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日本語は「量子力学的な言語」だった?

何を隠そう、私、生まれてすぐに話をした母語は日本語ではない人です。
(いや、聞いてませんというツッコミはうけつつ)


日本語は小学校に入るちょっと手前、それこそ入学の半年前ぐらいから学び始めた人なのですが、日本語って習いながら、学んだこともあって、わりと日本語自体に対する感覚がちょっと、一般的ではないみたいです。

僕、日本語という言語、結構すきなんですよね。

日本語って言葉、というか言語として、”丸い”という感覚があって、なんていうか言葉、単語が指し示す感覚が、他の言葉にくらべて、輪郭が曖昧な感じなんですよね。

例えば

「空」

という言葉を見た時に、なんて読みますか?

そらくうから、あたりが一般的な読み方ですが、実は「うつろ」とも読めたりしますよね。他にも振り仮名を入れれば「空ける(あける)」とも読めたり、と、一つの漢字というか言葉の中に、いろんな言い方が含まれていて、それを文脈ごとに使い分けなくてはいけない、これ僕の知る限り他の言語ではほとんどみられない特徴の一つ。

あと、これも日本語を学習するひとを苦しめる。

一日(ついたち)
八日(ようか)
二十日(はつか)

WHY?!

同じ日でも「たち」「か」と変化する。もうなんなん?
某芸人さんの「Why Japanese People !!」ってめっちゃ共感する。
容赦ないもんね。

これ、多分日本語ネイティブであればあるほど、説明できないと思う。


一説によると、なんで国語の学習単位に「古語」や「漢文」があるのかというと「言葉には特定の活用の方法、ルールがある」から、現代での口語や活用を体系的に理解するために、その事前学習として、古典や漢文でルールに慣れ親しんでもらうために学習する、という話を聞いたことがあります。

真偽はわかりませんが、個人的にはめっちゃ腹落ちしたんですよね。だって、意味不明ですもん、たまに(笑)

最近のお気に入りはこれ、

1から10を小さい数字から読んだ時と大きい数字から読んだ時で、読み方が違う、というやつ。

やってみますよ?

いち、に、さん、、ご、ろく、しち、はち、きゅう、じゅう
じゅう、きゅう、はち、なな、ろく、ご、よん、さん、に、いち

違和感が仕事しています。

し→よん
しち→なな

変わった読み方

四も、七も読もうと思えば、小さい数字から読んだ時と同じ読み方を強制することはできますよ?でもめっちゃ違和感ないですか?(笑)

じゅう、きゅう、はち、しち、ろく、ご、し、さん、に、いち

違和感。

どうですか?
なんか頭、バグりません?

僕は気持ち悪くて舌噛みそうになりました(笑)

この面白さについて友人と話をした時に思わず

「日本語って量子力学的だよね、観測の手法によって初めて正しい言い方がわかるあたり、シュレティンガーの猫とさほど変わらない気がする」

って言葉にしてみたんです。

なんか腑に落ちちゃいまして。

観測手法、というものは言語でいう、文脈のようなものかなと考えた時に、もう日本語って、文脈が中心の言語なんでもこれはもうハマったと思いましたね。

また

日本の基礎科学がどうして強いのかについては様々な理由があるが、私が見るに、日本語で学問をするという点も大きいようだ。基 礎科学、特に物理学のような分野は物質界の作動原理を研究するものであるから、どの分野よりも深みがあり独創的な思考が重要だ。深みがあり独創的な思考を するためには、たくさん思考せねばならない。そのためには基本的な概念を早くからきちんと身に付けねばならない。南部教授は小学校のときに理科の時間に感 じた興味が彼を科学者に導いたという。基本概念はどうすればきちんと身につくか。理解しやすい言語で科学を説明することから始まるはずだ。

http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/zakki/kotoba/new_page_1.htm

引用の前後の文脈は意図ととは違うので、主張しませんが、ノーベル賞で物理学の基礎研究などで日本の方の受賞が一定数いらっしゃるのって、もしかして日本語自体に概念そのものに、ことわりを分ける力があるのではないか、なんて考察もしちゃったりもします。

「わかる」という言葉の語源は「分ける」から来ている説を信じるならば、理解しているのいうのが、書いて事後のごとく「ことわり」を「わける」のだから、言葉自体が、保有している概念って結構、なんていうか神秘的なまでに良くできているなぁって思うわけです。

ということで、今日から日本語は個人的に「量子力学的言語」説を説いていきたいなぁって思います。

では、どうコーチングと繋がるか。

実はめちゃくつちゃ繋がっていると考えています。
理由はシンプルに、コーチもクライアントも、基本的には母語(ここでは日本語を想定)に根ざした生活をしているから。

コーチングで使われる質問って、どこか外国語感ありますよね。そいういう違和感があるってこと自体が証明になっているようにもおもいますが、英語でコーチングの質問を見てみると、違和感を全く感じないんですよね。

本当に普通の質問。もちろん、対話を促すためのテクニックが含まれている質問なので、深い質問ではあるんですが、質問文自体の違和感は英語で見た時には違和感を感じない、というのが個人的な見解なんです。

(なので、ICFのコアコンを英語を中心的に読みすすめる試みをしていた)

思うに、日本語でのコーチングには、きっと適した日本語が必要で、その日本語での質問そのものが今後の研究課題のような気がしています。

コーチングにおいて、個人的に重要だと思っていることがいくつかって、一つは、コーチの在り方。次にクライアント自身の願望への解像度、そして最後に「言葉遣い」。この3つの要素の調合が効果的なセッションを産めるかどうかを左右しているように個人的には思っています。

なので、コーチからされた質問などで、これはいい!って質問はメモに残して共有される仕組みがあると、本当はいいですよね。

なんて、おもいながら今日は終えたいと思います。

いやー、日本語って面白い!



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なみはら
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