#0 息子、長い長い誕生の旅 出産レポ
2023年9月26日、第一子誕生
おぎゃー!
そして即おしっこという忙しい誕生を迎えた息子、おいも(仮称)
このnoteを書いているタイミングで息子はちょっと寂しがりな八の字眉毛のむちむち4ヶ月ベビー。
目が合えばふにゃふにゃと笑い、目が合わなければ「かまえよー!」と不満げな声をあげる。
そんな息子が生まれたときのことを今更ながらまとめてみます。
これから月齢ごとに書いていけたらいいな。
忘れていることも多いのですが、
陣痛から出産まで30時間かかったのだけは一生忘れない。
出産前情報
息子のこと
ほぼほぼ順調だと言われた我が子の出産前の情報。
予定日:2023年10月頭
性別:男
20週ぐらいの精密エコーで発覚
出生前診断:陰性
体重:38Wで3kg位。
大きさ:頭が平均より1cmぐらい大きい
これが後に長く苦しむ理由になる
その他:健診時のエコーから逃げるように顔を隠すシャイボーイ。
私のこと
年代:三十代半ば
職業:会社員。8月下旬から産休。
出産歴:初産
つわり:食べづわりが妊娠3-4ヶ月くらいまで。
体重:結果妊娠前の体重から+12kgで着地。
なおまだ戻っていない。肉引きちぎって捨てたろかな。
その他:風疹の免疫が低い。
風疹の免疫が低かったので若干生活に制限がかかった。
2回打っていたが、免疫がほぼ無くなっていたらしい。
これは産後に予防接種打ち直してきました。
妊娠中は風疹のワクチンは打てないので妊娠を望まれる方は先に免疫を調べたほうがよきです。
では、産休後の生活から振り返ってみましょう。
産休中の生活
入院準備と家の掃除に奔走。
そして、認可保育園の見学を妊娠8ヶ月後半から9ヶ月前半に行う。
妊娠初期は夏頃に復職かな〜と思っていたが、0歳4月入園以外に入れるチャンスがほぼないことを知り、産休入った後に保育園見学を開始。
(お仕事中は余裕がなかった、いやめんどくさかった)
産んだ後に行動しなかったのは、10月生まれで来年4月入園を目指すとなると、認可入園申請の締切が11月末だからである。
産後動けるはずがない時期。しんどすぎ。
本音言えば1歳、せめて10ヶ月以降で戻りたかったです。なお現在は保育園の結果待ち。
そして体重増加が厳しかったので9月は毎日3km歩いてミスドでドーナッツ食べて帰る生活をしていたある日。
2023年9月25日(妊娠38週5日) 朝8時30分
ラグビーが盛り上がる中「なんかお腹痛い気がする。」と、ぼんやり起床。
1分くらいで落ち着いて、約5分後にまた痛むを繰り返す。
あれ、これ陣痛か?
でも初産って最初は結構陣痛の時間にバラつきがあるって聞いたぞ…お腹壊したか?と無駄に陣痛を認めないムーブを10時30分までしていた。
それから朝ごはんを食べにリビングに行き「なんか腹痛が定期的にある」とのんびり話して母に「それ陣痛じゃない?」と言われ病院に電話。
私「お腹が5〜10分間隔で痛いんですが、初産こんな規則的に来るんですか?なんなんでしょう?」
助産師「うーんまぁいつ産まれてもおかしくない時期ではありますからねぇ。念の為見ましょうか、来てください〜」
のほほんとした会話の後、ほぼ手ぶらで病院へ向かった。
今思えばなんでこんな陣痛を認めなかったのか自分でもわからない。
それ陣痛だよ〜!と教えてあげたい。三四郎小宮の言い方で教えてあげたい。
11時30分
母と共に病院に行き、まずは胎児心拍モニタリング開始。
胎動があったらボタンをお仕事。
あ、痛いぞ。腹が痛いぞ。とここで陣痛が頭をよぎるがまだ半信半疑。
心拍モニタリングの20分が永遠のように感じた。
終わった後に看護師さんに普通の腹痛じゃないのは間違いないよ〜と言われて「陣痛なんだ」と認めたくらい。
その後内診で「子宮口5cm開いてるね、入院です」と先生に言われ手ぶら入院。
ひゃ〜!という声がリアルに出た。
ついに息子に会える!!
立会分娩予定だったので夫にも連絡し、私の実家で待機してもらうよう伝える。夫、出社1時間弱で帰宅した模様。
入院時は個室に案内され、PCR検査を受けたり点滴を受けたり母が持ってきてくれた入院セットを整理しつつ、
痛みが重くなってきて部屋中を歩いていた。
私の場合横になってる方がしんどかった。
2時間前の私見てるか!陣痛だったぞ!おい!
