Vernon of SEVENTEEN論考
これは約1年前、私がBeg For Youリリース1周年記念に寄せた記事の中で書いた冒頭の一文である。
これはどういうことなのか、
私はBeg For Youの記事で答えを出していない。
当記事はVernonがアーティストとして創造する音楽の先に何があるのかを模索する試みであり、私個人がVernon of SEVENTEENに見た世界の共有である。
まずはじめに、Vernonが我々に提示する音楽は常に時代とともにある。彼の音楽を読み解くには時代の話から始めなければならない。
これから1990〜2020年代という、この約30年程の時代の変遷と照らし合わせながら、Vernonがこれまでに発表した楽曲を紐解いていく。
ヒップホップの10年
2010年代、音楽シーンはインターネットによって大きく変わった10年だったと言えるだろう。それはiPhoneを皮切りにスマートフォン・インターネットの大幅な普及、それに伴う音楽配信ストリーミングサービスの登場である。
00年代に牽引していたロックの時代は終焉を迎え、時代はヒップホップに。2023年にその歴史の50年の節目を迎えたヒップホップというジャンルにとって、この10年は特に劇的な躍進を迎える時代となった。
また時を同じくして2010年代はK-POPが世界にその存在を広く知らしめた10年でもあった。
VernonがK-POPアイドルの練習生になり、SEVENTEENというボーイズグループとしてデビューしたのは、そんな2010年代の中盤だった。
SNSの普及により、世界はぐっと広がった。人々は全世界に向けて自由に自分の言葉を発し、写真や動画をシェアする。世界の境界を崩すように、人々は年齢も性別も、時には言語の、壁の向こう側にアクセスすることが容易になった。
スマートフォンの普及によって自分の意見はより自由に、写真はより身近になった。それは音楽も同じだ。CDをダウンロードして、あるいはiTunes等の専用の機器に入れて持ち運ぶ時代から、検索すればなんでもすぐにアクセスできる時代になった。
iPodが提言した「1,000曲をポケットに」はさらに進化した。サブスクの登場により人々が音楽を聴く環境はより多様になり、かつてないほど人々が音楽を聴く時間や量は増えたと言えるだろう。
そしてクリエイトする側の世界ももちろん変わった。楽譜が読めなくても、楽器をもたなくても、ターンテーブルがなくても、808がなくても、ガレージバンドをはじめMacひとつ、スマホひとつで音楽を作ることができる時代になった。
発信できるプラットフォームも一気に増えた。YouTube、SoundCloud、Twitter、TikTok……その背景は今までになかった概念”バズ”を生み、数々のスターを誕生させた。SEVENTEENのSOSにフィーチャリングされていたMashumero然り、ジャスティンビーバーもそのうちの一人である。今や懐かしのピコ太郎のPPAPは、そんなジャスティンビーバーに”見つかって”一大旋風を巻き起こした出来事もあった。
誰もがチャレンジできる時代になった。世界中の誰もがチャンスを手にすることができる、あるいは成功を手にする”ロールモデル”が身近に見える時代になった。
そんな時代の中でMTVの勢力は衰えゆき、他雑誌やラジオなどかつての"マス"が担っていた勢力図はSNSに取って代わられた。
マスの時代に世界を轟かせていた音楽が欧米中心だったことを思うと、US・UKを中心としたロックの終焉はまた、アーティストやオーディエンスの発信が力を持つ時代の到来を如実に表している。
SNSを中心に個人の発信が力を持つ時代の到来がなければ、ヒップホップやK-POPがここまで世界を席巻することはなかったかもしれないと個人的に思う。つまり2010年代はゲームチェンジャーの時代であった。
しかしそれは同時に、「自分が何者であるか」を示さなければならない時代でもあった。
ヒップホップは自分を主張する、極めて個人的な音楽である。個人の出自を主張し登り詰めて行くヒストリーに人々は共鳴しオーディエンスは熱狂する。日本でも、若者が道端でフリースタイルバトルをやっているのを度々見かけた。
世界が急激に広がり繋がっていく中で自分の輪郭が揺らぐ時、"自分"が"自分"であることをありのまま示す「カッコよさ」が人々の共感を得た。
ヒップホップが絶大な人気を誇ったこの10年は、「自分の定義を問う」時代性を象徴するものだったと私は考える。
そんな2010年代の半ば、2015年にデビューしたのが K-POPボーイズアイドルグループSEVENTEENである。メンバーの1人であるVernonはデビュー前後にソロでミックステープを出していた。
その一つが同じ頃にTEDのプレゼン動画がネット上で話題になった"Lizzie Velasquez"と同名の楽曲であった。
Vernonが発表した"Lizzie Velasquez"というタイトルの楽曲はトラップ(※10年代に人気を博したヒップホップのサブジャンルの1つ)サウンドに、自身の出自を明かし、生い立ちとその苦悩をさらけ出すリリックが心に刺さる一曲だ。この楽曲はSoundCloudというフリーの音楽プラットフォームにアップされた。
Vernonは『Lizzie Velasquez』の中で何度も問う。
"What defines you? What defines you?"
