答え合わせのリフレーム

ここ最近、海外にいる友人との会話が非常に弾む機会にめぐまれることが多くて、近くはスイス、昨日はオランダ。来週はきっとハワイの素敵な方とお話しすることになるのかなと思い、楽しみである。

体感として、昨年の同時期とくらべて、明らかに普段話さない人と話をする機会が増えていて、そしてそれがあまり嫌でないというのは、何かしら自分に成長があるのだろう、と思えているわけである。

タイトルは昨晩の会話の中と、コーチング的にはどう考えるだろうかと思索した結果なので、あまり上手くはないかもしれない。

その友人(いきなりだけど、友達が、、、いた、、、!そのことに感動がある)は、僕がかねてより憧れていた海外での子育てを実践していて、Facebookでも、その成果のようなものが見えていて、子供達の笑顔や成長が感じられる投稿が続いているので、とても羨ましいと思える状況で、何か参考になる話が聞けないかと、自分の子供がこれから受験を控えている中で、何か考え方で刺激になる話が得られないかと考えていたのだ。

内容については当然割愛するのだけど、いろんな角度からの分析にすごく関心したし、おおいに腹落ちすることがあった。

その中でも話をしながら、改めて言葉にしてみようと思えることがあった。それがタイトルにつながってくる。

子育てのように、人生の中では、テストとは違い明確な回答がないことがあり、かつ答え合わせがすぐにできないことが多い。

それはビジネスで考えると中長期的な戦略が正しいと証明されるまで、多数の失敗を容認しなくてはいけないような、そんな感覚でもあるし。

きっと、ある瞬間ではとても気があうと思っていた友人とも、疎遠になり数年経ってあった時に、あれ、どうしていままで仲が良いと感じていたのだろうか、ウマがなんか合わないぞ、と男女関係に関わらず蛙化を感じてしまったあの感覚に近いかもしれない。

変わるのだ。

そう、答えはうろい、そして正解は正解でなくなるし、不正解が正解となる。

問題は、”いつ”の時点での話を、正とするか、という”決め”なのではないか、という考えです。

何をいいたいかというと、いま目の前の見えていることを、”いつの自分で判断するのがよいだろう”という考えを持ってみるというはなし。

もしかしたら、昔の自分でもいいし、未来の自分でもいい、それこそ、今の自分でもいい。

例えば、念願叶って2時間並んで食べたラーメン、今の自分は並んだ苦労やそこまでに移動、そして口や喉を通った感覚を持って、よかったやり切ったと喜ぶかもしれない。

しかし、もしかしたら未来の自分が「あの時の美味しいラーメンをきっかけにラーメンばかり食べたから健康を失ってしまった、行くべきではなかった」と思うかもしれない。

そもそも行きたいと願っていたのは昔の自分なので「未来の自分は美味しいラーメンを食べてるはずだ、がんばれおれ!」と思っているかもしれない。

同じ事象でも、同じ人間であっても、時系列が違うだけで大きく判断が違う可能性があるよね、というお話だったのかな。

つまり何をいいたいかというと(2回目)

どう判断するのかは、自分の自由でいいってこと!

雑かもしれないけど、心のままに生きるということ、それって自分が決めればできる、ということなのかなと改めて感じることができたよ、というお話しでした。

皆様の何かのきっかけになれば。





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なみはら
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