見出し画像

[70]年越し 三句

押入れに首挿し込むよな古日記

大晦日町の静けさ聞きにゆく

クラッチものどかにつなぐ初日の出


実家に帰省せず一人で年越しをする。
それが生まれて初めての経験だと認識して、
自分の人生の平凡さと非凡さに想いを馳せる。

「年を越す」などと言うけれど、
越す物など何もないではないか。
ただいつものように夜が更けて朝が来るだけのこと。
人間が勝手に区切りを設けて
勝手に感傷に浸っているだけだ。
と、頭の片隅で冷静な私がポソッとつぶやく。
これまで、
特に青年期のある時期には、
帰省と帰省に伴う人間関係や行事に、
苦痛を感じることさえあったものだ。
そんな風にも考えた。

とはいいながら大晦日の今日、
やはりこの住宅街を
普段の休日とは違う空気が覆っていると感じる。
のんびりしているようで同時に忙しなく、
年越しの夜へ向かい、
葛湯のようにうっすらと甘く、
徐々にとろみが加わっていく。
その変化に追われるように、
私も普段見てみぬふりをしていた
書類の山に手を伸ばす。

日記や資料をぱらぱらとめくると、
すっかり忘れていた過去の自分がよみがえる。
まるでしばらくぶりに開ける押入れのように、
なだれ落ちてくる物に驚き、
そしてその奥の暗がりに引き込まれ
覗き込むように首を挿し入れる。
陽射しが傾き夕方に近づく。
いよいよ空気はとろみを増し微かに甘くなる。
この空気のせいだろうか。
私はより深く過去に潜っていく。

手元が暗くなり、
夕方を迎えたことに気付く。
大晦日独特の活気が満ちていた住宅街は、
早くも寝静まったように静けさに包まれていた。
そう感じるのは、
風が穏やかなせいばかりではないだろう。

私は敢えていつものように夕方の散歩に出た。
私が感じている空気の質感を確かめたかった。

やはり出歩いている人も車も少ない。
そして、
幹線道路を行き交う自動車も
カフェで過ごす客たちも、
このとろりとした空気の中を
音もなくゆるやかに漂うように見える。

集合住宅の窓は明かりもまばらだ。
戸建ての家の灯りの下には、
家族が集っているのだろうか。
この家々の、あるいは帰省先の家々の、
灯りの下にはやはり家族が集っているのだろう。
この光景が、
全国的に世界的に繰り広げられていることを想像すると、
このとろりとした静かな空気が染み込んでほんのり胸があたたかい。

もちろん、
実際にはあたたかい光景ばかりではないだろう。
しかし少なくとも、
いつもよりたくさん、
世界中でそのあたたかさが心に想い描かれているとしたら、
それはなにやら一斉に花開く草原を見るように、
奇跡的なことに思われる。

冷気が心地よい。

いつもより濃厚な夜の静けさを味わいながら眠りに落ちる。
薄明りの中、目が覚める。
徐々に自分がどこにいるのか思い出しながら、
聞こえているのが新聞配達のバイクのエンジン音だと理解する。
引き続き空気は微かにとろみを帯びゆるくながれている。
この空気の中では、
クラッチも滑らかに繋がるのかもしれない。
いつもは苛立つように響くクラッチの金属音も
それに続くエンジン音も、
流れるように優雅で穏やかだ。

この空気は、
私だけが観測しているモノだろうか。
それとも辺り一帯が共同で作り上げ共有しているモノだろうか。
その両方だろうか。

まどろみのなか、
そんなことをぼんやりと考えるともなく考える。
夜明けが近づく。
徐々にカーテンが空のあかるさに透けていく様にうっとりしながら、
そしてまた眠りに落ちてゆく。

あぁ、お腹が空いている。

▼YouTubeでイラスト制作過程をお楽しみいただけます♪
https://youtu.be/KDi4qNDWcKU



いつもありがとうございます💕励みになります♪ これからもホッと和む記事を投稿します♪