即捉(とら)える状態である。凝る気の作用にはそのような生動飛躍するところはない。凝る気と張る気との差は非常なものである。
張る気は或いは澄む気に行き或いは澄む気に行かないで止むが、凝る気は悖(もと)る気などに行く。これが普通である。しかし時に張る気から凝る気に行くこともある。張る気で局に対し碁を囲んでもたまたま二敗三敗数敗する時は、一心に勝を欲して遂に凝る気に陥る。また凝る気になっている人でも天分に優れ運の良い場合は、時にたまたま張る気になることが無いではない。しかし皆それは稀な例である。環境の悪変のような場合には中々張る気になれる人は多くはない。大抵は凝る気に堕ちてしまうものである。ところがその凝る気と張る気とはよく似ているので、人が凝る気の作用を張る気の作用として仕舞うのを心配して、このように多く言葉を費やしたのである。張る気が持続する場合には芸術のようなものは日々に向上する。環境の悪変から生じた凝る気の持続が張る気のように見える場合には、芸術に携わっていて、その外観が精励し飽きず一意専心して他念の無いように見えても、たとえ日々に局に対し碁を囲んでも、日々に画布に対し絵筆に親しんでも、日々に幾篇の文を作り詩歌を作って作品を山積しても、実に価値の低い、進歩の道の無い、悪達者なものを留めて、舞台上の駆け足のようなことを繰返すに過ぎない。その為すところを見て判断すれば張る気と凝る気との差は何人(なんびと)にも明瞭に理解できるのである。
環境が善変したという程でも無く、また悪変したという程でも無く、不善不悪、善悪中間に変化した場合にも気は変移して時に張る気を生じることが有る。しかしそれは既に上に説いた環境の変化という個条の中で説き尽したので、屋上に屋を架するにも及ぶまいので省略する。
人事の上に於いて張る気の因(よ)って生じるところはその大概を説いたが、精細に論じれば云うべき事は甚だ少なくない。しかし人事はその人に切実な点では自然の作用にも収まらないが、結局は自然の作用は人事を包含して余りが有る。人事は自然の作用の中の一波乱に過ぎない。自然の作用の中で、極めて小さい、極めて短い、極めて弱い、極めて薄い地位を持つのが人事の全体である。さてまたその人事の全体の中で、極小・極短・極弱・極薄の地位を持つのが個人の状態である。それからまた個人の状態が全体の中で短小薄弱の地位を持つのが個人の一時の状態である。人間は何事も自然に比べれば甚だ短小薄弱で、自然が長く大きく厚く強くて、そして人間は極めて小さいという事は、何人(なんびと)といえども少しでも思索に耽ったことの有る者の気づくところであるが、特に我々が仮に所有している感じの我々の気というものに就いて考える時は、一層その感を深くするのである。
人事から生じる張る気の事を言った以上、自然の作用から生じる張る気のことを言わないのでは、その小を説いてその大を遺(わす)れることになるから、試にこれを概説しよう。
天の数(てんのすう・自然の法則)。ああ何という威厳のある犯すことのできない語だろう。一日に日の昼夜があり、一月(ひとつき)に月の満ち欠けがあり、一年に季節の春夏秋冬がある、皆これいわゆる天の数である。夏が来ないようでも春が去れば自然と夏は来る、夜にならないようでも日が傾けば夜は自然と来るのである。このようなものはこれ天の数であって人力ではどうにもできないものである。人が赤ん坊から次第に長じて少年になり壮年になり老年になる。皆これ自然の作用であって、無限に生きたくても必ず死に至るのも天の数である。生を欲する余りに長生きということを考え出しても、俺は千年生きるとも言い兼ねるので、天の数の前には少し遠慮して精一杯の注文を百二十五歳位にして置かなければならないのは、いかにも口惜しくて仕方がないが人間の微力さの已むを得ないところである。さてこの偉大な天の数に就いて気の張弛を観察してみよう。
無始……一、一、一、一、一、一、一、……無終。これが天の数である。一を一日と解釈しても良い、一時間と解釈しても、一月、一季、一年と解釈しても良い。無始は知らない。無終も想い得ない。ただ我々は、一、一、一、一、一の場合と状態を知っている。これを換言して、無始……一、一の次の一=第二、一の次の次の一=第三、第四、第五、第六……無終としても同じことである。また無始……甲、乙、丙、丁……無終としても同じことである。無始は此処では論じないで、仮に人類発生の年を第一として我々の存在している今が第幾万幾千幾百幾十幾年だか知らないが、とにかくに我々はその第幾万幾千幾百幾十幾年から概算すれば五十年ほどの間を一人分だけ埋めるのである。この間の我々は天の数の支配を受けているので天の数を支配してはいないのである。人寿五十年とすれば、五十年間、二百季間、六百月間、一万八千二百六十余日間、四十三万八千七百余時間を経る間は、朝の来ないことを望んでも夜には明けられ、暮れないことを欲しても日には暮れられ、冬の来ないことを欲しても秋に去られ、夏にならないことを欲しても春に行かれ、風・雨・雪・霜・旱(ひでり)や地震・洪水・噴火・雷など種々様々のものの支配を受けているのが我々の実際である。
