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幸田露伴の随筆「幸福な木と不幸な木」

 幸福というのも不幸というのも相対的なもので、自分から見て幸福でも、他人から見て不幸ならば必ずしも幸福ではない。他人から見て不幸でも、自分から見て幸福ならば必ずしも不幸ではない。自分で幸福だと思っていても、後で不幸になる事があるし、不幸だと思っても、後で幸福になる事がある。他人が云う幸不幸もその通りに変転する。
 しかし、ヒネクレた詭弁派の哲学者みたいな事を云って見せたところで、それは世の中の実際からはかなり遠いことである。常識から相手にされない議論は痛くもかゆくもない。
 そこでどうしても常識から云えば、幸福もあり不幸もある。それが世の中の実際である。
 相当な才能があると自らも認め他人からも見られている青年が、家庭の事情やその他の事情から、世間普通の学歴を作る事が出来なくて、ムダに若い日を過ごしてしまう事がある。そうすると当人も世間もこれを不幸だと云う。家庭が貧乏であったり、当人の健康状態が不完全であったりして、中途で学業を抛棄するのは、いわば出世の階段が一段一段と順調に続かないため、自然と他の順調に学歴を積んだ者よりは、不幸な位置に立たされた事になる。
 そうかと思うと、才幹はそれほどでない生れ付きでも、富裕円満な家庭に育ち、善い父母の訓育や、優秀な教育機関の下に置かれると、どうにかこうにか次第次第に進歩して、一度や二度は落第しても、遂には最高学府を出て、社会における第一階段を無難に踏み上る者がいる。そうすると、他人はそれを幸福だと云い、自分も幸福だと思い込むに違いない。
 この二ツの事は間違っていない。しかし何時いかなる世においても、いわゆるその時代の歴史なるものを覗いて見たならば、史上の大きな仕事が必ずしも、こういう幸福な人達によってのみ作られていない事を発見するのである。誰でもが直ちに了解するだろうが、歴史が我々に語っている事は、幸福な人達は社会にたいした影響を与えていない。むしろ不幸な人間が文明の製造にどれだけ役立っているか判らないという事である。
 現実の世間を見てもその通りである。幸福な境遇に置かれた人が幸福な生活を作り出すよりも、不幸な境地に沈淪していた人が幸福な生活を作り出す例の方が非常に多いのである。
 これは一見おかしく思えるが、落ち着いて考えて見ると少しの不思議もない。若しそうでなければ、平家の公達は何時までも繁栄し、源氏の子弟は何時までも鬱屈していなければならないという事になる。
 しかし幸いなことに、そのような不公平な理屈は成り立たない。輝く平家の繁栄を開拓した平清盛も若い時にはツンツルテンの着物を着て、碌(ろく)でもない下駄をガランコロン云わせていたというので、高平太と罵られたものである。それ位みすぼらしい、いわゆる不幸な境遇から頭をもたげ出したのである。
 また、境遇が情けない状態にあったばかりでなく、先天的に恵まれない資質を抱いて世に出て、当たり前なら社会の敗残者として落伍するような運命にありながら、奮発一番、ついに天下有数の人物となった例も沢山ある。
 ティムールと云えば、恐ろしい豪傑と思うけれども足に障害を持っていた。山本勘助も足に障害を持ち、ハンニバルは目に障害を持ち、伊達政宗も目に障害を持ち、閻若璩(えんじゃくきょ)は愚鈍、裕天上人も愚鈍であった。障害や愚鈍に生まれついても、恐ろしい豪傑や学徳の高い高僧になった。そういう例は沢山ある。
 また、それほどでもないにしても、孤児であったり、片親であったり、いろいろの不幸に泣いた人間が、涙の中から、自分の世界を見出した例は、甚だ多いものである。釈迦は生まれた時に母を失い、ジンギスカンは子供の時に父を失った。
 すべて不幸・不運の中から当人の恐ろしい発達が萌芽するのは、どういう理屈だろうか。
 しばらくその理屈の如何を問わないが、とにかく、そう云う事実が多いのである。
 孔子という方は決して矯激な言葉を発することなく、何時も穏やかな中正な教えを垂れ、説を述べられたのであるが、その孔子さえ「病気や災難に遭って、不幸な境遇に沈淪している者は、その願う事が成就するものである」という意味の事を言われている。これらは社会の実際を孔子が観て言われた言葉である。ただ単に不幸なものを慰める意味で言われた事ではないのである。
 現在の例を取って見ても、身体に障害の個所がある人々に却って芸道の名人が見られる。目の不自由な人がともすれば優秀な音楽家である事は、目の不自由な人の習慣がそうさせたばかりでない。また恐ろしく記憶の強い人が眼の不自由な人に存在するのも一つの実例である。平家琵琶の大家であった京都の藤村氏などは平家の全曲を暗誦していた。こういうのは一方に欠ける処のある不幸から、一方に長じる処のある幸福を得たもので、彼の塙保己一の例のような事は誰もが知っている。
