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幸田露伴の「努力論④ 分福の説(幸福三説第二)」

分福の説(幸福三説第二)

 福を惜しむということが重要であるのと同様に、福を分かつということもまた甚だ重要なことである。惜福は自分一身にかかることで、いささか消極的な傾向であるが、分福は他人の身上にもかかることで、自然と積極的な観がある。正しく論じたならば惜福が必ずしも消極的でなく、分福が必ずしも積極的では無いであろうが、自然に惜福と分福とは相対的に消極積極の観を為している。惜福は既に前に説いた通りである。
 分福とはどういうことであるかというと、自分の得たところの福を他人に分かち与えることをいうのである。たとえば自分が大きな西瓜(スイカ)を得たとすると、その全部を食べ尽さないで、その幾分かを残し留めるのが惜福である。その幾分かを他人に分かち与えて自分と共にその美を味わう幸せを得させるのは分福である。惜福の工夫を為し得る場合とそうでない場合とに関わりなく、すべて自分の享受し得た幸福の幾分かを割(さ)いて之を他人に分かち与え、他人をして自分と同様の幸福を、少しにもせよ享受できるようにするのを分福というのである。惜福とは自分の福を取り尽さず用い尽さないことをいい、分福とは自分の福を他人に分かち与えることを言うので、二者は実に相異(あいこと)なりまた互いに表裏をなしているのである。惜福は自分を抑損するので、分福は他に頒与するのであるから、彼(かれ)は消極的此(これ)は積極的なのである。
 若(も)し、ただ一時の論点や眼前の観点から言えば、惜福は自分の幸福を十分に確保しないで、その幾分かをはっきりとは分からない未来もしくは運命というようなものに委ねて、預け置き積み置くことを云い、分福は自分の幸福を十分に使用享受しないで、その幾分を直ちに他人に分かち与えることをいうのだから、自分の幸福を自分が十分に享受し使用しないところは、二者全く相同じであって、そして双方共に自分に取っては差し当たり利益が減損し、不利益を受けているようなものである。しかし惜福ということが間接に大利益を為(な)して、よく福を惜しむ者に福運の来訪に接せさせるように、分福ということもまた間接に、その福を分かつ人に福運の来訪に接することを多くすることは、世の実例が示しているところである。
 世には大いに福分を有しながらケチで欲ばりな性癖のために少しも分福の行為に出ないで、憂いは他人に分かつとも良い事は一人で占めようというような人物もある。諺(ことわざ)のいわゆる「雪隠(せっちん)で饅頭を食う(トイレに隠れて饅頭を食う) 」ような卑劣な行為を敢えてして、そして心密かに之を知恵あることとしている者も随分有るのである。いかにも単に現在只今だけから立言したならば福を他人に分かつよりは、福を独占した方が自分の享受できる福の量は多いに違いない。しかし福を自分一人だけで享受しようという心、即ち福を専有しようという心は、実に狭小でケチで、何とも云えない情無い物淋しい心ではないか。言葉を換えれば「福らしくなく福を受ける」ということになるではないか。一瓶の佳酒が有ると仮定する、之を自分一人で飲み尽せば酔いを得るに足り、他人と共に之を飲めば自他共に酔いを得るに足りないという場合に際して、自分一人で之を飲み尽して、同座又は同寓の人に分かち与えないのは、福を専有するのである。自分の酒量には些(ちと)過ぎる程であるにも関わらず、之を飲み尽してしまうのは、福を惜しまないのである。他人と共に之を飲めばただ僅かに口に麹香(きくこう・酒の香)を留めるだけにも関わらず、自分だけで之を飲むには堪えなくて他人と共に之を飲むというのは福を分かつのである。福を惜しまない者の卑しい事は既に説いた通りで、実に新(あらた)に刑務所から釈放された者のような状(さま)はむしろ悲しく哀れなものである。