そこで、その最も近いところから論じれば、先ず、第一に昼夜の支配を受けている。灯(あかり)を用いることを知ってから何千年になるか知らないが、獣や鳥とおなじく灯を用いることを知らなかった我々の祖先は、日が出ては作業し、日が入っては休息することを余儀なくされたことであろう。この習慣は我々の霊性を薫染して、薫染また薫染、遺伝また遺伝、先祖代々同じ情状を繰り返した結果、電灯のある今日(こんにち)においても尚(なお)我々は、日が出ては起き、日が入っては眠るという周期作用に服している。ただ習慣だけでなく、実に太陽が与える光明や温熱、夜が与える暗闇(くらやみ)や寒冷、昼夜によって変わる空気の変化、それ等の為に支配されて、我々は自然と朝(あした)に起き出(い)で暮(くれ)には帰り休みたいのである。この一日の間の明らかな事実は何を語っているか。我々の精神力は強大には違いないが過大視してはいけない。確実に精神が色界(しきかい)即ち物質の世界の法律に支配されていて、治外法権のようなものは或る許された小範囲だけにしか存在しない事を語っているのである。身心が相交渉するところの人の気は、上下の相交渉するところの天地の気と協調している。人の気は天地の気の支配を受けているのである。試みに秋の夜長の寂寞を人間と関係の殆んど絶えた川中(かわなか)の一舟(ひとふね)の中で闇を守り明かして、何をどうしたいという意識も無いまま暁天に日が出る時まで居てみるがよい。我が体内へ飲料食物を吸収することもなく、意識の火の手を特に挙げるでも無いのに、午前一時から二時半頃までの気に比べ、天明らかに朝日昇る頃の気は大いに違うだろう。掌(てのひら)の紋理の「て」の字が見え初める時から寸々に明るく分々に明るくなって、拇指(おやゆび)の膨らみの細紋が見え、指の木賊条(とくさすじ)の縦の繊(ほそ)いのが見え、次第に指頭(ゆびさき)の渦巻や流れ紋の見えるまで次第々々に夜が明け放たれて、やがて日がさし昇る。その間に天地の気が人の気に及ぼすもの無しと、誰が言えよう。朝の気と暮の気との差は二千余年前の孫子(そんし)さえ言い放している。朝の気のことは孟子も説いている。人の朝の気は実に張っているのである。天地の陽性の気の影響でそうなるのである。
朝に人の気が張っているのは生理的においても解る。先ず、第一には疲労の回復が出来ていることである。即ち体内の廃残物の処置は睡眠中に整えられて排泄器に付されるばかりになっているのであり、新しい活動の起されるに適した状態になっている。疲労の原因となるものは疲労を起す位置には無く、殆んど除去されようとしているのである。第二には胃が空虚になって胃部付近に血液の充(みつる)ことが無くなるのに反し、脳には脳の作用を活発にする血液が充ちているために、精神機能は十分にその能力を揮(ふる)い得るのである。損傷によって頭骨を剥離した人が実験に供されて、脳の働きには血液の潮上が必要であることが明らかになって、今までは捉え難かった精神の働きもまた筋肉の働きと同様であると理解されるようになったのである。精神作用も実に血液を必要とするのである。胃腸中に物のある時は、胃腸が働くために胃腸部に血液は充ち集まるのである、と同時に脳部は微少ながら貧血を起して精神作用は弛み鈍くなる傾向となる。食後に眠りを催すのをみても解る理屈である。貪食(どんしょく)が眠りの因(もと)をなることは何人(なんびと)も知ることで、眠ることを欲しない時は食を少なくすると良いことは、断食のような事を少しの間でも試みた者などは知っていることである。
仏法の僧侶は元来睡眠を取るべきではないので、『離睡経』で睡眠を厳しく咎めているのをみても、阿那律(あなりつ・釈迦十大弟子の一人、釈尊の説法の最中に居眠りをして叱責された) の失明の話に照らしても明らかなことであるが、その教条と僧侶は日に三度の食事をしないことが釈迦在世の時の作法であったことを合せ考えてみると、全てに形式を軽視する傾向にある今日(こんにち)の僧等の、却って浅はかなことを思わずにはいられない。さて脳が血液を消費するとその消費の余りの廃残物が堆積する。廃残物はすべて毒を持つものであるから精神作用から生じた廃残物は精神作用を弛緩し遅鈍にする。その挙句は眠くなるか若(も)しくは不快の頭痛を起すが、或る時間の休息中にこれ等の廃残物は体内器官によって徐々に搬出されるのである。廃残物が搬出されて新鮮な血液が脳に充ちるに及んで脳はまた徐々に爽快に働き出す。このようにして作用と休息とが交互に行われるのが我々の普通状態である。
心と身とを全く区別して考えるのも非であるが、また全く同一なりと考えて、心即身、身即心とするも非である。二者はこれ一にして即二、これ二にして即一なのである。我々の眠りや目覚めに於いては、眠ろうと欲して眠る時もあり、覚めようとして覚める時もあるが、また眠ろうとしなくとも自然と眠り、覚めようとすることなく自然と覚める時もある。我々が覚めてそして精神作用を起こし出すに当たって詳しく観察する時は、或る事を思い或る業(ぎょう)を執(と)る為に覚めたのでは無くて、覚めた為に或る事を思い或る業を執る場合も元より少なくない。即ち自然と覚めた為に精神作用が開始することが有るのである。前夜就眠の時に当たって、明朝五時に覚めてそして猟に行こうと思い、或いは六時に覚めて直ちに文を書こうと思って、そして五時或いは六時に起き出すことも元より少なくはないが、そういう精神の命令が無くて自然と覚めることもまた少なくない。もしそれ自然と覚める場合は、これはその人の精神、詳言すれば自意識により身体に精神作用が働いたのだと云うよりは、これをその人の身体、詳言すれば血液の運行状態から眠りの境地が破られて精神作用が開始されたのだと云った方が適当である。
