『「瞑想」から「明想」へ 〜真実の自分を発見する旅の終わり~』書籍出版記念講演会⑦
明想は科学
愛光流認可指導室・愛光流師弟会がみんなで講演会に向けていろいろな準備をし、そのために必要なことを話し合う場を設けていますというお話は以前したかと思います。その場では「どうやってみなさまに講演会のことを知っていただけたらよいだろう?」という内容もあります。
私たちは師匠の書籍がすばらしいものであるとすでにわかっていますし、講演会自体が今後「参加しておけばよかった!」と思われるものになると確信しています。
下の動画でも話題にしていますが、愛光流の明想に対する捉え方、考え方は革新的とも言えます。
何より愛光流では「明想は科学である」と考えています。科学ですから1+1が2であるように導き出せるものだと考えています。明想は決して神秘なものではなく科学です。
私は学生のころスポーツをしていました。普通のどこにでもいるような学生でした。部活動でスポーツをする普通の学生でした。今から数えること数十年前のことです。その頃って部活中に「水を飲んだらいけない」と言われていた時代でした。スポーツ科学の研究が進歩した現代でそのような指導をしている顧問の先生がいたら即座に炎上するでしょう。しかしそんな時代でした。
今のスポーツ選手はアスリートという呼称にふさわしいほどの節制と科学的なトレーニング、計算されつくした栄養摂取、メンタル面までしっかりとフォローされています。笛が鳴ったらただただ馬車馬のように走っていた私たちの時代はどこへ行ったのでしょう。そりゃこれまでの競技記録が次々に塗り替えられるのは当然のことです。
明想も同じです。「明想は科学である」とした場合、科学的なトレーニングを積み重ねることが大事です。明想のメリットが「幸せを感じる」ことであるとすれば、幸せもまた科学なのです。
プレスリリースを大阪府庁に
話は逸れましたが、愛光流認可指導室・愛光流師弟会の話し合いの中で「せっかくだからメディアに取り上げていただきたい」という意見がありました。
今回の師匠の講演会ですが、主催は私たち愛光流認可指導室と愛光流師弟会です。一般社団法人愛光流ではありませんし、どこかの企業が行うわけでもありません。出版社さんが関わることでもなく、私たち弟子たちが師匠の講演会を「開催したい!」という思いで行うものです。
師匠と弟子という世界がどこにあるのでしょうか。先日落語家さんがお亡くなりになられました。お弟子さんが亡くなられて、師匠がコメントされていました。落語家さんの世界も特殊な世界です。学校教育の外にあります。師匠と弟子という関係は学校教育では学びません。それ故に想像もつかないことなのだと思います。私たちもまた同じように特殊な世界にいるのだと思います。
その弟子一同が師匠の講演会を開くために手弁当で報酬もなく奔走しているというのはなかなかおもしろいストーリーではないかと思います。
メディアに取り上げていただく方法としてプレスリリースなるものがあるそうです。
プレスリリースは各都道府県にあり、報道機関向けに公の機関に設置されているそうです。島根県なら松江県庁とか鳥取県なら鳥取県庁とかですね。ただ、プレスリリースは地域地域に向けてのものを取り扱うらしく、大阪と山口で開催される講演会のプレスリリースを鳥取や島根で投函するよりも、大阪と山口で投函したほうがよいだろうということになりました。大阪では大阪府庁で受け付けて下さるということでした。
プレスリリースを愛光流認可指導室・愛光流師弟会のみなさまで作成しました。いざ投函に向かいます。
アポイントを取っていただき、大阪府庁に向かいます。はじめて行った大阪府庁。大阪に住んでいたとはいえ、はじめて足を踏み入れました。建物自体も歴史を感じる建物でした。当たり前ですがとても重厚感のある建物。こちらで大阪府に関するたくさんのことが決められているのだと思うと緊張感も伝わってきました。公の施設というのはなんだか緊張します。こういう雰囲気も嫌いじゃないのですが、完全にお上りさん状態で、国会ではないのに国会議員さんの気持ちがわかるような気がしました。
芸術の春から何を学ぶ?
大阪府庁でプレスリリースを投函し、それからはピカソを鑑賞するために国立国際美術館に行きました。
ピカソというとあの独特の作風が思い浮かびます。ピカソを観て「これはすごい!」と言いたい。ただ言いたいだけでなく本心から言えるようになりたいと思います。
整体にお越しになられる方はさまざまです。それぞれがいろいろな悩みを抱えておられます。単に腰が痛いというだけでも千差万別、まるで違うのです。私という存在の枠を拡げるためにも芸術に触れるのはいいことです。わからないということは、まだまだその方向に伸びて行けるということですから、悲しくもあり嬉しくもあります。
目の前で観るピカソ。すごかったです。
氣になった一節
書籍を読んでいて氣になった一節です。
悪い念も良い念もないというところがすごくないですか?こういう話をするとすぐに「私が悪いから周りも悪いんですよね」という風に謎の自己批判に陥る人がいますがそれは大きな間違いです。悪い念も良い念もないのです。なぜならすべてはひとつだからです。それを悪いとか良いとか分けているのは他ならぬ私自身であり、それは私が勝手にやっていることで、本来ではありません。
私たちはすぐに悪いとか良いとか分けたがります。それも私が悪いのではないです。最初の一文を読んですぐに分けようとしましたね?このようにほとんどオートマチック的に私たちは分けたがります。もうそれはある意味で仕方がないのです。悪いも良いもなくひとつなのです。
ほんとうにすぐに「悪いとか良いとか」しています。「好きとか嫌い」もしています。それだけ分ける方にばっかり向いているのですね。
まとめ
明想は科学です。科学ですから正しく進めば行き先にたどり着きます。方程式のようなものです。私たちは日々方程式のイコールを進んでいる。その先に光があるのです。
大阪府庁にプレスリリースを投函してきました。四柱推命で言うところの四角い建物であり、四角い職業の代表的なところです。弟子たちが奔走する物語をメディアでも取り上げて頂けたらなと思います。
ピカソを鑑賞しました。尽きぬ探求心と溢れんばかりのエネルギーを感じました。絵はわからないですが、ピカソを感じることができたとでも言うのでしょうか。今度はいつになるかわかりませんが、次にピカソに出会うときはまた違った自分でいたいと思います。
これは私たち弟子が師匠の出版記念講演会を開きたい!と願い、模索していく物語です。
これからも講演会開催までの間、更新して行きたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。