その後お昼過ぎに分娩室へ。
このときの私は「ああ、今夜中には生まれるんだな〜」と思っていた。
12時間後の私が言う。
お前の子の誕生は明日の昼過ぎだぞ。
15時
分娩室でヒィヒィと陣痛に耐えていると体の中で何かがパチンと弾けた。もちろん赤い実ではない。
助産師さんに「すみません、なんか…なんかです(語彙)」と伝え、内診(股に手を突っ込まれる。痛い)してもらうと、破水していた模様。
やった!もうすぐ会える!と痛みに耐えながら喜ぶも、どうやら子宮口は5cmからあまり変わってないらしい。
17時
破水後、息子の心拍はより生き生きとしていた。
はやく出ようと頑張ってるんだ〜と少しワクワクし始めた頃、子宮口が7cmに開く。
助産師さんが私の実家で待機していた夫に連絡、18時前に分娩室にやってきた。
お互いいよいよだという顔をしていた。
このとき誰もが今夜中に生まれると思っていた。
ここからは時間がわからないので時間は憶測。
19時頃
なんと子宮口がほぼほぼ開いてきているのに、息子が全然降りてきていないと言われた。
息子迷子になっちまったか…?一本道のはずだぞ。
助産師さんによると、赤ちゃんの頭が大きい(言うても1cm)からか骨盤を中々通れない状態らしい。
1cmで!?と思ったのを覚えている。頭大きい大きい言われてたのはフラグだったのね!とびっくり。
「そうなると、赤ちゃんが苦しがって心拍が落ちるんだけど、、」
と言った助産師さんの目の先では心拍を示す数値がバリバリ高い分娩監視装置。
まだ冒険を楽しみたいのか。
きっとハスハス頑張ってるんだろう。
ご飯が出たがまったく食べれる気がせず残してしまい申し訳ない気持ちを抱え、ひたすら痛みに耐え息子の突破を待つ。
20時頃
まだまだ息子、降りてこない。疲れちゃったかな?
夜勤の先生がやってきて「陣痛が弱いから降りて来れない、促進剤を使わせて貰う」と説明される。
こんなに痛いのに弱いだと?
聞くと痛みではなく陣痛の間隔が弱いと言うことらしい。
このときは3〜5分間隔だったが本来もっと間隔が詰まるらしい。
こわ…でもなんか母親教室でそんなん言ってた気もする。
この状態だとまだ吸引分娩もできないらしく、促進剤の説明書を読み同意書にサイン。
陣痛促進剤の点滴を追加。これが地獄だった。
痛い。くっそ痛い。陣痛の間隔が縮まる。
夫がいるとか関係なしに叫びまくった。
そして吐きまくった。夫はついに吐血したと思って焦っていたらしい。茶色だったからネ…。
何度か目の嘔吐で「何食べたらこの色のなるのかしら?」的な会話を横でされていた。すみません、麦茶です。
ごめん寝やクッションに寄りかかったりと体制を変えて陣痛を耐える。座り体制になると変に圧迫されるからか内臓を思いっきり握られてる感じがしてなお痛い。
夫に汗を拭いてもらったり水分取ったりなんだりしながらこれを耐えれば会えるんだと気持ちを昂らせていた。
22時頃
1時間30分ぐらいして内診。
「赤ちゃん降りてきてない…変わりないですね…」
ただ痛かっただけだと…?
先生、助産師さんと相談し促進剤を中止し、夜中に心拍が落ちる場合は緊急帝王切開、元気であれば翌朝また相談となった。
麻酔科の先生がご不在とのことで出来れば朝まで持ち堪えたいような話だった気がする。
振り返れば早朝までは生まれる可能性が低いですよと言われたのだと思う。
しばらくして陣痛の間隔が開いてきた。痛いけどさっきよりマシ。
息子はまだ冒険の途中。
1時
日付が変わり、夫、仮眠室へ。夫も頑張ってる!後から聞いたら何もできなくてしんどかったと言っていた。
生まれると思った我が子は一体何をしているのだろう。
この時私は時間を知らない。
夫が帰ってくる朝方まで分娩室で1人痛い痛いと叫ぶ。
たまに様子を見にくれていた助産師さんが誰も来ない。おーい!痛いから来てー!と言わんばかりに叫ぶ。されど来ない。かまちょと思われた?と心配になりながらなんだか隣の部屋がザワザワしてることに気づく。
なんと隣でもお産が始まっていた。そりゃ誰も来んわ!
がんばれ、がんばれと心のなかで応援していたらおぎゃーと元気な産声が聞こえた。
う、うまれた!はやい!出産RTA!