尚(なお)一歩進めて説こうか。「夢」は最も明らかに心身両者の関係状態を示す適切な事例である。夢はいうまでもなく精神上の過程である、受・想・感情・記憶・智慮・意識等が不完全ではあるが働いている事を否定する訳にはいかない。この夢というものは、このようにしてこのような夢を夢みようとして夢みるものではない。精神上の過程で有ることは争えない事実で有るけれども、我々が前夜において、このような精神作用をしようとしてそして夢みるので無いことはあきらかである。即ち予期しないのに来るものである。我が精神内に起る事ではあるが自然と或る夜は夢をみるのである。この夢の生じる根源を心理的に解釈すると何等かの解釈をすることは出来る。しかしそれは夢の中の或る物または或る事態が何故その人の心中に湧出(わきだ)して夢となったのか、ということが解釈できるに過ぎなくて、全体に夢の起こる根源を解釈することは出来ないのである。例えば鳩が文筥(ふみばこ)を咥えて来る夢において、その鳩、その文筥、文使い、という諸件については、その夢をみた人の心理に立入って推測すれば、不明白ながらも幾分かの解釈を得よう。しかしそれは夢の中の事態物件の因(よ)って来た根源を解釈するもので、夢その物の因って来た根源が解釈出来た訳ではない。何故なら、夢を見ている時と、未(いま)だ夢を見ていない時と、その人の事情が境遇や心理は殆んど同様であるのに、一二時間前は夢を見ず、一二時間後には夢を見る、それは何故かということは、心理上では解釈しにくい理屈で有るから、是非も無いのである。
殆んど同じ事情・境遇・心理を持つ人が一二時間前には夢を見ず一二時間後には夢を見るのは何故か。その人が意識して或る時には夢見て、或る時には夢を見ないというのではないことは明らかである。そうであるなら、夢はその人の心の方面から生じたものではないことは明らかである。夢になったものは、心から出て来たのであろうが、夢を見させた根源のものは他から来たに疑いない。物理的に言えば、一切の事物の発生、存在及び変化運動はすべて力を必要とする。力は力の因(もと)があることが必要である。夢は計量することの出来るものでは無いけれど、明らかに精神作用の一ツである以上は、精神を支える根本の或る力によってその作用を生じるのに疑いない。精神の作用は血液の消費によって起こされ、血液の供給は精神の作用を維持する。この理屈によって考察する時、夢を見るという精神作用は、例え軽微の作用にしろ、血液と協働で起こされるのに違いない。飜(ひるがえ)って夢を見る時の血行状態を考察すれば、脳に向って血液が次第に多く流注されて、これから将(まさ)に完全な精神作用が行われようとする目覚め前に当たって、その準備のように、自然の調律で血液が脳に注ぎ入る場合に、いわゆる夢というものが生じることが多い。またこれに反して将(まさ)に眠りに入ろうとする時、即ち脳は軽い貧血状態をして、その完全な精神作用をするに必要な血液が不足し、精神作用を休息する必要があるが、なお幾分かの余力が残てっていて、全くの睡眠には陥らない時に夢の生じる場合が多い。この目覚め前および睡眠前は、完全な精神作用をするには、力および力の因(もと)の原料が不足で、また精神作用の完全な休息や閉止をするには、その力、力の因の原料がまだ僅か有って、休息と活動との何れともつかない時である。夢は多くこのような場合に生じる。夢そのものもまた実に覚醒と睡眠との中間にあるもので、不完全な精神作用、もしくは不完全な精神休息の状態であると云える。
この故(ゆえ)に夢の体(てい)の成立原因、即ち夢の当体を組織するところのものは、明らかに心理より来るが、夢を結ぶ根本のものは、生理がそうさせるのだと云える。即ち脳に血液が充ちようとする或る時、および脳より血液の漸減する或る時に、夢をみる人の意識とは関係なく、血液の運行によって引き起こされるのである。この生理的な血液運行の初期や末期に、心理的な或る記憶・感情・予想・追念その他の或るものが結ぶ時、夢は初めて完全に成り立つのである。生理的な血行に心理的な想念等が加わって夢が生じるのは、例えてみれば潮頭(しおばな)という進潮の初め、または退潮の初めに当たって、ともすれば風がこれに加わるのに甚だ酷く似ている。潮が風を誘う訳は無いが、潮頭には風が加わりがちであるし、時には雨もまた添って来る。この風を潮風(いおて)と云い、潮風と共に来る雨を潮風の雨といい、また略しては単に潮風とも云う。まるでこの潮の初めに当たって風雨の加わるのと同じ様な光景(ありさま)に、生理的な血行に心理的な種々のものが加わるのは、その那方(どちら)が那方を誘い起すのか知らないが、観察に価する事実である。もし十二分に観察して徹底したならば、将(まさ)に睡眠から目覚めようとする際に、血行が因(もと)で生理が心理を誘いそして夢が生じるのであり、また将に覚醒から睡眠に入る際に心理の方が因となって、次第に脳から流れ減じようとする血行が縁となり、その脳の血量不足によって、不十分な心理状態、即ち夢が生じるのであると云える。
