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幸田露伴の「努力論③ 惜福の説(幸福三説第一)」

惜福の説(幸福三説第一) 

 船を出して風に遇うのに何の不思議はない。水上は広々として風は自然に有る理屈である。しかしその風が我の行こうとする方向と同じ時は、我は之を順風と呼んでその福利を受けるのを悦(よろこ)び、また我が方向に逆行して吹く時は我は之を逆風と呼んで、その不利を受けるのを悲しみ、また全くの順風でもなく、全くの逆風でもない横風に遇う時は、帆を繰(あやつ)り舵(かじ)を使う技術と我が舟の形状の優劣善悪(よしあし)によって、程度の差はあるが之を利用できるので、あまり多くは風の利不利を言わず、我が福無福を語らないのが常である。
 このような場合に於いて、風は本来福と定(き)まり無福と定まっていることもないのだから、同じ南風が北行する舟には福となり、南行する舟には福でないものとなるのである。順風を悦ぶ人が遇っている風は、即ち逆風を悲しむ人が遇っている風なのである。福で無いとされる風は、即ち福なりとされる風なのである。してみれば福を受けるのも福を受けないのも同じ風に遇っているのであるから、福を受けた舟が良いから福を受けたという事も無く、福を受けない舟が悪いから福を受けないという事も無く、いわゆる巡り合わせというものであって、福無福については何等の考慮や計画によって福が受けられるというものではないのである。
 しかしながら福無福を偶然の巡り合わせであるとするのは、風に本来福も無福もないという理屈や、甲の福とする風は即ち乙の無福とする風と同じ風であるという理由が有るからといっても、それはいささか即断過ぎるのである。なぜなら風は予測し難いものに違いないが、また全く予測することが出来ないとも限られていないのだから、舟を出そうとする際に十二分の検討と測量をして、我に取って有利な風と見込みをつけた後に、はじめて海に出たのであれば、十の七八は福を受けて無福を避けられる筈である。それなので、福に遇い無福に遇うのを偶然の巡り合わせにすることは、正当な解釈とは認められない理屈である。
 人が社会に在って遭遇する物事は様々であるが、一般俗人がともすれば発する言葉の「福」というものは、社会の海上に於いて、無形の風力によって容易に好位置に達し、又は権勢を得たり富を得たりするような場合を指すので、彼等が福を得たというものは、即ち富や地位もしくは富や地位の断片的なものを得たことをいうのである。
 福を得ようとする希望は決して最上の希望ではない。世には福を得ようとする希望よりも尚(なお)幾層か上層に位する立派な希望がある。しかし上乗の人物でない者に在っては、福を得ようとするのも決して無理なことではないので、あえて之を批難排撃する事もない。しかし福を得ようとする余り、いわゆる淫祠邪神を信じ白蛇に媚(こ)び妖狐に諂(へつら)うような、そんな醜い事には触れたくもないが、滔々(とうとう)と流れる世の中に於いて、多くの人が心を苦め身を苦め精を出し励んでいるのも、皆多くは福を得ようとする為なのだと思えば、福について言(げん)を為すのもまた無駄ではあるまい。
 太上(たじょう・最も優れた人)は徳を立て、その次は功を立て、又その次は言を立てるとある。およそこれ等の人々に在っては、禍福吉凶などはそもそも些末なことで、余り深く立入って論究思索する価値も無いことだろう。若(も)しまた単に福を得ることにだけ腐心して之を思うようなら、その弊害は救い難いものになり、論究思索も単に、「どうしたら福を得られるか」ということだけに止(とど)まって、人間の大道を離れて間違った道に入る恐れがあるだろう。本来から言えば事に処し物に接するに於いては、我々は当然「当不当」を思うべきで「福無福」を論じないでよい訳であるが、ここで敢えて幸福の説を為すのは、私の考えをいろいろに話して人を正道に進ませたいとするに他(ほか)ならないのである。甚だしく正邪を語れば人を頑なで偏屈で狭量にする傾向がある。多く禍福を語れば人を卑小にする傾向がある。言葉を出すのも実に難しい事であるが、読む人は私の心意を解して言(げん)を忘れて可である。
