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【言葉のビストロ】逃避じゃない充電だ①

ひとりごと:メニュー名の妄想

 カウンター席に座ってメニューをぼんやり眺める。ここのところの開店前の習慣だ。
 このメニューを使うようになって半年ほどになる。すっかり馴染んで、以前のメニューがどんな色でどんな大きさだったのかすぐには思い出せない。以前のものだって試行錯誤しながら苦労して作り上げたし、出来た時の達成感は素晴らしかった。それなのに半年後の今、すぐに思い出すことができないなんて、当時は想像もしなかったことだ。そしてまた、今手にしているこのメニューを思い出すのに苦労する時が来るのだろう。メニューを眺めるお客様の視線を見れば、口にする前に注文内容が予想できるほどだというのに。少し寂しい気もするが、決して薄情というわけではない。人生とはそういうものだし、それでいいのだ。私たちは日々変化している。
 実のところ、このメニューを変える必要に迫られているわけではない。変える必要はないけれど、この紙のメニューを少し手直ししてリニューアルするのは、新たな料理を考案して追加することに比べたたらずっと簡単にできることだなと、ふと考える。先日、常連の彼女にとって「成長」についてとらえ直したように。

 例えばここに「日替わりサラダ」と書かれている。
 季節や天候などでその日の仕入れが多少変わるのでそんな名前にしたのだが、これを「シェフの気まぐれサラダ」にしたらどうだろうか。
 それっていつもの「日替わりサラダ」ですよね、と、常連さんは笑うかもしれない。まったくもってその通りだ。同じシェフが作った同じようなサラダだ。それなのになんだかオシャレで、しかもなんだかおいしそうに感じないだろうか。
 この「なんだか」が大切だ。
 「なんだかおいしそうだ」と思ったらおいしくなるし、「なんだかオシャレだ」と思ったらオシャレに見える。自分で言うのもなんだが、うちのサラダはなかなかおいしい。材料を変えるのはその時期の旬のおいしい野菜を使うためだ。彩りや盛り付けにも気を使っていて見た目も悪くない。もともと悪くないうえに、名前からくる期待が更にその要素を見つけるように自然と仕向ける。だから、もともとあった魅力に注目が集まるのだ。結果的に「日替わりサラダ」より魅力的に感じる。サラダ自体は変わっていないのにだ。言葉はそんな魔法のような力を持っている。もちろん、誇大広告や名前負けのようなものは論外だが。

 そういえば、常連の彼も彼自身がそんな魔法をまとっているような人だ。独特の神妙な表情で話しかけてくる時、微かに茶目っ気が見え隠れしている、その抑えた話しぶりに引き込まれて真面目に聞き始めると、やっぱりいつもの地質やお城、ダムやダムカレー(ダムを模して盛り付けたカレー)の話で、その表情と内容とのギャップで脱力し笑ってしまうのだ。だから、彼が例の神妙な表情で話しかけてくるといつも、私は聞く前に笑ってしまう。
 その彼が元気がない。いつもの席に座った彼は、いつものように真面目な顔をしているのだが、まるで一晩経った風船のようだ。彼を活気づけている茶目っ気が抜けて張りがない。
 彼が店に滞在する時間は限られている。彼が彼の魔法を取り戻すような、せめてそのヒントになるような何かを、この時間で提供できないだろうか。私は彼の話に耳を傾ける。
 これはそんなヒトサラのお話。

今日のヒトサラ:逃避じゃない充電チャージだ①

 当時勤務していた会社に途中入社してきた彼は、営業担当として隣の課に配属された。私より数歳年下。眼鏡をかけ知的な雰囲気で、真面目で穏やかそうな人物と思われた。隣の課とは業務上やり取りすることはないし、最近はお客様先に訪問していることが多くほとんど事務所にいない。彼と話す機会はあまりないかもしれないが、同僚の知人ということだそうだからすぐに馴染んでくれそうだ。朝礼で営業所の全員に紹介された彼を見てそんなことを思った。