この問いそのものが自身を定義づける。
彼はその音楽と時代に共鳴する。
Meek Millの『B BOY』をサンプリングした、同名の楽曲『B BOY』で”超えてみせる”と宣言したMeek Mill、ドレイク、そして「飯はどうするんだ?」というセリフ。(-야 사람 너무 많은 것 같아 밥값은 어떡하게?)Vernonが数々の曲に乗せたリリックはそのままSEVENTEENというグループのハングリー精神を示していた。
「絶対に上に上がってやる」「絶対に見返してやる」
その覚悟が、『Lizzie Velasquez』で彼の内情をさらけ出させたのだと私は思う。人々が自己を問うことを求めていた時代に、彼も彼の立場から自分の話をしていた。それはヒップホップの精神と呼応していた。
SEVENTEENにヒップホップチームがあるのは単に技術的にラップができるメンバーを集めたのではないのではないかと思う。SEVENTEENのヒップホップチームは、グループの根底にある精神を表現し続けてきた人たちだ。
hyperpopとCharliXCX、Omega Sapien
時を同じ頃、アンダーグラウンドのシーンではインターネットによって新たな時代の隆起を迎えていた。
その一つが「hyperpop」である。イギリスのプロデューサーA.G.Cookによって立ち上げられた「PC MUSIC」というインターネット発のインディーレーベルは、EDMの盛り上がりが徐々に失速しヒップホップ・トラップが盛り上がりを見せつつあった2013年に立ち上がった。
あらゆる音楽がインターネットの海に漂う時代に、PC MUSICはまさに時代の狭間に入るように、ジャンルのこだわりもなければ音楽・アート、そしてフリーダウンロードという全く新しい音楽の在り方を提示した。
Vaporwaveのムードを下敷きに生まれたPC MUSICをきっかけに、この混沌はhyperpopという現象になっていく。
UKではエド・シーランが絶大な人気を誇る中、このアングラシーンに君臨したのがCharli XCXであった。
Charliの特徴のひとつはコラボだろう。メインストリームの音楽を聴きながらレイブに出入りしていた彼女は、“界隈”の境界を引くことなく面白いアーティストと次々にコラボを実現させていく。彼女の分岐点の一つと言っていい2019年のアルバム『Charli』はそのほとんどがコラボ曲だ。
Charliだけでなく、10年代はコラボの動きが世界的に活発だったように思う。それは先述したように音楽がよりクリエイトしやすい時代になったからだといえるだろう。この状況は2020年の世界的なパンデミックによりさらに加速した。行動を制限された世界でライブができなくなったアーティストたちは家の中で曲を作っていた。
88risingをはじめアジア系アーティストにも光が当りはじめていた2010年代後半、Rina Sawayamaも2020年のアルバムがヒットし世界にその存在を示していた。
そんな中で、Vernonの発言をCARAT経由で知ったCharliはやがて2022年2月にVernonとのコラボを本人に持ちかける。
「PC MUSIC」の主宰者であるプロデューサーA.G.Cookによるリミックスによって完成したBeg For You (A. G. Cook & VERNON OF SEVENTEEN Remix) [feat. Rina Sawayama]はそんなあらゆるアーティストがひとつの音楽を作り上げる可能性を示した希望の例だった。
※しつこいですが詳しくはこちら↓