 幸不幸というものも風の順逆と同様に、つまりは主観の判断によるのだから定(き)まりはない。しかし先ず大概は人々が幸福とし不幸とするものは定まって一致しているのである。そこで、その幸福に遇う人および幸福を得る人とそうでない人とを観察して見ると、その有様に微妙な違いが有るようである。第一に幸福に遇う人を観ると、多くは「惜福(せきふく)」の工夫のある人であって、そうでない不運の人を観ると、十の八九までは少しも惜福の工夫が無い人である。福を惜しむ人が必ずしも福に遇うとは限らないだろうが、どうも惜福の工夫と福との間には関係を無視できないものが有るのに違いない。
 惜福とはどういうものかというと、福を使い尽し取り尽して仕舞わないことをいうのである。たとえば手元に大金を持つとして、之を浪費に使い尽して全て無くすようなことは、惜福の工夫が無いのである。正当な使用の他(ほか)は使用しないで、之を無暗(むやみ)に浪費しないのは惜福である。たとえば、我が母から新しく与えられた衣服があるとすると、その美しく軽暖であるのを悦んで、旧衣が未(いま)だ破れていないのに之を着用して、旧衣を箪笥の中に押し丸めたまま、黴(かび)と垢(あか)とで汚させて、新衣を早くも着崩して、折目も見えないようにするようなことは、惜福の工夫が無いのである。母の厚恩を感謝して新衣を妄(みだ)りに着用しないで、旧衣が未だ破れていない間は旧衣を平常の服とし、新衣を冠婚葬祭のような義式張った日だけに用いるようにする時は、旧衣も旧衣としてその用を終え、新衣も新衣としてその用を為して、他人に対しても清潔に謹んで敬意を失わず、自分も諺(ことわざ)にいわゆる「褻(け)にも晴れにも(普段の日も特別な日も)」ただ一衣の、みすぼらしい身なりを免れることが出来るのである。このようにするのを福を惜しむというのである。
 樹の実でも花でも、十二分に実らせ十二分に花を咲かせる時は、収穫も多く美観であるに違いない。しかしそれは福を惜しまないもので、二十輪の花の蕾を七八輪も十余輪も摘み取ってしまい、百果の果実を未だ実らないうちに先立って数十果を摘み取るというのは惜福である。花実を十二分に成らせば樹は疲れてしまう。七八分に成らせば花も大に実も豊かにできてそして樹も疲れず来年も花は咲き実が成るのである。
 「幸運は七度人を訪れる」という意味の諺があるが、どんな人物にも周囲の状況がその人を幸運に際会させることが有るものである。その時に当たって出来る限り幸運の調子に乗ってしまうのは、福を惜しまないのである。控え目にして自分を抑制するのは惜福である。つまり福を取り尽してしまわないのが惜福であり、また使い尽してしまわないのが惜福である。一千万円の親の遺産を自分が長男だからといって尽(ことごと)く取ってしまって、弟妹親戚にも分け与えないのは惜福の工夫に欠けているので、その幾分かを弟妹親戚等に分け与えるとすれば、自分が受け取るべき福を惜しんで之を留(とど)めて置く意味に当たる。これを惜福の工夫という。即ち自分の福を取り尽さないのである。他人が自分に対して大いに信用を置いて呉れて、一千万円位ならば無担保無利息でも貸与して呉れようという時、喜んでその一千万円を借りるのに少しも不都合はない。しかしそれは惜福の工夫に於いては欠けているのであって、一千万円の幾分かを借りるとか、あるいは担保を提供して借りるとか、正当の利子を払うとかするのが、自分の福を惜しむ意味になる。即ち自在に一千万円を使用できるという自分の福を使い尽さないで幾分かを留(とど)めて置く、それを惜福の工夫というのである。倹約や吝嗇を惜福と理解してはならない、すべて享受できるところの福を取り尽さず、使い尽さずに、之を天と言おうか将来と言おうか、何れにしても計り知れない将来に、預け置き積み置くことを、福を惜しむというのである。