夢の研究をするのが目的では無いから、夢の事はこれに止めて此処では論じないが、半醒半睡もしくは不醒不睡の夢が、因(よ)って起こるところを考察したならば、人の身心の動作が人からだけ来るのでなく、天の数(自然の法則)からも来ることがあるのを明確に認められるだろう。即ち一昼夜に於いて、暁に気は次第に張り、暮に及んで次第に弛み、夜になって大に弛み、また暁になってまた張るというのが天の数である。これが一昼夜の自然の法則である。故(ゆえ)に一昼夜について論じれば、朝は人の気が自然と張るべき定めなのであり、血行の道理が自然とこのようにしているのである。今一歩進めて論じれば、人の一日に於ける気の張弛の状態がこうであると云うよりは、自然の一日に於ける気の張弛の中に包まれている人の状態が、こうであると云った方が良いのである。日没頃から天の気は下降する。日の出頃から地の気は上昇する。水分の蒸発や降下は昼夜に行われている。日光の光波や熱量の影響し作用することも、昼夜によって交替的に行われている。草木は明らかに日光と気温との作用によって大気を分解し吸収し、気温と気圧の作用によって乾気を排し水気を取っている。
草木の花や葉を観察すると、リンナウスでなくても今は何時と知り得るほど、正確にかつ明らかにその草木の一日の間の気の張弛を知り得る。ことに朝顔の花のように一張一弛して休んでしまうことの無い、例えば木芙蓉の花のようなものを観察すると、朝の何時より昼の何時まではその気が張り、それより後になってその気は弛み、また次の日になってどのように張りかつ弛むかということを詳細に知り得る。草木は性質の差によって朝顔の花のように暁にその気の張るものもある、昼顔のように日中に張るものもある。また夜会草や月見草のように暮に張るものもあるが、要するに朝より昼に及んで気の張るものが多い。草木は人間のように高級でかつ自由な意識を持っていないため、明白に自然の影響するところの光景(ありさま)を反射的に現わし、宇宙に於ける一気流行の消息を洩らし示している。「一枝頭上の妙色香(みょういろか・花)、等閑(なおざり・いい加減に)に看るなかれ毘盧(びる・光輝く)の身」である。宇宙の気の昇降・屈伸・旋回・交錯によって、養育生長させられているのが一切庶物の状態なのであるから、怪しむところも訝(いぶか)るところもないが、草木を観ると如何(いか)にも面白い。草木は正直に無私に一気の流行を示し、その起伏消長の状態を見せている。酸素を出す樹の葉、窒素を集めるマメの根、炭素を収めて茎幹をつくる夏日の経営、元気を一塊球に秘して再来の春風を待つ冬の沈黙、含羞草(おじぎそう)の情あるような、蓮花(れんげ)の雨を知る智あるような、ヒマワリの日を喜ぶような、貝殻草や木芙蓉やその他の多くの草花が自(みずか)ら調節して開閉するように、気の寓処(やどりば)である草木のそれぞれの体に、天地の気の流行運移の状態が明々白々に示されている。人若(も)し良く草木を観察したならば、花開き花落ちるのも葉が翠(みどり)になるのも黄ばむのも、一切の現象はただ天地の気の動きの姿であることを知って、一切庶物に気が働いているというよりは、気の中に一切庶物が存在していると云った方が適切なのを感じるであろう。
草木以上のもの即ち禽獣虫魚の類に就いて観察しても、明らかに一日の気の張弛によって、これ等の生物が種々の力、種々の相(すがた)を以って、種々の作業をして、種々の報果を取ることが観られる。鳥は暁に大いに勇み、翔(かけ)り、飛び、啼き、餌を求め、雌雄相喚(あいよぶ)ぶものである。朝鳥(あさとり)の語が日本歌人によってどう取扱われたかを考察しても解る。獣も朝に勇むのは馬だけではない。犬も牛もみな勇むのである。虫は却って暮夜(ぼや)に勇むのが多いが、朝から昼にかけて勇むものもまた甚だ多い。魚の中に於いて海魚(うみうお)は潮汐(ちょうせき)によってその気が張弛するが、川魚(かわうお)は朝間詰(あさまづめ)と夕間詰(ゆうまづめ)(日出前と日没後の明るい時間帯)に著しく活発になることは、老漁師の観察で十二分に信じられていることである。およそ一切の物はそれぞれの気の寓処(やどりば)となっているのであるから、多くの花は昼に開くのに暮になって開く花もあり、多くの鳥は暁に勇むのに夜に入って勇むフクロウやホトトギスの類もあり、多くの獣は昼に出で夜に伏すのに夜騒ぎ昼は隠れるネズミのようなものもあり、昼に活動する虫が多いのに夜に遊行するホタルやミミズや床虫のようなものもあり、天和(てんやわ)らぎ水の清さを悦ぶ魚が多いのに、黒夜濁水を悦ぶものもある理屈で、気の特処偏処を受けたものは普通のものとは異なった状態を現わすが、要するに朝から昼に気は張り暮には弛む。自然の法則はこのようである。