 福を分かたない者のケチな心はどうである。これまた餓犬(うえいぬ)がその友に譲らないようなことであって、実に「人類もまた一動物である」ということを証拠立てていると云えばそれ迄の情無い景色ではないか。餓犬がその友に譲らないのは畜生の已むを得ないところであるが、少なくとも人として畜生と変わらない心なのは実に情無い話である。たとえ生物学者から言えば人類もまた一動物であって駆けたり飛んだりする動物と多く異なるところの無いのが実際であるにせよ、少なくとも動物中の最高級に属す以上は、他の動物等の及ばない高尚で上品な心、即ち情を矯(た)めて義に近づき、己(おのれ)を克(こく)して礼に復(か)えるような崇美なところが無ければならないのである。そうでなければ人と他の動物とは何の区別するところも無くなるのである。自分を抑えて人に譲る、このようなことは他の動物に殆んど無いところで、人にだけ有り得るところである。物に足りなくとも心に足りて、慾に充たなくとも情に充ちて甘んじる、このようなことは動物には無くて、人にだけ有るところである。およそこのような心を為(な)してこそ、人もいささか他の動物の上に立ち得るのである。そうでなければ何処に人と動物の違いを見ることが出来よう。
 一瓶の酒、我を酔わすに足りなくとも人とその味わいを分かち、器(うつわ)半分の肉、我が満足には不足だが人にその切り分けを薦める、このような分福の行動は、実に人が餓犬でなく貪狼(どんろう)でないところを表わすのであって、単に福を得る道として論じるべき一箇条と云うよりは、人としての高貴な情の発動というべきである。この類の高貴な情の発動があってこそ、我々の社会が「野獣や山鳥の社会」と遥かに隔たった上級のものとなるのであって、このような情の発動がその人に「超物的の高尚な幸福」を与えるのは言う迄も無く、そしてまた他人には物質的な幸福と心霊的な幸福とを与えるものなので有って、即ちこのような行為は人類社会を高尚にし,善良にし、愉快にする重要な一因子なのである。
 一瓶の酒、器(うつわ)半分の肉、之を分かつも分かたないも元より些細な事である。しかしその一瓶の酒を分かち与えられ、器半分の肉を分かち与えられた人は、之によって非常に甘美な感情を惹起(ひきおこ)されるのであって、その感情の衝動された結果として生じる影響は決して些細なものではない。甚大甚深なものなのである。昔の名将の伝記を繙(ひもと)いたならば、士卒に福を分かち、恵みを贈るのに、昔の名将等がどんなに臨機の処置を取ったかが窺がわれるが、之に反して愚将弱卒等は常に分福の工夫に欠けたケチな行為を為すものである。酒少なく人の多い時に酒を河水に投じて衆と共に飲んだ将があるが、之はいわゆる分福の一事を極端に遂行したものであって、流水に酒を委(まか)せたとて誰も酔わすに足りないのは知れ切った事であるが、それでも尚(なお)自分一人で福を専有するに忍びなくて之を他人に分かつ情は、実に慈愛の徳に富んでいるものである。そうであればその時に流水を酌んで之を飲んだ者は、もとより酒には酔うはずもないのではあるが、しかしその言うに云えない恩愛には、酔わざるを得ないのである。このように部下を愛す将に対しては、下もまた身を献じてその用を為(な)さんとするのである。およそ人の上となって衆を率いる者は、必ず分福の工夫に於いて徹底するところが無くてはならない。鳥は蔭深い枝に宿り人は慈愛深いところに依るものである。慈愛深い者の情の発動はただ二途あるのみで、その一ツは人の為にその憂いを分かって之を除くのであり、他の一ツは人の為に我が福を分かって之を与えるのである。憂いを分かつことは今此処では言わない。福を分かつ心は実に春風の和(やわ)らぎや春日の暖かさのようなものであるから、人がもし真に福を分かつ心を抱くならば、その分かつところの福が実際は些少で言うに足りないものにしろ、その福を享受した人が非常な好感情を抱くことは、例えば「春風は和らぐといえども、物を成長させる力は夏の南風に如(し)かず、春日は暖かなりといえども、物を暖める能力は夏日に如かず」であるにも関わらず尚(なお)春風春日は人に無限の懐かしさを感じさせるのである。それ故(ゆえ)に分福の工夫に欠けている者は、自然に孤立した物寂しい光景(ありさま)になるのを免れないのに反し、分福の事をする者は、自然とその人の周囲に和気祥光の雰囲気が揺曳するように感じ、衆人が之に心を寄せるようになるのである。
 惜福の工夫と分福の工夫とを共に能(よ)くする人は、その人すでに福人たりと云うべきであるが、世の実際を観ると能く福を惜しむ人は多くは福を分かたないで、能く福を分かつ人は多くは能く福を惜しまない傾向があるのは、嘆き惜しむべきである。福を惜しむ工夫をしない人は人の下として人に愛重されるような人ではなく、福を分かつ工夫に乏しい人は人の上(かみ)として帰依信頼されるような人ではない。人もし人の下として身を立てようとするのなら、必ず福を惜しまなくてはならない。福を惜しまなければ福は積もらず、その人は永く無福の境界に居なくてはならないのである。福を分かたなければ、その人は永くただ自分一個の手脚(てあし)で以って福を獲得するだけの小境界に止まり、他人の手脚からは何等の福をも得ないで終るべき道理なのである。
