見出し画像

「持ち味を生かす」ということ

持ち味を生かす。

持ち味を生かすというのは、あらゆる場面で言われることであり、求められることでもあります。

たとえば野球やサッカーなど、プロスポーツにおいて、もちろんオリンピック競技などでもそうですが、各選手ごとの持ち味を生かした攻撃なり守備なり、戦略を考えるものです。素人目にはわからないことも多々ありますが、専門家の間では、各選手ごとに個性があり、その持ち味を生かした采配やチーム作りが求められます。

持ち味を生かしたチームや選手は躍動し、たとえ勝負ごとに負けようとも観るものの心を打つ。選手自身も負けて悔いなしというような清々しい表情やコメントを残してくれます。

これはプロスポーツなどの場面以外にも当てはまります。持ち味を生かせる環境や待遇を求めて転職する人もいらっしゃるようで、最近のCMでもそのようなことを謳っている。個性的であるとか自分らしさというものと同義語で扱われるようです。

さて、持ち味とは?

先日友人と話をしていました。
あるレストランの話題になりました。「あの時のレストランのメインのソース」がどうこうとか「あの時のワイン」がどうこうというような話題。

それからもいろいろと食に関する話をして、白いご飯かどんぶりかという話になりました。まぁレストランから日々の白米まで幅広く話は飛んで行ったものですが、友人は白米を白米のまま食べたいそうで、白米とたとえばかつ丼とは別物と主張します。
白いご飯にかつが乗っているのがかつ丼ではなく、かつ丼という種類の食べ物だと。少々乱暴に解釈すると「あれはご飯ではない」という。
かつ丼はご飯だと私は思うのですが、友人の話を詳しく聞くと、白米には白米の味がある。そしてその味を楽しむのが白米を食べるということなのであり、かつ丼は白米の味を味わうことができないので別の食べ物だというわけです。

白米の味は確かにありますし、お米によって味も違う。白米の味を味わおうと思うとかつ丼では味わえないのかもしれない。味わえないことはないにしても、純粋に白米を味わったと言えるだろうか。

友人はサラダに極力ドレッシングはかけたくないそうです。生野菜は油分と摂らないといけないので仕方なくかけている、と。その場合はドレッシングがかかったサラダと認識して食べるから問題ないそうですが、やはり玉ねぎは玉ねぎの味がしてほしいそうです。

かつ丼にしろ、白米にしろ、美味しく食べられることはうれしいことです。別の食べ物だと言われたら、そうかもしれないと思います。アレンジしたと言えば聞こえはいいが、素材を活かしている、持ち味を生かしているという観点になるとどうだろうか。

持ち味さえもわからないのに、持ち味を生かしたいと考えても土台無茶な話だろう。毎日食べている白米の持ち味がわからないのだから、自分の持ち味なんてわかりようもない。ましてや他人の持ち味なんて無頓着なのだ。白米の持つ美味しさとかつ丼のアレンジの妙技、両方を楽しめる人になりたいなと思います。


文章は「はじめ」と「終わり」がわかりやすいと読みやすいという。
はじめから結論ありきで話がはじまり、その結論は筆者の主張であり、その主張を繰り返す。形を変え、類似を提示し、例を上げては同じ主張を繰り返す。反対意見を引用し、反対意見よりも筆者の主張の方が妥当であると証明する。そして終わりには、はじめに基づく結論を述べる。

論文などを書くときに学んだ方法です。
今ではnoteもそうですし、さまざまな文章の書き方本にこのような方法が書かれてある。

結論がはじめにあった方が読みやすいのは、はじめだけ読んでいればいいから都合がいいことだろう。どうせそれしか書いていないのだから、それ以上読む必要もないし、読んでいても「やっぱりな」の繰り返しです。

それがいいとか悪いとかを言っているのではなくて、もともと私たちははじめと終わりを強調されることを好まないのではないかと思うからです。

主語がないと伝わりにくいと言われます。文章だけではなく話す時も同じようです。しかし話し言葉ってそもそも主語なんてない。暗黙知の連続が話し言葉であり、隙間を想像するところに楽しみがあるのではないかと思う荒です。

完璧にできた文章ほど面白くないものはない。完璧な会話もそうだろう。規則正しい言葉は無味無臭である。そんな規則正しさは表向きには正しいのかもしれませんが、どちらかというと痕跡がどこにも見えない、機械的な規則性を避ける傾向にあったはずです。

あるものの余白を感じ、そこから暗示されるものを感じ取り、創造される広大無辺なさまを楽しむ。余りに強調され過ぎると窮屈だ。暗示の力を阻害し、限定することで不自由さを感じてしまう。

それが求められているということは、きっと多分そういうことなんだろう。指示語が多いのも好まれませんね。



いいなと思ったら応援しよう!

愛光流からだと心整体 隅田真人
読んでくださってありがとうございます。とてもうれしいです。