やがてVernonは自身の発言をきっかけに実現した憧れのアーティストのコラボを筆頭にさらなる躍進を続けていく。
2022年に出されたOmega Sapienとのコラボ曲『Wrecker』もその中の大きなひとつである。
“オルタナティブ・Kポップバンド”を称する韓国のユニットBalming Tigerはトラップやhyperpopをベースにした独自の音楽性で世界の音楽ファンを熱狂させている。ライブ映像を見てみたらその熱気が伝わるだろう。私自身今年フジロックにてライブを見たがどのステージよりもフロアが熱く燃えていた。
そんなグループの中心人物であるOmega Sapienは韓国、アメリカ、日本と居住地を変えながら生きてきた、Vernonとの生い立ちの共通点も少し感じるような境遇にある人物だ。
彼はこう語る。
かねてより交友関係があったこの2人によって生み出された曲が『Wrecker』である。あらゆるところに皮肉が散りばめられたこの曲中、Vernonのリリックで「Kpoppapi」という単語が出てくる。ソウル、K-POP業界の虚構をも感じさせるリリックに続くこの単語はOmega SapienというKアングラシーンを席巻するアーティストと共に示す新たな"K-POP"の提示とも捉えられるだろう。
その証に、この曲がLUCKYMEという気鋭のレーベルから出されたことも無視できない。クラブ、ヒップホップ、エレクトロニカに精通している人にはお馴染みのこのレーベルは、しかしメインストリームのシーンからみるとかなりマイナーなレーベルである。
ここにK-POPアイドルであるVernonの名前が挙がってきたことは、音楽の境界を壊す重要なトピックだと私は捉えている。
Charliとのコラボ、Omega Sapienとのコラボの特筆すべき点は、彼自身のドラマに基づいた関係性が生んだ音楽であることだ。ビジネス主導の音楽制作の意味合いよりも「面白いからやってみよう」が実現したコラボと私は思っているが、これは間違いではないだろうと思っている。
これはまさに、「食費はどうする」と言われてきた時から少しずつ世界を認めさせ今や「トップスター」になったVernon of SEVENTEENが、現在の立ち位置から示す新たな音楽の可能性である。
コラボの実現には彼が辿ってきた道と現在地、何よりSEVENTEENの躍進なしには語れないだろう。
さて、ここで話を少し戻して2021年にVernonが出したBANDS BOYである。こちらもトラップといえるこの曲はCharliを含めhyperpopの影響も随所に感じられる。トラックはもちろん、アートワークは車というモチーフをアートワークにも歌詞にも頻繁に使うCharliの、もっと辿ればヒップホップの影響を垣間見る。
また、そのアートワークに自身と仲のいいグラフィックデザイナーのROBB ROY氏を迎えたことも、仲間意識の強いヒップホップから、音楽だけでなくものや人を巻き込むことで見たことがないものを生み出してきたhyperpop文脈の影響としても読むこともできるのではないだろうか。
そして公式には明かされていないリリックについて。moe.iさんの協力を得て一部引用する。
※原文が公表されていないこともありこの英文が正だと断言はできず、個人の解釈であるという注釈を入れさせていただく。
BANDS BOYはVernonから見たSEVENTEENを歌っているように思う。早期再契約を果たしたこの年に、彼は過去の『B BOY』あるいは『Lotto』にケリをつける。
ヒップホップは自己主張である。まだ名の知れていない者が世界に対する宣戦布告である。勝利の先に行き着くのは何だろうか?