 このような事はその時の人が見て、迂闊(うかつ)である愚かであると思うで有ろうし、また自分を矯め飾り性情を偽り欺(あざむ)くことであると思うで有ろうが、真に迂闊であるか愚かであるかは、人の言葉よりも世の実際の判断に任せた方が良い。また聖賢のように純美な生れ付きを持って生れて来ない者は自然や生れ付きに任せてはならない。曲竹は多く補正しなければならない。撓(たわ)め正さないで良いのはただ真直な竹だけである。粗木は多く塗染することによって用を為す。そのままで良いのはただ緻密で堅美な良材だけである。馬鹿々々しい誇大妄想を抱いている者で無い以上は、自分を自分で矯め自分で治めることを誰が不可としようか。
 それらの論は他日に譲る、とかく上述のように惜福の工夫を積んでいる人が不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けている人が不思議に福に遇わないものであることは、面白い世の実際の現象である。試みに世の福人と呼ばれる富豪等について、惜福の工夫を積んでいる人が多いか、惜福の工夫を積まない人が多いかと調べて見れば、何人(なんびと)も忽ちのうちに多数の富豪が惜福を理解する人であることを認めることだろう。飜(ひるがえ)ってまた世の才幹力量はありながら、しかも尚(なお)一起一倒し、人生に沈淪する薄幸無福の人を見たならば、その人の多くは惜福の工夫に欠けていることを見出すだろう。
 同じ事例はまた之を昔の有名な福人の伝記に於いても容易に見出すことが出来る。福分の大なること平清盛のような人は少ない。しかし惜福の工夫には欠けて、病中に憤死し家亡び一族が亡ぼされたのは人の知っていることである。木曾義仲は平家を逐(お)い落した大功があった。しかし惜福の工夫には欠け旭將軍(義仲)の光は忽ち消え去った。源義経もまた平家討滅の大功があったが、惜しい哉(かな)、朝廷の御覚(おぼえ)目出度(めでたき)に乗じて官位を私的に受領したために、兄の嫌うところとなって終りを全うしなかった。頼朝(源頼朝)の疑いはとうてい避け難いところではあったろうが、義経に惜福の工夫の欠けていたのも確かに不幸の一因となったのである。家康公(徳川家康)は太閤秀吉(豊臣秀吉)に比べて、機略に於いては或いは一二段下っていたかも知れないが、しかし惜福の工夫に於いては数段も優っていた。腫物の膿(うみ)を拭(ぬぐ)った一片紙をも棄てなかったのは公である。聚樂第に栄華を誇った秀吉に比べて如何に福を惜しまれたかを知るべきである。そしてまた一片の古紙をも棄てなかったところから、莫大な大金を子孫に残し留(とど)めて、徳川氏初期数代を築き固める用とされたことに照らし合わせても、如何に惜福に努められかを知るべきである。当時の諸侯は皆、戦陣活躍の雄者で猛々(たけだけ)しい激烈の人達であったが、何れも惜福の工夫などには疎(うと)くて、皆多くは暮らし向きが苦しく家計は乱れ、自らを支えられなくなって、権威衰え家は傾き、甚だしいのは財産を失い領地を奪われるに至たり、そうならない迄も尾を垂れ、首を垂れて制裁を受けるに至ったのが多いのである。三井家(商人)や、住友家(商人)や、その他の旧家や、酒田の本間氏(地主)のように連綿として永続する者は、之を調べてみると皆よく福を惜しむことによって福尽きず、福の尽きない間にまた新に福に遇うことを得るに及ぶのである。外国の富豪などもその確実な者は、皆之を調べるに惜福の工夫に富んでいるのである。