これゆえに、人はこの自然の力が人に対して気を張らせる夜明けから暮までの間に、自(みずか)ら気を張って何事にも従うが良い。我が気さえ張れば夜間に仕事をしても良いには違いないが、それは自分の在り方では可であるが、自然圏内の在り方としては不可である。自然に順応して自然と自分とが協調して張る気になった方が良い訳である。風に逆らっても舟を進め得るものではあるが、風に順って舟を進めた方が効果は多い。自然に逆らって我が分内の気だけを張るのは、例えば北風が吹いている中に強いて舟を北行させるようなものである。陽気や善気のような明らかで正しい気は朝に張る。陰で悪、暗くて邪な事に従うのならばいざ知らず少なくともそうでなければ朝の張る気の中に涵(ひた)って、そして自分の張る気を保って事に従い務(つとめ)に服するのを可とする。このように内外が相応じる之を二重の張る気という。
一月(ひとつき)は二節である。一節は上り潮と下り潮が一回環(ひとめぐり)して、一潮(ひとしお)はおよそ七日余りである。そして潮は節々月々に少しずつ次第に減り次第に増して、春には昼間の大高潮・大低潮となり、秋には夜間の大高潮・大低潮となり、春秋昼夜を以って一年の一大回環(めぐり)をするのである。潮や節や月の満ち欠けやこれ等の点から観察して、或る潮の或る時はどうであるとか、或る節の或る場合はどうであるとか、或る月齢の時はどうであるとかを、気の張弛の上について説きたいとは思うが、胸中の秘として私の懐(いだ)いているものはあるが、敢えて人前に提示するには理解が足りないから言わない。しかし一日に於いて自(みずか)ら張る気の時が有るように、或る節、或る潮、或いは月の或る時に於いて自(みずか)ら張る気の時の有るのを信じない訳にはいかない。蟹の肉は月によって増減しイトメの生殖は潮によって催されるように、一切の庶物が自然から或る支配を受けていることは争えない。ひとり成人の婦人だけが月々にその身体に影響を受けているのではない。
一年に於いての気の伸縮・往来・消長の状態は、一月(ひとつき)に於けるそれよりはやや明瞭に昔から人に意識されている。冬は冷える意味で、その語は直ちに物みな凝凍収縮の象(かたち)を表している。冬の凝る気や萎(しぼ)む気の状態は多言を要せず明らかである。秋の語は明らかなこと、空疎清朗なことを語っているので、林空(はやしむな)しく天明らかに気象清澄の状態と、物みな帰するところへ帰ろうとする勢(いきおい)を示しているのである。夏は生(な)り出(い)ずる、もしくは成り立つ語義から名を得ているので、夏には生々の気が宇宙に充溢し、百草万木みな各々勢を発し生を遂げ、生(な)り熟(う)れること著しいのは何人(なんびと)も認めるところである。さてまた春は即ち張るであって、木の芽も草の芽もみな張り膨らんで、万物尽(ことごと)く内より外に張り水も四沢(したく)に満ちる程である。ゆえに一年の中、春は自然と人の気も張るのである。三冬(さんとう・初冬、仲冬、晩冬)の厳寒に屈ませられた生物は、再び春に遇って皆争って萌え出(い)で動き出し、草木から虫に至るまで尽く活気に充ちる。日光・空気・温熱・風位・湿潤およそこれ等の作用によって起される変化だろうが、実際に地下水までがいわゆる「木の芽水」でその量が冬よりは多くなって膨れている、樹木の根から上る水圧は水圧計が示すように著しく冬よりは増加している。人類の生理及び心理は確かに冬と異なって興奮的発揚的になる。植物の体内の営みの状態さえ変化するのであるから、人の体内の状態が変化するのは不思議ではない。そしてその変化の状態はどうかというと、人体の事であるから植物学者が植物の根を截(き)って水圧の力を計るようには出来ないけれども、我々の内省や理解によってまた他人の上の観察や校量によって、明らかに春は自然に人の気を張らすこと草木を張らすようであると知れるのである。春はこれ即ち自然の張る気の時季であって、そして偶然にその季に対して「はる」という語の命じられているのも自然と、天地の機微を語っているように思える。
四季に於いて春は確かに張る気の季節であるが、自然の張る気の時はこれだけかというとそうではない。数的に詳しく論じることは甚だ困難であるが、一国は一国、一世界は一世界、一星系は一星系で、張る気の時期も有れば次第に弛む気になる時期もあるのを疑わない。我が地球の年寿はいま論定し易くない。十二万八千才であるなどと妄測するのは甚だ非である。しかし我が地球が次第に寒冷に趣きつつある事実は認めない訳にはゆかない。そして今日からのち数千年ないし数万年数十万年を経てば、今の勢いで変化する以上は終に我等人類の生息に適さなくなることは予測できる。また翻(ひるがえ)って今日より数千年ないし数万年数十万年以前を考えると、昔は我が地球は甚だしく高温であって、今日の寒帯も尚(なお)熱帯のようであった事は、所々に発見される石炭のような植物の化成物や、象、マンモス等の古生物の遺骸によっても明らかに推測されるものであり、尚(なお)数歩を進めて考える時は、いよいよ遡って太古に至れば我等人類の生息に適さない程の高温の時期が存在した事が推測できる。
