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原動力

ここのところ、

「生き急ぐな」「焦りすぎだ」
「そんなに勉強してどうするの?」とか

「私が市川先生の年齢の時なんて、
 遊んでばっかりだったのに…」 とか

良いときは、
「そんなに頑張らなくてもいいのに」とか

そうやって言われることが増えてきた。

■なぜ私がここまで頑張れるのか


(自分としてはまだまだ足りないと思うけれど)

それは、
おそらく劣等感からきているのだと思う。
社会的ディスアドバンテージがそうさせている部分がまずひとつ。

“悔しい”から

単純に悔しいのよ
あたりまえだけど、自分が育つ環境は選べない。
前世で何か悪いことでもしたかな?と考えるのは時間の無駄遣いだし、だからといって現状に不満をこぼしたところで事実は変わらない。

ディスアドバンテージを理由に、やらない選択をする自分を受け入れられないのと、それを感じさせないぐらい人間として成長していきたいと思うから。

自分の未来を拓いていくのは自分以外の誰でもないし、
自分の人生を振り回していいのは絶対に自分だけだ。
それを、
あーだこーだいってくる大人たちに証明したい。
見返したい。そんな感情。

もうひとつは、

“あったかいひと”の存在

小さいときから今までの記憶なんて細かくは覚えてない。
だけど、いつの時も漠然と“しあわせ”を感じている自分がいる。
私は、辛くてもなかなか「助けて」って言えないタイプで全然大丈夫じゃなくても
「大丈夫(本当はもう一歩踏み込んで気づいてほしいの…)」って言っちゃうめんどくさい人間です。

だけど、
そんな私のまわりに良い意味で“おせっかい”な人が数人いて、なんだかんだ話を聞いてくれたり、ただただ一緒にいてくれたり、銭湯に誘ってくれたりする。
本当に感謝でいっぱいだし、大好きで、尊敬していて私にとって一人ひとりがかけがえのない存在。
だから会うたびに、言えるときに、思いの丈を伝えるようにしているんだけど、実際のところちょっとうざがられる(笑)
それも愛情表現として受け取れるぐらいの信頼関係が築けていると感じている。

あとは、

直接的に関わることのない尊敬する人の存在も大きい。
私は本を読むのが好きだから、
小説なら、登場人物の性格だったり言葉の表現だったり、
そういうのを感じると心があったまる。
ビジネス書や、哲学、保育の専門書なら、自分の考えと近い部分を見つけて受容・共感してもらえたような気持ちになることもある。「こんな考え方もあるんだ!」って、新しい発見にワクワクすることも多い。

自分のまわりには
こんなにも素敵な人がたくさんいるんだ!!
って思うことが毎日毎日あって、
その人たちにはやく追いつきたいって気持ちもあるし、
どうやってこの嬉しい気持ちと感謝を伝えていったら良いのかなって考える。

私にとってこの2つが、
人間としてアップデートしていくための原動力だ。

■ところで、あなたは何を頑張ってる人なの?

 少しずつアウトプットしていきます。

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