 高級料理を貪(むさぼ)り喰らい歓楽街に狂呼し、札束を切り大酔して意気高々とした状(さま)は、豪快といえば豪快に似ているが、実は刑務所から釈放された前科人が餓えきって娑婆(しゃば)の風に遇ったようなもので、十二分に歓を尽くせば歓を尽くすだけ、その状はむしろ哀れで悲しく、見窄(みすぼ)らしげで、重々しいところは更に無いのである。器量が小さく意中(こころ)の急な者は余裕がない道理で、福を惜しむことが出来ないのは即ち器小意急の輩で、福を惜しむことの出来るのは即ち器量が大で意中が寛(ひろ)やかな者である。新に監獄を出た者が一飽酔(いちほうすい)を欲するは人の免れない情であろうが、名門華族の人は美酒佳肴が前に陳(つら)なっても、それほどとも何とも思わないようである。この点から観ればよく福を惜しみ得るに於いて、その人すでに福人なのであるから、再三再四福に遇うのも怪しむことはないのである。試みに世間を観ると、そこ等の多くの人は偶々(たまたま)福に遇うことはあっても、その一遭遇するや新に刑務所を出た者が飽醉に急なように、餓犬(うえいぬ)が肉に遇ったように、猛火が毛を焼くように、直ちにその福を取り尽くし使い尽くさずには止まないのである。そこでトルコ人の過ぎた後の土地は赤くなるというように、一粒の福も無いようにされてしまうから、急には再び福の生じて来ないのも不思議は無いのである。
 魚は数万個の卵を産むものであるが、それでさえ惜魚(せきぎょ)の工夫無しに酷漁(こくりょう)すれば遠からず滅し尽すものである。まして人一代に僅かに七度来るという幸運が齎(もたら)すところの福のようなものが、惜福の工夫も無く福神(ふくじん)を粗末に扱うような人に遇って、なんで消滅しないことがあろうか。鳥は鳥を愛惜する家の庭に集まり、草は草を除き残す家の庭に茂るのである。福もまた之を取り尽さず使い尽さない人の手に来るのである。世間はとめどなく福を得ようと欲する人のみであるが、よく福を惜しむ者がどれ程有ろう。福に遇えば皆これ新出獄者の態(てい)をなす者のみである。たまたま福を取り尽さない人であれば之を使い尽す人であり、また福を使い尽さない人であれば之を取り尽す人であって、真に福を惜しむ者は少ない。世に福者の少ないのも無理のないことである。
 個人が惜福の工夫を欠いて不利を受ける道理は、団体や国家に於いても同様である。水産業はどうである。貴重海獣の漁獲だけに努めて保護に努めなかった結果は、我が国沿海にラッコ、オットセイの減少を来たしたではないか。即ち惜福の工夫の無いために福を尽して終(しま)ったのである。トロール漁獲に努めた結果、欧州、特に英国に於いては海底魚の減少を招いて、終(つい)にはそのトロール船を遥か日本などに売却して利益とするに至ったのも、即ち福を尽して不利を招いたのである。山林も同様である。山林乱伐を敢えてして福を惜しまなかった結果は、禿山や渇水をいたる処に造り出して、土地の気候を悪くし天候を不調にし、いったん豪雨が有れば山は潰(つい)え、水は溢れて、不測の害を世間に贈るに至るのである。樹を伐れば利益は有るに違いないが、いわゆる惜福の工夫を国家が積んだならば、山林は永く繁茂することだろう。魚を獲れば利益が有るには違いないが、これも国家が福を惜しんだならば、水産も永く繁殖することだろう。山林に輪伐法あり、擢伐法あり、水産に画地法あり、限季法あり、養殖法あり、漁法制度があって、これ等の事を遂行し国福を惜しめば国は福国となる道理なのである。