最近17年ぶりに、”全曲ラップなし”の新譜を発表したことが話題になっていたラッパーのAndré 3000は「もう48歳だ。ラップすることなんてない。大腸検査受けにいくよとか視力が落ちてきたとかラップしろって?」と話す。
Vernon自身のヒップホップが今後どう展開されていくのか、私は分からない。知り得ないことである。
しかしSEVENTEENでの、ヒップホップチームでの作詞・作曲には確実にこの様々な"Vernon of SEVENTEEN"での活動の影響が出ていると思っている。
今後彼が作るヒップホップはどう変化していくのだろうか。
時代に照らし合わせながら彼自身の軌跡を辿り見えてきた世界で、私はその先が楽しみでならない。
そして彼には時を同じくしてもうひとつのジャンルが芽生えてきていた。
ヒップホップからロックへ
2021年、『BANDS BOY』が出る1ヶ月ほど前に出されたのがSEVENTEENのミニアルバムAttaccaのジョシュアとのユニット曲『2 MINUS 1』だった。そこでは80〜90年代生まれの心の奥底に眠っていたような、懐かしいサウンドが展開された。アヴリルラヴィーン、グリーンデイ、Blink182、本人たちも語っていたようにその音楽のベースは明確に、2000年代のポップパンクにあった。
ポップ・パンクリバイバルである。
さて、ポップパンクとは何だろう。世界的ロックスター、ニルバーナのカートコバーンが27歳で死去した次の年、それまでの荒々しかったグランジロック、パンクロックの世界を新たに塗り替えたのがグリーンデイのメジャーデビューアルバム、『Dookie』だった。バンドという形態のグルーヴ感はそのままに、爽やかで疾走感のあるサウンドが絶大な人気を誇った。日本でいうとハイスタや銀杏、アジカンなどはグリーンデイをはじめとするポップパンクの影響を受けたバンドだと思っている。
それまでの破壊的なパンクスの文脈を継ぎつつ爽快にされたポップパンクには批判もあった。怒りや暴力性を取っ払った”ハッピー・パンク”はしかし時代にあるべくして現れた。
日本では平成という年号が新たに冠され、バブルは崩壊した。携帯電話が身近になり、ワープロはパソコンへと進化した。
このあらゆる時代の転換期にこそ、このハッピー・パンクは支持されたのであろう。
先に述べたように一度は廃れてしまったこのポップパンクリバイバルに火を付けたのは”ラッパー”であるマシン・ガン・ケリーであった。すでに人気ラッパーとして活躍していた彼は、2020年のアルバム『Tickets To My Downfall』で突然、自身のルーツであるポップパンクに回帰した。彼はインタビューにてこう語る。
私はポップパンクというジャンルを、主張の同異を言わさずみんなで肩を組める音楽だと思っている。フロアで、フェスで、みんなで拳を突き上げるような一体感、ある種ナショナリズム的な団結感をうむ。
ポップパンクをはじめとするロックのリバイバルとは、もしかしたら「自己主張」の時代の変化かもしれない。
SNSでは日々主張と主張がぶつかり合い、分断を生んでいく。SNSをはじめ、自分が何者であるかを示さなければならないことに人々は少しずつ疲れてきたのではないだろうかと私は思っている。
そして何より、2020年の世界的パンデミックは強制的に人との距離を遠ざけた。人は再び繋がりを求め出した時期にポップパンクがリバイバルしたことは偶然ではない気もするのだ。
また、幼少期や青春時代にあの音楽に触れた80〜90年代生まれが大人になった今、私たちは過去への焦がれとしてのあの懐かしいサウンドを求めているのも大きいいのではないかとも思う。
Vernonもまた、このポップパンクリバイバルにおいてMGKの影響を受けていることは本人の発言からも分かる。Black Eyeの制作時期前後のDarl+ing期に、Vernonは最近よく聴く曲にまさにMGKのアルバム『 mainstream sellout』を挙げていた。