 夜八時を過ぎ、社内に残っている人影はまばらだ。ここのところお客様先への訪問が増えて、勤務時間内に社内に戻って来て報告書作成などの事務処理を終えることができなくなってきた。しかし、静かで集中できるので、この時間に営業所内で仕事をするのは気に入っている。
 「あの、今忙しいですよね。」
黙々とパソコンを操作していると、彼が遠慮がちにでも決意をもった様子で話しかけてきた。なにやら相談事でもありそうな雰囲気だ。空いている隣の席を勧め、椅子を少し回して彼の方に体を向ける。彼は浅く腰掛けると少し前屈みになって膝の間で手を組み、その手のあたりを見ながら低い調子で話し始めた。私もつられて組んだ彼の手を見る。神妙な表情と抑えた口調に少し緊張する。
「あのですね、ほんとバカな話なんですけどね、折り入って相談があるんですけどね、いや、ほんとつまんない話なんですけどね、なんか、似た匂いを感じたもんですからね、わかってもらえるんじゃないかなぁなんて思ってですね。」
こんなに前置きするなんていったいどんな相談なのだろうか。彼とは業務上やり取りすることはないからこそ、客観的な意見を求めて人間関係の相談かもしれない。それにしてもあいさつ程度しか話したことがない私に相談するだろうか。すると彼がおもむろに顔を上げた。
 「ブレストゲーム部に入りませんか?」
彼と目が合った。その表情は相変わらず神妙だったが口元にいたずらっぽい笑みが微かに浮かんでいた。
「なんだぁ。」
と、身構えていた私は緊張感から解放されて調子外れな声を上げる。そんな私にはお構いなしに、彼は真顔のまま、上体を起こし身振り手振りを交え、ブレストゲームとはブレインストーミングをゲームとして楽しむもので専用のカードがあること、自分はそれを持っていて提供できること、賛同者が他にも数人いること、柔軟な発想と自立心を持っていると思われる人を選んで声をかけていることなどを滔々と情熱的に語った。
「これね、無関係なキーワードを組み合わせて発想を広げるゲームなんですよ。例えば”おっさん”と”かわいい”ってつながらないじゃないですか。それを使ったビジネスとか商品とかのアイディアをどんどん出して点数を競うんですよ。いやいや、真面目な話ですよ。」
真面目なのか冗談なのかよくわからない彼の話しぶりには不思議な愛嬌があった。彼の少々芝居がかって見える過剰な熱意と説明に、私は笑いながら引き込まれ喜んでその部活に加入したのだった。

 聞けば彼はバドミントン部も立ち上げつつあるという。そちらは捻挫が治りきっておらず辞退したが、そんな具合に、彼は独特の語り口と人柄でみんなを巻き込んでいった。この営業所にも、勤務時間外のクラブ活動やレクリエーション活動を活発に行っていたアットホームな雰囲気の時期もあったと、先輩に聞いたことがある。しかし、時代の流れとともにいつの間にかなくなってかなり経つそうだ。営業所内の雰囲気は悪くはないし優しい方が多いと思うけれど、一体感や家族的な親しみを感じるものではなかった。それが以前に比べて心なしか和やかになった気がする。勤務中は特に難しい表情をしている人も多いのだが、彼と話している人はみんなリラックスした楽し気な表情をしていた。私も、それ以来彼と気軽に会話するようになり、彼もよく話しかけてくれた。
 彼は一風変わった趣味の持ち主で、地質やお城、ダムやダムカレーの話などを、あの神妙な表情で情熱的に語ってくれた。私は、その彼の語り口や茶目っ気を秘めた表情がほほえましくて、彼に声をかけられると話が始まる前に笑ってしまった。趣味について語り始めると少し暑苦しいけれど、憎めない弟のように感じていた。
「そんなに面白い話じゃないですよ。期待し過ぎないでくださいよ。プレッシャーだなぁ。」
と彼に苦笑いされたこともあった。 
 実は以前から彼の行動には少し興味を持っていた。彼が業務上関わりのなさそうな他の課の人と親し気に話し込んでいるのを何度か見かけたからだ。相手は彼より年長者の場合もあれば後輩の時もあり、男女も問わなかった。共通点がありそうに見えなかったのだ。
 彼に聞いたことがある。いろんな課の人と話しているけれどどんな話をしているのかと。すると、一人で残業しているのを見かけた時に元気かなと思って声をかけたと言う。それでなんだか納得した。きっと一人で残業していた私は寂し気に見えただろうし、忙しさの中で周囲を気遣う余裕も失っていた。営業所内で笑顔を見せることはほとんどなかったかもしれない。そんな人には楽しい話題を提供したくなってしまうのだろう。以前私にしてくれたように、他の方にも心配りをしてくれていたのだ。そして部活の企画へと発展したのだろう。
 そんな彼は取引先の方とも仲がいいようで、お客様と何時間も世間話をしているうちに営業したわけでもない数百万円のシステムの注文をもらった話や、守衛さんとも仲良くなって顔パスでいいと言われてしまうので、それを押して受付名簿に記入して入門するという話などを、例の真面目なのか冗談なのかわからない表情で独特の雰囲気たっぷりに話してくれたこともあった。

 その後私は退社し、彼とは時折、メッセージアプリで簡単に近況をやり取りする程度だったが、半年ぶりに会うことになった。久しぶりにブレストゲームをしよう、仕事について情報交換しよう、ということだった。そして、営業所内の雰囲気があまりよくない、と付け足すように書かれていた。

(つづく)

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なごみ
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