 そこで『陰符経』にはこの事実を指摘して「誰でも目が見えず、耳が聞こえなければ、余程有効に事を執る事が出来るであろう」と云っている。目が見えない事は誰しも好まない事である。耳が聞こえないという事は誰しも喜ばない事である。しかし、目が見えず耳が聞こえなければ却って好かったという事は、人間と社会の接触の機微を実に面白く言い放ったものである。一通りでない不幸でさえこのように見て来れば、幸福の孫になるのである。
 であれば、貧乏に育つというようなことは、少しも苦とするに足りない事である。却って自分から祝福するような事である。この道理から云えば、無資本である者は、大資本を擁する者より、幸福になりやすい状態に置かれていると云える。教育に乏しい者は充分な教育を受けた者よりも、ある場合に於いては、天に恵まれた者と云える。決して我々は、造物主が我々に与えた運命を呪(のろ)ったりしてはならないのである。
 この道理を人間以外の、草木について考える。良い土壌に、充分な肥料が施される。そして周到な手当の下に生育された木があるとする。勿論その木は青々と美しく茂り、枝も栄え葉も栄える事である。
 痩せ土で雑草の生い茂った中に育った木があるとする。この木は無論、勢いも悪く、雑草のために苦しめられて、碌(ろく)な姿にならないものである。
 しかしながら、花づくりの花園でゆたかに育てられた木が、天を摩するような大樹になるかと云うと、必ずしも、そうではない。
 荒山の中で雑草に苦しめられた木が、枯れてしまうかと云うと必ずしもそうではない。
 却って肥沃な地に育った木は、害虫を招いたり何かして自ら苦しむ事がある。遠くに根を伸ばす事を自然と怠り勝ちになって、風害などに遇った時に抵抗力が乏しく、直ぐにひっくり返ってしまう事もある。充分な手当を受けることに慣れている為に、天候の激変や少しの手当の為に、忽ちにして弱ったり枯れたりしてしまうものである。
 これに反して、苦しんで育った木は一生懸命に根を張る為に、風に倒されるような事は少ないものである。寒暑の為に傷む事も少ないものである。あり余る栄養の為に害虫を招くという事も少ないものである。
 それで、小さい時分には進歩も発達も極めて遅々としているが、人の高さ位に伸びて、雑草の中を抜き出る頃になると、見る見る勢いを出し始めて、健全に発達するものである。天を摩するような大木になるのも、こういう境遇に育った木に却って多いのである。
 この状態を観察すると、非常に面白い感じを誰もが抱くのである。
 仏教の中に栴檀(せんだん)という木について書いてある。牛頭栴檀というのが栴檀の中で最も尊いとされている。この牛頭栴檀という木の茂った中から育つと言われている伊蘭というのは、非常に悪い木だ。非常に臭い木だ。この木の匂いを嗅げば、人畜共に悩むという性質の悪いものとされている。この恐ろしい伊蘭の中で栴檀の苗が徐々に育つ頃は、伊蘭の為に圧倒されて、栴檀は始終瀕死の状態に置かれている。
 しかしながら、この苦しい中から次第に、五分伸び一寸伸びて、ついに栴檀が一本立ちの樹になると、次第に栴檀特有の香気を放つようになる。そうなると、栴檀の勢いは日々に加わって、悪木の伊蘭の臭気を圧倒して、人畜共に伊蘭の臭気を嗅がず栴檀の香気に浴して、清々しい心持を得るようになると言われている。
 実際はどういうものか知らないが、これは一ツの面白い現象を説いたものとして受け取れる。幸福な人が不幸な境遇から奮発するのもこのようなものである。泣きの涙の中から美しい笑いを発見できるようになるのもこのようなものである。恐ろしい濁悪の世から立派な教えが出るのもまた、このようなものである。孔子様の生まれた世、釈迦の出現した時世はどうであったろうか、極々(ごくごく)腐敗した世の中から極々清浄な教えは発せられた。恐ろしい悲しみの中からこそ極めて喜ばしい事は生じる。水に溺れて、水底に足が達すると浮き易い道理がある。全ての現象を通じて、こう云う道理が厳存する。
 であれば、どんな不幸不運不如意の際にも自己の境遇を呪わずに、このような境遇に置かれたのは、即ち自己が大発展する基であると感謝し、祝福した方がはるかに面白いではないか。
 ヤレ非才であるの、ヤレ不運であるの、ヤレ人の同情がないから困るの、ヤレ不景気だから遣り切れないなどと云うような事は、それは言わばお坊ちゃん考えだ。花園の中でオモチャの木になろうとするようなケチな了見ではないか。荒山の草隠れの不幸な木と自分を自覚して、思う存分根を張って、思う存分力強く、空うそぶいて、天を摩する大樹に成ろうとした方が愉快ではないか。伊蘭の中にこそ栴檀は生じるのである。目に障害があろうとも、足に障害があろうとも、やればやれるのである。環境の征服者になれば好いのである。環境に征服される者と自分を認める位ケチな事はないのである。日光と空気と水は人のとり放題のものである。木の取り放題のものである。
(大正十五年一月)

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