Black Eye
Black Eye。それはVernonのソロにおける、”自己の話”の変化だと捉えている。ヒップホップは、誰でもない極めて個人的な自己の話を主張することで、オーディエンスが自分の境遇あるいはアーティストの経験と意思に思いを馳せることで共感し合う。
対してポップパンクは具体的な個人の話よりももっと普遍的な心を歌い、大衆が持つ経験と結びつき共感を得る。
もしかしたらVernonの楽曲に込めるメッセージはずっと変わっていないのかもしれない。しかしBlack Eyeの音に乗せる歌詞は、自分自身の話よりももっと抽象的な表現に落とし込まれていた。(本人もインタビューにて、自分ではなく友人をモデルにしたと語っていた。)
そして今のVernonには、制作における重要な人物がいる。BANDS BOYのアートワーク、SEVENTEENのFace the Sunの『Ash』でトラックメイクを行なったROBB ROY氏がBlack Eyeにもクレジットされていた。
制作における強固なパートナーのような存在は、本人の口からあまり多くは語られないものの極めて大きいものだと思うのだ。
『Lizzie Velasquez』や『B BOY』で絶対に昇ってやると断言した彼はその言葉通り、名実共に世界的な”ボーイバンド”SEVENTEENのメンバーとして名を馳せた。スターを目指して自己を、その覚悟を歌ってきた彼は、10年に近い時を経て確固たるスターになった。
ヒップホップという自己主張の先に“ロックスター”をできるのは、きっと”スター”という位置にまで到達したからこそなのだと私は思う。
そして彼が生み出す作品のジャンルは超越し、創作はより自由に羽を広げていく。Vernonは自己のメッセージを、音楽へと強固に結びつけることでジャンルを自由に横断する。
(sic)boyとVernon
(sic)boyとVernonのコラボは恰好のタイミングだった。かねてより(sic)boyの曲をSNSでシェアしていた彼だったがそのコラボは必然かのようだった。(sic)boyはヒップホップをベースにしつつJ-Rockからの多大な影響を反映させた他にない音楽性のアーティストである。
ヒップホップからポップパンクへとグラデーションしていくVernonと、そのキャリアを着実にものにしメジャーデビューアルバムを発表するタイミングにあった(sic)boy、二者のコラボ。
英語、日本語、韓国語が混じる『Miss You』はやさしく世界を包み込み、ジャンルを、言語を、あらゆる境界を超え”分かち合う他者”を感じさせる曲だった。
おそらくまだVernonと親交を深める以前、2021年のインタビューである。この(sic)boyの話と、Vernonが体現してきた音楽は通ずるものを感じないだろうか。
インターネットは完全にインフラ化し、ビートルズの「最期の新曲」が全世界サブスク配信される時代は、時間も国も、何もかもを超越する。
その音楽の可能性の中に示されたのがこの二者のコラボであり、『Miss You』という楽曲だった。個人的にこの曲はVernonの様々な作品や人との出会いの中での一つの着地点だったように思う。
例えば日本に住むK-POPアイドルSEVENTEENの、Vernonのファンが、彼によって(sic)boyという日本のアーティストに出会うこと。また、(sic)boyのファンはこのコラボによってSEVENTEENの存在を知るかもしれないこと。
これまで数々のコラボによってそれを示してきた"Vernon of SEVENTEEN"。意図してか否かは知り得ないが、"of SEVENTEEN"にはそういう意味だとも受け取れることを思うと希望である。
Vernon of SEVENTEENとは
ここまで、音楽史と社会に触れながらVernonの作品とその変遷について語ってきたが、Vernon of SEVENTEENが示す音楽とは何だろうか?