 我が能(よ)く人に福を分かてば人もまた我に福を与えるべく、たとえ人が能く我に福を与えないまでも人は皆心ひそかに我に福の有ることを祈るものである。ここに一商店の主人があると仮定して、その主人が商利を得て必ずこれを使用人等に分かつとすると、使用人等は主人が福利を得るのは、即ち自分等が福利を得ることになるので、勉励して業務に従い努めて、主人に利を得させようとすることは無論のことである。之に反して、主人が商利を得てもただ自分の懐中だけを膨らませて、使用人等に対してなんら分福の行為に出なければ、その使用人等は労力相当の報酬が無いことにはなんら不平不満を抱かないとしても、主人の利不利は自分にとって痛くも痒くもない事となり、自然と福利を得ようとの念淡く終(つい)には、主人をして福利を得る事実と機会とを逸することが多くなるのである。契約や権利義務の観念や法律や道徳や種々の繋がりがこの人世には存在するものであるから、たとえ分福の欠けた人でも急に不利な境遇に陥(おちい)るという事は無いが、要するに分福の欠けた人は自分の手脚だけしか頼めない状態であると云っても良いから、従って他人の力によって福を得ることは少ないとしなければならないのが世の実際が示している現象である。
 そもそも力は衆の力を合わせた力よりも多い力はなく、智は人の智を使うよりも大きな智はないではないか。山野の鳥や獣は、一人の手脚の力で之を得るには足りないのである。大事大業大功大利がどうして、限り有る一人の計画や労務の力で能(よ)く成し得るものであろうか。これ故(ゆえ)に大きな福を得ようとする者は必ず能く人に福を分かって、自ら独り福を専らにせず、衆人をして我が福を得ることを希(こいねが)わせるのである。即ち我が福を分かって衆人に与え、そして衆人の力に依って得た福を我が福とするのである。分福の工夫の欠けた人などは未(いま)だ大きな福を為すには足りない者である。
 惜福の工夫十分な人が福運の来訪を受けることが多いのは実際の事実であって、遠く史上の古人について之を調べなくとも、近く我々の見聞き知るところの今人について之を考査すれば直ちに明らかなことであるが、分福の工夫十分な人が好運の来訪を受けることが多いのも、また明らかな事実である。ことにその人いまだ発展しないうちでも惜福の工夫さえあれば、その人は徐々に福を積み得るものであるが、その人が次第に発展して地平線上に出るに及んでは、惜福の工夫だけでは大を成さない。必ずや分福の工夫を要するのである。商業者としては店員や使用人や関係者や取引者に対して、常に自分の福分を分かち与える覚悟と行為とを持つ時は、自然とこれ等の人々はその主人の為に福運の来ることを望むものであるから、人望の帰するところ天意これに傾く道理で、その人は必ず福運の到来を受けるようになるのである。農業者に於いてもその通りで、従業員に対し肥料商に対し種苗供給者に対し、常に福を分かとうとする温かな感情を持つ時は、従業員の耕耘も懇切丁寧になるからその農事は十分に出来、肥料商も粗悪な品質のものを供給しないからその効果は十分に挙がり、種苗供給者も良好な種子や苗を供給するから収穫も多くなる道理である。
 すべて人世の事は時計の振子のようなものであって、右へ動かした丈は左へ動くものであり、左へ動いた丈は右に動くものである。「天道は復(かえ)すことを好む」というが実にその通りで、我より福を分かち与えれば、人もまた我に福を分かち与えるものである。工業でも政治でも何でも一切同じ事である。それ故(ゆえ)に何によらず分福の工夫に疎(おろそ)かでは人の上に立つことは甚だ難しいのである。
