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やりたくない自分との折り合いの付け方

年末にふさわしいですかね?なタイトルではあるけども、
これまでやってきた中で、うまくいった方法をいくつか共有したいとおもいます。ハッシュタグは「今年の断捨離」です。

そうです、やりたくない自分と向かうことを、今年は捨てました。
心の断捨離。

やったことは3つ。


やりたくない自分は何をいっているのか、を聞く

仕事でもなんでもやる気がでないわけではなくて、なんか嫌な感じ。なんか上手く言葉にでないとき、でもなんとなくだけど、嫌だなって感じがしているとき、自分は具体的に「何が嫌なのか」を文字にしてみるといいって話。

これは、日記でもジャーナリングでも、チラシの裏でも、なんでも。
とにかく、文字にしてみる。言葉にしてみる。

その上で、声にしてみる。
そうすると、”自分の認識”を”認識”できる。

ひとなんて、案外自分がわからないもの。
僕が大好きなアニメ版巌窟王、モンテクレスト伯だって言ってる。
「わたくしには私がみえませんもので」

https://www.gonzo.co.jp/works/gankutsuou/index.html

貼ってから気づいたけど、巌窟王のインパクト、強すぎる。。。

やりたくないのか、それともやり方がわからないのか、を考えてみる

後から考えて見たけど、やりたくないというよりも、そもそもやり方がわからない時ってあって、そんな時に

あれ、どうしよ、わからん、、、!ってなった時、それを無意識に隠そうとして「やりたくない」ってなってた時もあったなぁって。

例えば、素直に謝れば済むことでも、謝り方が上手くみつからず、結局そのままになってしまった仕事上のミスとか、そんな感じかなと。

あんがい、コミュニケーションが面倒だな、いやなーって時は、やりたくない、というわけではなく「やり方がわからない」ということなのではないのかなと。

どうでしょう?やり方がわからなければ、わかる人に聞いてみるということもできるし、次にむけてチャレンジで飛び込んでみる、という方法もあるのかなと思うわけです。

「やりたくない」と言えるのは、「やれること」だってわかっている奴だけだ。
引用:コードギアス 反逆のルルーシュ」の主人公であるルルーシュの第1話での名シーンより

とりあえずやってみる。とにかく、やってみる。


三つ目はまさかの根性論?
いえいえ、真っ当な話。

やりたくない、という気持ちも含めて気持ちって、持った気持ちが膨らむ作用があるような気がしています。

例えば子供、保育園などで泣いている子がいて、どうして泣いているの?って聞いても「わかんない」と答えてくるケース。

また、大人でもそう、キレた人がひたすらにキレているような場合。

もうちょい綺麗な例、好きな人を間にした時の好きっていう気持ち、膨れませんか?

自分の観測範囲の中の話にも聞こえるけど、すくなくとも見てきた範囲ではそう感じることが多い。

「一つの感情を感じた時、その感情が維持、または膨張する傾向」がある、ということ。

一度、怒り出すと、人間なかなか怒りをすぐに抑えることができないように、産まれた感情は、細胞分裂するように、一定の大きさになるまで反射と再生と、成長をくりかえしているような感覚があります。

だから、いやだなぁって思った時、人は無意識に、嫌な気持ちを維持、拡張しようとしてしまい、それが原因で、実際には小さな「いやな気持ち」だったはずが、気がついたら心が重くなるほど大きくなってしまっているということもあったかも。

そういう時は、迷わず、考えなしにとりあえずやってみる。やってみてから、考えればいい。

というお話し。

やるって決めたやる気に見た人、で生成したらこんな感じでした。

どうでしたか?もし来年試してみたいなぁって思えたものがあったら、ぜひ、あと一日あるので今年のうちに心の断捨離、してみませんか?

#今年の断捨離


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なみはら
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