そうであれば単に温度だけから推測しても、この地球に始まりが有り、終りが有り、次第に生長し、次第に老衰して、終には死滅することは明らかである。すでに始終あり盛衰あるものとすれば、仮に子(ね)・丑(うし)・寅(とら)等の十二運にこれを分ける時は、子(ね)より巳(み)に至る間は張る気の時期で、午(うま)より亥(い)に至る間は衰弛(すいし)の時期である。欧米の人はすべて古代を侮(あなど)り、未来を夢想的に賞美していて、時間さえ経過すれば世は必ず文明光耀の黄金期に入るもののように感じている傾向が多いが、大空間の地球も掌(てのひら)の上で回る独楽(こま)と同じ事であって、その能(よ)く自(みずか)ら保ち支えて回転して立っている間はいくらもないのである。「運来たりて起って舞い、時至って臥して休む」のである。
世界の生物の生々(せいせい)の力が衰えないで繁茂し生育する間は、張る気の運の世界なのである。もしそれ陰陽が次第に調わず動植物の次第に衰萎するものが多い時は、それは気が次第に弛み衰えようとしているのである。石炭になっている彼(か)の羊歯類植物は、今日(こんにち)の地球の力では温帯地などには生じ得ないのである。欅・柏・樫これ等の植物を繁栄させる力のない時がやがて来るであろう。個種・個族・個体の内部から憐れな小知恵の灯りで照らし観察・解釈・批判すると、生物の生滅は生存競争の結果だとも言えるのであるが、大所から観れば手を拍って笑ってしまうような人間の勝手な浅論であるに過ぎない。長久広大な宇宙に於いて太陽は次第に冷え地球は既に老いて、石炭が空しく残っているのが今日(こんにち)の世界である。宇宙の始めから今日に至り太陽の熱はともかくとして、地球上の温度が次第々々に減じて来ていることは、我々の否認することの出来ない事実である。この地球上の温度が次第に減じて長大鬱茂の植物を生育するに堪えず、また巨体動物を繁殖させることにも堪えなくなって、そしてその植物や動物が滅亡してしまった事実は、その個体の側より観れば、個体の性質や能力が自己の存在を支持できなくなったからであるが、本当の原因を根本的に考えれば、疑いもなく太陽や地球の力量の変化から生じた事で、地上の一切の個体は本来宇宙の或る力量から派遣され、現出され、生育され、維持され、そしてその力量が消え去るか移り変わるかすると、蛇や蝉の抜け殻のようになって終に萎(しな)び枯れて廃滅し、かつて存在した痕跡だけを留め、また終にはその痕跡さえも留めないようになり、死後の後は生の前の前に還えるのである。本質的に個体は惟々(ただただ)現象で、現象は惟々力の移動の相(すがた)なのである。個体―現象―力の移動の状態を推察し、数学的の推測を地質学や鉱物学や動植物学上の事実に基づいて下す時は、子(ね)より亥(い)に至る十二運の説は措いて論じなくても、この地球の気にも張弛あり消長のある事は明らかである。エネルギー保存の法則はその範囲内の論としては実に優れているが、小池の小魚(こざかな)が巨石を廻(めぐ)って水の長さに窮まりのないのを信じているようなものである。太陽は次第に冷えその熱は那処(いずこ)に在る。試みに君の言を訊こう。君は言う、熱は熱として存在しなくても或る物になって存在すればこれ即ち存在するなりと。では訊くが、力不滅の時は力の量は不増不減であろう、力の量の不増不減の時に力の相(すがた)を変化させるものはこれ力か否耶(いなや)。それ眼の視るところ、指の触れるところ、何物か力が変化してそして生れる相(すがた)ではないか、君は言う、太陽の熱が日々に影響してそして後に樹が生れる、樹を焚(た)けば即ち熱を得ると。これ説き得て甚だ良い、ただ君に問う、太陽の熱によって松の樹や柏の樹が枝葉を成長させる根源のものはこれ力か否耶、もしこれが力でなければ何がこれをそうさせるのか、もしこれが力であるならこの力はどのように生まれどのようにして終るのか、那処(いずこ)から起こり那処に消滅するのか、そもそもまた何の力が太陽系を生じさせ、他の星辰(せいしん)を生じさせ、彗星や孛星や銀河や星雲を生じさせたのか、そもそもまた宇宙の大動力は何に因(よ)って生れたのか、この大動力は何の力によって分岐に分岐を重ねてそして東奔西走南向北進させられて、松柏を生み、梅桜を生み、鳥獣を生んで、千万億兆の異なった個々の相(すがた)を生滅させるのか、問いてここに至れば、君は必ず問を以って答とする窮地に陥ろう。分子と云い、原子と云い、電子と云い、ラジウムと云い、ウラニウムと云い、ヘリウムと云うのも、ただ「君の智の範囲内のX|A、X|B、X|C、もしくはnY、nZの名」に過ぎないのではないか。三角の内角の和は二直角というのも、これ先ず君の「立論の基平面(基準平面)」の存在を確立してその後に成る理論に過ぎないのではないか。伏して下を見る時は球上に立っている、三角内角の和は二直角より大にならざるを得ない。仰いで上に対する時は無限大の卵殻内に在る、三角内角の和は二直角より小にならざるを得ない。ショウスキーやレーマン(リーマン、ドイツの数学者)が非ユークリッド幾何学を唱(とな)えるも、唱え得てつまりは得られなかったのではないのか。宇宙は君の知の範囲内で尽きているものではない。宇宙は君の立論の基である学術内に一括できるものではない。君の知の圏内で君の立論の基の学術を頼んで論じれば、今日の天文学も真実で物理学も化学も真実で幾何学も力学も皆真実である、その代り古人の範囲内で古人の立論の基の学術を以って古人が論じていたことも、その昔に在っては真実だったのであり、また将来に於いて来者の知の範囲内で、来者の立論の基の学術を以って論じるのもその時に当たっては真実となって、そして今日の我々の所論が空疎だったと指摘され笑われることは、今日の我々が古人の所説を指摘してその空疎を笑うようなものであろう。