 家康公は惜福の工夫に於いては秀吉に勝って居られたが、分福の工夫に於いては秀吉の方が勝れていた。秀吉の功を収めること早くて家康公の功を収めることが遅かったのは決してただ一二の理由に基づくのでは無いが、秀吉の分福の工夫の甚だ適切であった事も確かにその一理由である。家康公は自己の臣下に対しては多く知行(ちぎょう・領地)を与えられなかった人である。徳川氏代々の家臣の多くは大禄(たいろく・大きな領地)を与えられなかった。これに反して秀吉は実に気持よくその臣下に大禄厚俸を与えた人である。この点に於いて秀吉は実に古今独歩の観がある。加藤清正や福嶋正則や前田利家や蒲生氏郷や、或いは始めから臣下であり或いは中途から旗下に属した者にも、惜気なく福を分かち恵みを施したのは秀吉の一大美点であって、一勇者にも何十万石を与えられたのであった。即ち秀吉が福を得さえすれば臣下もまた必ずその福の配分に与(あず)かるのを得たのであり、主君をして一国を切取らせば臣下もまた一郡或いは一城を得るというのであった。臣下たり旗下たる者、主君の為に鷹犬の労(ようけんのろう・狩りでの鷹や犬の働き)を為して血戦死闘も辞せず、である。このようなことは即ち秀吉が早く天下を得た根本の一理由で無ければならない。
 蒲生氏郷は大器雄略の士に違いなかった。しかしこれを会津に任じるに当って突如として百万石の大禄を与えたのである。氏郷が底の心の知れない伊達政宗と徳川家康との間に介在して秀吉の為に大丈夫的苦慮健闘を敢えてしたのも決して偶然では無いのである。北條氏を滅ぼして秀吉が徳川氏に与えたものは実に関東の地であった。徳川氏たるものどうして豊臣氏に対して謀叛を抱き得ようかである。秀吉かって寛ぎの宴席で、「天下の大小名、余(よ)に対して謀叛を抱く者ある筈なし、なぜなら、如何にしても余のような良い主人は、世に二ツとあるはずが無いからなり。」と云ったということがある。実に秀吉のその言葉は如何に当時に於いて秀吉が福を分かって惜しまない天下第一の人であったかという事を語っているものである。
 氏郷の伝記を読めば、当時の英雄等の会合の席上に於いて、秀吉に万一の事が有れば誰が天下の主(ぬし)たるものであろうという問に対して、氏郷が前田の老父(おやじ)であると云った。そこで前田殿を除いてはという再度の質問が起って、それに答えては乃公(おれ)がと云った。そこでまた氏郷の眼中に徳川氏が無いのを訝(いぶか)って、徳川殿はという質問が起った。それに答えて氏郷は笑いながら、「徳川のような、人に物を呉れ惜しむ者が何を仕出かしえようや。」と云ったという事が載っている。氏郷の心中では常に家康公をなにかと思っていたらしいのであるから、これは一時の豪語でもあろうし、又その事実も必ずしも信頼できるものではないが、しかしながら氏郷の語はたしかに家康公の短所に当っていて、家康公の横ツ腹に匕首(あいくち)を加えたものである。実にその言葉のように、家康公はその臣下に大禄厚俸を与えなかった人で、その遺制は近代に及び明治維新前になって徳川氏の譜代大名が皆小禄薄俸の徒であった為、真に徳川氏の為に力を尽くそうとする者の力が微小で勢いが弱く、終(つい)に関ヶ原の敗者である長州藩や薩摩藩等の外様大名の為に圧迫されたのである。秀吉は惜福の工夫に於いて欠ける所があった代わりに分福の工夫に於いて十二分であり、家康公は惜福の工夫に於いて勝れていた代わりに分福の工夫に於いてやや不十分であった。
 平清盛は随分短所の多い人であった。しかし分福の工夫に於いては実に十二分の人であって、一族一門に福を分かって惜しまないこと清盛のような人は、日本史上に少ない。清盛に反して頼朝は実に福を分かたない人で有って、佐々木高綱の石橋山合戦の功を賞した時には、日本半国を与えるべしなどと云いながら、その後、これを与えなかったので佐々木は仏門に入ったのである。弟の義経・範頼にも碌(ろく)に福を分かたないのみならず、却って禍(わざわい)を与えたのである。頼朝の家の為に死力を出す人は少なく、平家に忠臣の多かったのも偶然ではない。ナポレオンもまた能(よ)く福を分かった人である。その一族及び旗下臣下等のナポレオンの為に巨福を得たものは何程(どれほど)あるか知れない。一敗の後、再びヨーロッパに旗を挙げた時、殆んどまた暴風が浪を巻く勢いを為(な)したのも無理は無いのである。足利尊氏は欠点の少なくない将軍であるが、その福を分かつに於いて天下の同情を得て、新田義貞や楠木正成のような智勇抜群の人をも圧倒したのである。今の世に於いて、千万人中、誰か能(よ)く福を惜しみ誰か能く福を分かつ者か。人試みに指を屈して之を数えて、その功を成すことの大小を考えて見たならば興味があろう。実に福は惜しむべきであってまた福は分かつべきである。(努力論⑤につづく)


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