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「次は110歳を祝いましょう」
祖母が100歳になりました。
親族で盛大なお祝いの会をしたのですが、こういう節目を思い切り祝うのってとてもいいなぁと思ったので、記録も兼ねてその話を少し書きます。
ちなみに、2023年9月1日時点で、日本の100歳の方は47,107人だったそうです。
100歳以上だと、92,139人。
100歳以上が9.2万人もいるとは…驚き。
100歳になると銀杯がもらえるとか、対象者が増えたので銀から銀メッキになったとか、そんなニュースも見聞きしますが。
「百歳高齢者表彰」の目的は、こんな感じ。
百歳を迎える高齢者の長寿を祝い、多年にわたり社会の発展に寄与してきたことに感謝するとともに、広く国民が高齢者福祉についての関心と理解を深めることを目的としています。
百歳の高齢者へのお祝い状及び記念品の贈呈について(2023年9月)
ここでは「高齢者福祉についての関心と理解を深める」とあります。
「社会」みたいな大きな器ではないけど、私的な空間で集まってお祝いすることで、100歳の祖母や祖母を囲む環境・人びとについて、たしかに自分なりに関心をもったり考えを深める機会になりました。
(シンプルに、めでたい!!すごい!
という気持ちが大半なんですが。笑)
会の中では、親族1人1人のお祝いの言葉や近況を聞きながら「ここに集まった私たちの命は祖母が紡いでくれたんだ」ということに想いを馳せていました。
100歳の祖母を囲む、今の環境と人びと。
ホームでの日常。
ホームに入るまでの97年間、祖母が歩んできた人生。
戦争、子育て、畑仕事。
(祖母は、戦争という壮絶な環境を少女の時期に経験し、理不尽で辛い思いをいくつも背負ってきたのだと思います。最近のことはすぐ忘れてしまっても、戦時中の話はとても鮮明に生々しく話してくれるから。)
健康に気を配り、畑仕事や体づくりをしたり。
畑で育てた野菜や、お菓子をたくさん詰めて、毎月送ってくれたり。
新聞は毎日読み、切り抜いた記事をノートに貼って何冊も残していたり。
身体的労働も、知的労働も怠らなかった祖母。
その甲斐あって?、元気に100歳になり、70歳を超える息子・娘たちと親族からお祝いされ、モリモリと誕生日ケーキを食べている。
私の想像を遥か超える域にいる人だなと、ただただ尊敬です。
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ろうそくは1本。
100歳の主役にしっかり吹き消してもらいました。
人生は続く。
たかだか40年生きた私の人生にも、
忘れたくても忘れられない深い傷もあるし、
迷いも、これからの人生への恐れもある。
でも全体を振り返れば、それも折り重なる物事の1つ。
そしてこれからも自分なりにやっていくこと、または自分の力の及ばないことも含めて、まだまだいろんなことが折り重なっていく。
その重なりでできた、複雑で色とりどりの人生を「生きてきたね」って、最後はそれだけのことなのかもしれない。
しっかりと100年生きてきた目の前の人から、そんなふうに、優しい励ましをもらった気がします。
ちなみに。
長男である叔父がホテルの会場でとても立派な百寿のお祝いの会を開催してくれたので、私はただただその場を楽しみ、祝い、お土産をたんまりいただき、感動して帰って来ました。
10年ほど前に旅立った祖父も、曽祖父母の節目の際にはとても立派な場を設けて祝ったそうです。
叔父はそんな祖父に倣って頑張ってくれたのだろうと、母があとで話してくれました。
叔父さんのスピーチ、面白かったなぁ。
おばあちゃんの今入ってる保険、170歳で満期になるって。笑
「次は110歳の会で。よろしくお願いしますね!」と笑って締められた、素敵な会。
子供の頃の私は、何のありがたみもわかっていない可愛げのない孫だったと思うけど…
大人になって、こうやってお祝いできたことをとても嬉しく思います。
私もいつか、誰かを盛大に祝う会を開催したいな。
そしておばあちゃんには、まだまだ元気でいてもらわねば。