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本当に大切なもの
今朝の天声人語で、梅雨時期の厚い雲に覆われた薄暗さを“五月闇”と書いて“さつきやみ”と言うのだと知った。
旧暦だから、まさに6月の梅雨の鬱陶しい空の表現だ。
日本語に、何処かに遊び心を感じさせながら美しい言葉を知って、ハッとする事がある。
居待月だの伏待月だの、どれだけ欠けつつ行く月を愛でたいのだろうか。
未完成を美しいとする文化が、中秋の名月以上に十三夜の方がより丸く見えるなどと言ったりもする。
十六夜、いざよいなんて妙に淋しげな大人びた妖しささえ感じる響きも胸を打つ。
昔の日本人は、心に余裕と繊細さがあったんだなぁとしみじみ思う。
何だか、今年の次々史上最速を塗り替える様子を見たら、昔の人なら無粋だと表現したかもしれない。
今はどこでも相手と話が出来、画像を共有することだって出来る。
地球の裏側の友人とも、リアルタイムで意志疎通が出来る。
指1本で好きな物が、翌日家に届く。
本当に便利な時代になった。
代わりに国際郵便を出し、その返事が来るまでのタイムラグを楽しみに待つという時間は奪われたし、そんなのは無駄な時間とさえ言われてしまいそうだ。
星の王子さまで、狐が楽しみに待つ時間の素晴らしさを語っていたのに。
もうそんな時間を楽しんでいると、どんどん置いて行かれてしまう感じがする。
それでもやはり、種を蒔いたら芽が出るまでに時間がかかり、それをちょっと不安が混じった期待感を込めて待つ。
だから発芽した時は嬉しいのだ。
花芽をみつけ、次第に大きくなって膨らんでいき、花開く過程を見ていたからこそ愛おしいのだ。
“生きている者はあまりに生き急ぐ”
学生時代に読んだ小説の一節だ。
印象的過ぎて今でもふと頭に浮かんでくる。
昔の日本人が、言葉で粋をゆとりを持って表現した様に。
忙しくて心を亡くしてしまわないように、時折り何かに想いを馳せる時間、大切なものを待つ時間。