 軍事も同様である。将強く兵勇なるを誇って、武力を用いる上に於いて愛惜する所が無ければ、終には敗北を招くのである。軍隊の強勇なことは一大福である。しかしこの福を惜しむ工夫が無ければ武を汚(けが)すに至るのである。武田勝頼は弱将や愚将ではなかった。ただ惜福の工夫に欠けて福を尽して禍(わざわい)を招いたのである。長篠の戦いは実に福を惜しまないもまた甚だしいものであって、馬場信春や山県昌景をはじめ勇将忠士が皆その戦で死んで終(しま)った為に、武田氏の武威はその後再び振わなくなったのである。将士忠勇にして武威烈々なのは一大福であるが、之を惜しまなければ福の終(つい)に去ることは、黄金を惜しまなければ黄金の終に去るのと同じ事である。ナポレオンは宏世の英雄である。武略天才、実に当たり難き人であったが、やはり惜福の工夫には乏しかったので、ロシアへの遠征で武運の福は尽き去って終った観がある。我国は陸海軍の精鋭をもって世界の強国を驚かしている。しかしこれとても惜福の工夫を欠いたならば、水産山林と同様の状態に陥(おちい)るのは明らかである。勇将忠卒も数限りがあり、金穀船馬も無限に生じるものではない。まして軍隊の精神はパンを焼くように急造出来るものではない。陸海軍の精鋭は我国の大幸福であるが、之を愛惜する工夫を欠いたならば寒心(ぞっと)すべきものがある。福を使い尽し取り尽すということは忌むべきであって、惜福の工夫は国家に取っても大切である。
 何故に惜福者はまた福に遇い不惜福者は福に遇わないのであろうか。これはただ事実として我々が世間に於いて認めることで、その真理の鍵は我々の手元にはない。しかし、強いて試みに之を解釈して見れば、惜福者は人に愛され信頼されるものがあって、不惜福者は人に嫌われ危惧されるものがあるから、惜福者が数々(しばしば)福運の来訪を受け、不惜福者が終(つい)に福運の来訪を受けないのも、自然とそうなる道理である。前に挙げた母から新衣を与えられたる場合なども、惜福者の行動は確かに婦人の愛を惹(ひ)き、その母に「私の子は私の与えた物をこんなにも大事にしてくれるのか」と満足の心をもたらすが、之に反して不惜福者が乱暴に、新衣を着崩し旧衣を押丸めたのを見る時は、如何に慈愛深い母でも慈愛が之の為に減じることは無いだろうが、「嗚呼(ああ)、私の与えた物を何と粗末に扱う事か」と嘆くのは明らかである。人は感情の為に動くものであるから、満足すれば再びまた新衣を造り与えるに至るが、いささかなりとも悦ばしく感じるところがない時には、再び新衣を造り与えるにしても或いは時遅く、或いは物粗末になる勢いが幾分かある。母ならばそうも甚だしい差は無いだろうが、継母などなら不惜福者に対して厭悪の念を発して、再び之を与えることはしないかも知れない。無担保で資金を借りる場合もそうで、惜福者が利子を提供し担保を提供し、或いは額面を減少して借りるようなことは、その出資者の信頼を強くする因(もと)であるから、その後また再び借用を申し込んでも、直ちに承諾されるような状態で、融通の一路は優に存在するが、不惜福者の行動は、たとえ当面の出資者に於いては何等の厭うべき点が無いと認めるにせよ、出資者の家族・親族・乃至・友人・使用人等からは危惧の眼で見られるものであるから、いつかはそれ等の人々の口から種々の言語が放たれて、そして終には出資者からも危惧され、融通の一路は障害物によって埋められるようになるのである。このような二ツの事例は実に些細の事であるが、万事にこの様な道理が知らない間に行われて、惜福者はしばしば福運の来訪を受け、不惜福者は次第に終に福運の来訪を受けなくなるである。(努力論④につづく)

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