料理から学ぶ自己理解
少し前になりますが持ち味って?という記事を書きました。
書くのが下手なので、何が言いたいのか伝わりにくかったのではないかと思います。反省して訂正しようと思います。以前の記事で「間違って伝わってしまうな」と思ったのが、持ち味と聞いて、勘違いしていただきたくないのが強みと混同してしまうことです。
強みと持ち味はまるで違います。「自分の強みって何だろう?」ということを考えないといけない場面、マーケティングしていくときには必要だと言われます。誰かに何かを強くおすすめしていくときに強みがあり、わかりやすい方がいい。「あなたの仕事を一言で言うと」というのも強みを尋ねられていますね。
もう一度、強みと持ち味は全く違います。
強みはわかりやすい。目を閉じていても、嗅ごうとしなくても、主張してきます。「もうわかったから」と言ってもやめてくれない。ある意味で鼻につくものでもあります。誰から見てもわかりやすい反面、消費されやすい。
持ち味はそうではありません。じっくりと向き合い、味わうことでようやくわかる。そのものが持つ味わい深いものです。
違いが分かる人って持ち味がわかり、嗅ぎ分けられる人だと思うのです。そういう人がこれからも埋もれていかない人になるのだろうなと思います。
持ち味を生かす。何だか最近はこのことを考えています。ただあまり囚われずに行こうとも思います。
持ち味を生かす。料理の世界では素材の味を生かすということだろうか。私は料理は疎いものですから、多分そういうことだろうということを想像しつつ思索するより他はないのですが、世にいう美食家の方々は「どこどこ産地の何某がいい」とか「この季節には何某が旬だから」ということをおっしゃいます。鳥取県では夏に蠣を食べる。ほかの地域では珍しいそうです。
素材そのものの味を生かすとなると、あまり手を加えず、レモンなど絞るだけどか軽く火であぶるだけとか、塩を一振りするだけとかで食べるのが最上というものでしょう。それをケチャップであえてしまうと、それはそれで美味しいのかもしれないが、素材を生かしたかというと疑問符が付きます。
旬な素材というくらいですから、素材には一番良い時期がある。時期もあればタイミングもあります。いくら素晴らしいと言われている食材でも旬の時期や食すべきタイミングを逸すると、適った食材の次となる。私たちのような素人と違って料理人はこういった旬を見分ける目を持っているのだろう。
食材の持ち味を生かした料理を想像するだけで、よだれが出て来そうになりますが、私たち人間の持ち味となったらいかがでしょうか。いつが旬で、いつが最も良いタイミングなのだろうか。それよりも自分という食材を知る必要があるように思います。そしてそれは隣を見てもわからない。誰かに聞いてもわからない。自分自身と対話することで、見つかるものではないだろうかと思うのです。