一つはコネクトである。
メインストリームに立つ、アイドルであるVernonはその立場から「自分」を表現し続ける。好きなものを発信し続ける。そうすることで人々のあらゆる偶発的な出会いを生む。Charliが彼にそうしたように、またVernonもファンをはじめあらゆる出会いをそのままコネクトさせるのだ。
ステージに立ち、"i'm super idol"と言ったVernonは、アイドルの立場で、Vernon of SEVENTEENというグループ名を冠し、あらゆる境界を壊し新たな世界を作っていく。
そして、もう一つが精神性だ。
2010年代を振り返った音楽メディアRolling Stoneの記事を引用する。
時代背景とざっくりとした音楽史に彼の作品を照らし合わせながらここまで論考を進めてきた。ある意味ではVernonは流行に則った作品を作るアーティストと解釈できるかもしれない。
Black Eyeのリリースに際しVernonがインタビューで語ったこの言葉が印象的だ。
「僕が好きなものを好きな人に喜んでもらえるような音楽を作ることが一番いいのではないかと思います。僕の好みがマイナーだとはあまり思いませんし。」
2021年にも話しているように、「トレンドを把握しておきたい」という意識がVernonにあることは、彼の作品を語る上でもも重要な視点ではないかと思う。
流行とは何だろうか?
流行を作るものは何だろうか?
それは社会であり、今この社会に生きる我々一人一人である。
流行とは即ち個々の集積がつくる時代の精神の反映だと私は思う。
そしてそれは単に流れて行く受動的なものではなく、そこに作品を投じるアーティストがいることで、流行は流行になるのだ。
Vernonはヒップホップを起点に、SEVENTEENでも数々の制作に携わり今へと歩みを進めながら、メッセージを伝える手段を広げた。ある時はどこまでも泥臭く、ある時は抽象的に自分ではない他者をもモデルにする。
その軌跡の中に在りながらまず「伝えたいことがある」からこそそれは音楽になり、作品になり、私たちの耳まで届くのだ。
そしてそれは音楽だけの話ではない。
先ほど挙げた引用にもあるが、音楽は音楽単体だけを指すのではない。
KENZOのアンバサダーに抜擢されたVernonはそれをより象徴した。
セックスピストルズを生み出したヴィヴィアン・ウエストウッドが亡くなった時、Vernonは指にアーマーリングをはめた写真をストーリーズでシェアした。ヴィヴィアンのアイテムを身につけていた。ファッションはつまり思想を纏うことでもある。
高田賢三氏の死後後継者としてNigoが展開する新たなKENZOは、そんなVernonのスタンスと合致した。
例えば2023-24秋冬のコレクションではThe Whoを思わせる赤と青、白の同心円を中心に、60年代UKのモッズカルチャーから影響を受けたデザインが目を引いた。
Nigは、高田賢三を継ぐ中でNigoのKENZOにはしたくないと語りつつ、「何を作っても『Nigoらしいね』と言われる。でも、そうじゃないものを作ってもダメなのかもしれません」」と語る。
ストリートカルチャー出身のNigoが高田賢三を継ぎ、日本の伝統を継ぐ中で"PARIS"をやることで境界を壊し新たなイノベーションが生まれて行く。そんな今のKENZOにVernonが抜擢されたことは、単に影響力のある「アイドル」というラベリングだけで説明がつくだろうか?
私はそうは思わない。
Vernonは音楽を、言語を、ファッションを、あらゆる境界をまたぎながら、Vernon of SEVENTEENで在り続けるのだ。
最後に。
2021年に自らのアイデンティティを「Diverse(多様性のある)な人。」と語ったVernon。今年の10月に出されたGod of Musicを受けて、私はこの言葉をこう解釈する。
Vernonが言うDiverseとは、フロアである。
ひとつの空間を共にし音楽を共有する時、人々はしがらみも、属性も、言語も、思想も、何もかも忘れ、わかちあえる。
音楽は救いであり、希望だ。
そんな言葉を歌う彼が、SEVENTEENを通してあるいは彼自身を通して生み出される音楽が今後どう発展して行くのか。
2023年も終わりに近づく折、2020年代を振り返る時果たしてあとの6年はどんな変化をもたらすのだろうか。
同じ時代に生き、創作を続けるVernonはこの先、世界に、時代に、何を投じるのだろうか。
Vernon、そしてSEVENTEENと共に生きる今という時代に、また新たな音楽を享受できることが、楽しみでならない。