このような言(げん)をするのは今の科学を軽んじ若(も)しくは疑う意味ではない、ただ科学は範囲内の話であってその絶対権の有るものでないというに止(とど)まる。力不滅論のようなものも範囲内の話としては頷けるものであることは、例えば日本国民が日本の法律習慣に頷くようなものである。しかし時代や国家を超越してまでも今の法律習慣に頷けることが出来るかどうかは範囲外の話である。力不滅論のようなものも、我々が知り得る天体関係(甚だ狭い)の中の太陽系(甚だ小な)の中の地球(又甚だ小な)の中で我々が知ることの出来る年代範囲(甚だ短い)の中の現時(いよいよ短小な)に於いて我々が理解する現象関係の中で真実と見えるのであって。地球の一生、太陽系一生の論などになれば、それは小に拠って大を覆い、短を以って長を律せんとするもので余り信じるには足りないのである。地球や太陽が冷えて地球は岩石のようになり、太陽の光炎が大いに衰えた後、太陽や地球が絶え間なく発揮した力は何等かになって存在しているだろうが、その太陽自体地球自体は甚だ力の無いものとなる訳である。第一自体の熱量を出し尽した太陽は何となる、また地熱も冷え尽き太陽から受ける熱が少なくなったその時の地球は何となる。太陽や地球から発した熱は何処かに変形して存在するにしても、天王星の世界ならばまだしもの事、それよりも遥かに遠い他星系の世界などに流れ没してしまっては、我々はその有無についての判断さえ空しく、懶いほど交渉も無い空漠に落ちた事で、殆んど意識の出来ないものとなる。まして本来天体の成り立ちは、不測の出来事、例えば大彗星と他星との衝突というようなことが到来するまでの間に限って、我々の計測と推論が成立つので、その出来事がいつか到来して、太陽系や地球の位置や質量や回転が変化してしまい、我々の知識や知識を堆積し組織した学問も根底から、改めなければならないようになるかも知れないのである。
このように説くとそういうことは稀有に属す杞憂であるという人もあろうが、決して稀有ではない。現に我々の住んでいる地球全体の質量や位置や回転も、時々刻々と規則的および不規則的に変化しているのである。その規則的の部分は精密な学者の計量に上っているし、その不規則的の部分は如何なる学者も未(いま)だ計量できないのである。そんな事はないというなら君に一例を示そう。彼(か)の隕石や天降鉄はどこから来たのか。隕石や天降鉄は疑いもなく他世界から来たもので、既に地球にそれだけの物が来た以上は、地球の全体の質量は鉄および他の鉱物の増加によって変化させられていることを否定する訳にはいかないのである。またそれだけの物が増加されれば、遠心力が若干だけ求心力を超過した訳になって運行軌道に変化を起こす理屈である。隕石は稀有の例でも、地球が始まってから受取った隕石の総量は決して少しの量だと考えることは出来ない。ましてノルデンスキョルドが欧州よりシベリア北海を過ぎて日本に来航した時の同氏の観察によれば、地球の受取っている微小隕石、即ち我々の気づかない隕石の総量は実に驚嘆するほど大きな量で、隕石によって地球は生成され増大されていると言ってもいい程であると云うではないか。ノルデンスキョルドの隕石説は、全部を是認することはできないが、我々を吃驚(びっくり)させ確認し注意させた隕石だけでも太古から今日に至るまでどれほどあったか。天変を重大視した昔の史籍に見える記事や、旧時代人をして初めて鉄を用いた西大陸の事実や、禅僧をして詩を賦(ふ)せしめた落星湾の口碑(諸葛孔明が死んだとき、堕ちた隕石を祭った口碑)、およそこれ等の事の記録に見えるだけでも少なくはない、その度ごとに何処かの世界に変動の有ったことは争われないし、地球自体もまた同じく大きな変動を起こしているので、その測り難い変動が連続する間の或る短い時間が、我々の天文学や物理学や化学やその他の科学などの寓居(よりどころ)なのである。
それゆえに詳しく論じれば、時々刻々に我々の世界は太陽熱や地熱の冷却のような自体の発揮力の消散によって変化しつつあるのがその一、隕石等のようなものによって他世界の力の影響を受けて変化しつつあるのがその二、また粗大に論じれば、我々の世界では未経験であるが宇宙に於いては稀(まれ)でも何でもなく、殆んど絶え間なしに生じ行われているところの「隕石の起る原因」と同じ大変動の為に変化すべきなのがその三、これ等の事情の為に我々の住んでいる世界はその実質は空とならないまでも、変化即ち現在相・現在性・現在体・現在力・現在作等が壊れて行くのを否認する訳にはいかない。科学の力不滅論が真理だろうとあるまいと論なく、この世界が我々人類や一切生物に対して働く力は不増不減とはいかない。インド思想の生住壊空(しょうじゅうえくう・生命は生・住・壊・空を繰り返えし、永遠に続く)の説、中国思想の易理(えきり・陰,陽という相対的な二つの原理の結合交錯の変化によって宇宙の万象は形成,消長する)の説、百年ごとに人寿一年を減ずる時もあれば、また一年を増やすこともあって、人寿八万才から十才に至り、また十才から八万才に至るという倶舍(くしゃ)その他の説や、この世界は衆生の業力(ごうりき)で成立っているという楞厳(りょうごん)その他の説や、創世記(旧約聖書の第一書)、黙示録(新約聖書の最後の一書)の言葉や、それ等の説の何れの説を信じるという訳でもないが、この世界が人類の生活に適すように、または人類を生活させる事の負担に堪え得るように存在するには必ず時間の制限がある、決して無際限ではないということを否認する訳にはいかない。