隣とは違い静かな分娩室で一人拍手をする私。
我が子よ、君も出てくるといいよと陣痛に耐える。
助産師さんが来れなくてごめんね〜と何度か様子を見に来てくれながら、隣の分娩後の対応をしている。大変な仕事だ…いつもありがとうございます。
4時
朝の気配を感じたところで夫が戻ってきた。
状況を見てもらうと若干進んだような?でもまだ吸引はできないという。
陣痛促進剤の話が出た(使わないと午前は確実に産めないという話だった)が、昨夜の何も進んでない状況がトラウマ過ぎて「もう腹を切って欲しい」と夫と助産師さんに弱音を吐く。
先生たちからは赤ちゃんが元気なら帝王切開を避けたい雰囲気を感じていたが、もうこんな痛みに耐えたくないという気持ちが勝ってしまっていた。
腹を切ってくださいと懇願する異様な妊婦を宥める周囲の図。
息子の心拍はずっと元気。
破水から時間が経ちすぎると心拍が低下すると聞いていたが、息子の心拍は上がる一方。
逆境に強いタイプか?
本当に何をしているのだ、おいもよ。
夫も何度か助産師さんに状況を確認してくれていたが子は出てこない。
7時
いったん仕事の報告のために帰るという夫を引き止める。今は私と仕事なら私でお願いします!!状態。なんて奴だ。
分娩室に一人にされること、帰ってまた戻ってPCR検査してる間に生まれたらどうしようという気持ちだったかもしれない。すみません。
日勤の助産師さんが頻回様子を見てくれてありがたかった。
9時
先生から今後の話が出る。陣痛促進剤の話が出るも腹を切ってくれと言う私に今から準備をすると午後になるけどいい?と。
このとき我が子は今日の夜まで降りてこないんじゃないかと思っていたので構わぬと返事をした。今思うと本当に申し訳ないことをしたな、弱気になりすぎていたなと反省の限り。
分娩室はバタバタ、手術前の検査が進む。
10時
色々な検査が進む合間に助産師さんに内診をしてもらう。というのを繰り返す。頭が触れるねというのが聞こえた。
「まだまだですか?」「さっきよりは進んでいるよ」という会話を朝から何度もした。
全体進捗の中ならどれくらい?と仕事めいたことを聞きそうになった。
期日なんてない。
あと恥骨通るかな?というのも聞こえて、いや腹切るし。と思う私。普通分娩を完全に諦めていた。
が、状況は変わる。
11時前に日勤の助産師さんが「もうちょっと頑張ってみない?」と声をかけてくれた。帝王切開の後は痛いよ、大変だよ、お腹切らないで済むかもしれないよと。そのリスクはわかっていたが、また痛いだけの時間を過ごすと思うとつらい、息子が頑張ってるのはわかっている、弱気で情けないというようなことを言った気がする。
「陣痛促進剤を使えば、お昼ぐらいには出産できると思うよ」
今まで「まだかかりますか?」と聞いたときの返答は「さっきより進んでいる」「数時間以内には難しい」が多かったから具体的な時間と肯定的な言葉が出てすごく安心したのを覚えている。
「今何時ですか?」
「10時すぎだよ」
あと2時間頑張れば子供に会える、息子は頑張っている。
「わかりました、12時まで頑張ります」
助産師さんの言葉を信じ、普通分娩で頑張ることを決意。
先生に頑張るってホント?と確認され、頑張りますと返答。
お昼まで出てこなかったら帝王切開を進めてもらう。
分娩室占領してわがまま放題である。
陣痛促進剤の投入を開始、また短い間隔で痛みが始まる。
このときいきみ流しの呼吸を教えてもらい、少し楽になった。
口を閉じて鼻で呼吸する、だった気がする。
夜中叫んでたのなんだったんだ?
11時
ひたすらいたい。ちょっとまた吐く。内診しては進んでるよ!と返ってくる。この返ってくるよも昨日の夜とは違い本当にもうすぐ産まれるような力強い言葉に聞こえた。
「いけるかも!」
今ありったけの人を集めていると言われて、準備も進めてもらえてるのか〜と。本当に?会える?不安と期待でどうにかなりそうだった。
数十分後、本当にありったけの助産師さんがかき集められて来てびびった。
分娩室が人で溢れ返る。夫も立ち上がる。
12時
先生が2人いらっしゃって「吸引で手伝えるところまで来ましたよ」と。
ホッとしたのか騒いだ自分の不甲斐なさなのか少し声を上げて泣いた。
やっと会える!会えるのか?急展開に心がついていかない。
頑張りましたね〜と助産師さんに励まされながら分娩準備。
頭が大きいから会陰を切る話もされた。
実は会陰マッサージしてたんですけどね、南無三。
先生が二人いらっしゃったのはお腹を押すサポートのためとのこと。
麻酔をされジョキジョキ切られる。
肉切りバサミでカルビ切ってる図を思い浮かべていた。
吸引の機械の調整を痛みに耐えながら眺める。
現実味がわかない中、いざ出産へ。
夫に背中を支えてもらいながら、陣痛が来たときに横のグリップを握りながらいきむ。
目を閉じないで!鼻で呼吸して!