さてそこで既に人類と世界との関係に寿命があって、始めが有り、終りが有る以上は、中間も有り、壮期も有り、老期も有る理屈である。勿論壮老は人類の私から名づけたものに過ぎないのであるが、人類や人類に必要なものの繁殖生育が容易である時は、即ち人類と世界との関係は壮期であり、人類や人類に必要なるものの生育繁殖が困難となった時は即ち老期である。始期や壮期は即ち世界の張る気の時であり老期や終期は即ち弛む気の時である。中期はその間に当たる。仏教やキリスト教や道教の所説では人類はその始期が最幸福で、文明史家や政治史家や科学者の所説に照らし今人が想像すれば将来が幸福に思えるから、過去が真に幸福であったとすれば今は既に老期に入っているように、将来が幸福だとすれば今は尚(なお)壮期に属すると考えられる。しかし必ずしもどちらの説が真かを決定するは及ばない、世界人類が未(いま)だ衰残減少に傾いていないことに照らしても世界が今張る気を有していることは明らかである。もし世界の生々の気が次第に衰えて秋の夕暮れのような物寂しい状況になれば、我々に必要な植物は次第に矮小となって結実も少なく枝葉を我々に提供することも不足し、動物は繁殖力を減じ我々の身体精神も次第に脆弱になるだろう事は、例えば地力の尽きかけた土地へ播かれた豆科植物のようであろう。世界は永遠に同じ状態で有り得ず、同じ力や相(すがた)や体や性を保ち得ない事は前に言った通りである。我々の世界が時々刻々に変化しているのに照らしてもこの事は実に確信できる。しかし人類は手を束(つか)ねて死滅を待ち得るほど賢い者ではない。仏陀や菩薩のようには賢くは有り得ない。人類滅亡の運命に向っていることを覚る時になって、その掘削の難しい知恵の井戸をより深く深く掘削しようと、猛烈で鋭い意識の錐や鶴嘴(つるはし)を振り廻して、そして燃えるような生存欲の渇を止めようとして、生命の水を汲もうとするのであろうか。ただし午前十一時が過ぎればやがて十二時となり、零時が過ぎればやがて午後一時になり二時になり三時になるのはどうしようないことであるから、日暮の恨みを呑みながら終に石炭やマンモスの仲間入りをするのであろう。しかし幸いにして今日はまだ人類繁昌期である。そしてこの繁昌が尚(なお)幾百年幾千年幾万年続くか、我々の推測は判断を下し得ないほどである。虚偽の文明と卑しい私慾の為に、天地生々の気を強いて傷害し密かに分別あることを誇る、小利口で刻薄無情の人民の国の人口は増加しないという事情はあっても、世界全体の人類は確かに繁昌しつつあるのである。気は世界を包んでいるのである。我々は張る気の中に包まれているのである。生存の競争は苦痛であるにしても、それは個体や団体の接触の密度に比例しているので、大量に播かれた菜の種子が互に根を張り合うようなものである。密度の高くない場合には非常に軽減されるのである。地力の尽きかけた土地へ播かれたマメ科植物とは大いに異なっているのである。実に張る気の中に包まれているのである。
自然の大所から言えば実にこのようなものである。今は確かに張る気の中に包まれている。次に一年の中では春は最も張る気の強い時であるが、生々(せいせい)の気未(いま)だ衰えない時期に有るのだからそれは比較的の事で、夏も秋も冬もまた張る気の働きの絶えない中にあるのである。また次に一日の中で云えば、朝から昼までは最も強い張る気に包まれているのだが、これも比較的の話で、生々の気未(いま)だ衰えない世に有っては同じ理屈で一日を通して張る気の働きの絶えない中に包まれているのである。天の数(自然の法則)は実にこのようなものである。
人事と天数との間に有るような人寿は勿論重要な位置にある。この人寿から論じれば、人が生れてから壮に及び、壮から老に及び、老から死に及ぶ間に於いて、その半生は明らかに張る気の働きが強いのである。壮から老、老から死に至るまでも少なくとも息のある間はもちろん張る気は存在するが、次第に張る気は少なく次第に他の気は多くなるのである。すでに張る気の事を説くのも再三に亘(わた)っているから、各自少しく自分で省察すれば自然とその消息を悟り得よう。よって復(また)ここには多言しないで措く。
夜明けから昼に至るまでの気象、人は全てその気象を体得して生きるべきである。世界は生々の気に張られているのである。天数・人事・人寿この三者を考察して張る気を持続せよ。ただそれ能(よ)く日に於いて張り夜に於いて弛めん。ただそれ生に於いて張り死に於いて弛まん。進潮退潮、潮よく動いて海長(うみとこ)しえに清く、春季秋季、季よく移って年永く豊(ゆたか)である。(努力論⑫につづく)