大きな陣痛が来たときに吸引の機械を操作する先生。
お腹を押されて死に物狂いにいきむ私。
10人弱の視線は一つ、分娩室は異様な雰囲気だった。
頑張れ息子、みんな待ってるよ。
2023年9月26日 13時5分
吸引分娩が始まって3回目の陣痛だろうか、いたい。声を漏らさぬよういきむ。
奥さん、目を閉じないで!ほら!
夫が笑顔で私の足元を指さしている。分娩室の空気が軽くなった気がした。
何が起こったかこの時点ではわからず、え?と視線の先を追う。何かいると気づいた同時に
ほぎゃ〜〜ほぎゃ〜〜〜
すぐに可愛い声と、先生の手にはちいさな赤ちゃん。
人が多い分娩室、息子の誕生に一番最後に気づいたのは産んだ私だった。
待って、分娩準備始まってから産まれるの早くない?どゆこと?生まれた感覚わからんかったけど?
分娩後
頭の中で冷静につっこみながら「わァ…ぁ…」としか言葉にできず母になる前にちいかわになってしまった。
生まれたらあんだけ痛みに苦しまされたのにアドレナリンが出たのかめちゃくちゃ元気になって色々喋っていたのを覚えている。陣痛がな〜い!この後も大きな痛みなく過ごせていた。
長くお腹にいたから顔色悪かったらどうしようと思っていたが、とてもきれいな顔をしていた。夫はガッツ石松だと思ったらしい。
冷静になって後から見返すとガッツ石松だった。
息子はすぐに横のコットに運ばれメッシュの帽子を被っていた。
そしてすぐおしっこをした。
笑う。
「胎盤見ますか?」
「あ、大丈夫です(即答)」
何故か断った。見とけよ。
会陰を縫ってもらっている間、息子の身体計測が進む。
分娩室に人がいっぱいだったのは出産に時間がかかった場合、出血が多くなる事が懸念されるからみなさんスタンバっててくださったらしい。
出血は多かったが心配なほどではないと説明があった。
息子も何事もなく元気なようで安心した。
しばらくして息子は泣き止み、落ち着いたところで分娩台に寝たまま息子を胸に乗せてもらう。
めちゃくちゃあったけぇや…。(^∇^)
あの感覚は今でも覚えている。あったかい、、生きてる、、、すごい、、。
分娩と同時に語彙も失って我が子への初めての声掛けはこんなことしか出来なかった。
後からこの時の写真を見返したら私の顔は分娩台にぶつけていたからか赤く腫れていた。
夫も抱っこし帰宅、息子は新生児室へ、私は車椅子で病室へ。
食事が置かれていた。どうやらお昼ごはんらしい。
何事もなかったかのように平らげた。飯は残しちゃいけねぇよ!
すぐに歩けるようになり、初回は助産師にフォローいただきながらトイレに行ったら悪露の量がえぐくてびびった。むくみもえぐい。
ちょっと眠っていろんな人に報告をする。
名前も実家の面々には言ってなかったので伝える。
これから名前が馴染んでいくかしら。
お父ちゃん命名の素敵な名前だよ。
これにて30時間の息子の旅は終わり、人生がはじまった。
最後に
入院中は基本母子同室だったが、息子の黄疸症状が強く出ていたため治療のため新生児室にいることも多かった。ミルクを飲んでは寝落ち。
お腹が空いたら「わァ…ぁ…」と泣く。
あれ、私ちいかわ産んだ?と何度か思った。
他の子はもっと力強く泣いていた。
ちなみに今もすごく大きな声を上げて泣くことはあまりない。
驚いたときだけ「この世の終わりだーー!」という感じで泣き、少し落ち着きさめざめ泣く。
眉間にしわを寄せていることはむちゃくちゃ多いボーイです。
次は退院後のことを月齢別にのんびり書こうと思うので気が向いたらまた読んでください!
次からは短く書きます。
また最後に、、、
入院先の方々へ
長い時間分娩室に居座り腹を切ってくれと泣き言を言ってしまい申し訳ございませんでした、長い時間フォローくださった助産師さん、先生ありがとうございました。
夫、ありがとう。息子、よろしくね。
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