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小学生の時の読み聞かせの時間のありがたさが大人になってわかってきた。

ぼくの通っていた小学校では3年生ぐらいまで週一で誰かのお母さんが読み聞かせに来てくれていた。

その時は読み聞かせの本の内容よりも、誰のお母さんが来るのか、自分の親が来ると教室の後ろで何となく恥ずかしさを感じていたことぐらいしか考えていなかったように思う。

しかし、そんなぼくも小学校を卒業して、十数年経った今、読み聞かせを当たり前のように行ってくれていたお母さん方に感謝の念を抱くようになった。(今更ですみません)

というのも、最近になって自分が読書に対してポジティブなアプローチを続けられているのは何か理由があるのかと思うようになったからである。

理由として考えられるのは、小学校に上がると同時に家族で祖父母の家に引っ越したことで、祖父母が日常で本を読んでいるのを間近で見てきたことや、家の裏手に児童館があり、そこに図書館が併設されていて出たり入ったりしていたことなどが思い当たった。

そして、小学校での読み聞かせの時間があったことを思い出した。

読み聞かせの順番は自分の母にも当然回ってくるため、母も順番が近づくと練習として家でも読み聞かせをしてくれた。

ぼくには下に妹と弟がいたのでその二人にとっても母の読み聞かせは楽しみだったと思う。

読み聞かせというのは意外と侮れない効果があるのだと最近になって知るようになった。

特に小学校低学年の子どもにとって重要なのだそう。

理由としてはいくつかあるのだが、ぼく自信がなるほどと思ったことは、「物語にしか出てこない語彙を耳で覚えられる」ということである。

低学年ほどであれば、日常生活で使用する語彙はまだまだ少なく、限られた分野のものが多い。

読解力も語彙力もまだまだこれからという段階ではあるものの、内容を絵で捉え、物語を耳で聞くことで、日常生活では耳にしない語彙に触れることができる。

必ずしも意識的に覚える必要はないが、読み聞かせをしてくださるお母さんたちも読んでいる中で、喜怒哀楽を声のトーンや表情で表現する。

そうした言語化されない(ノンバーバルな)要素を子どもは敏感に感じ取って意味を理解していく。最も大人についてもノンバーバルな部分から多くの情報を捉えているが。

まとまりのない文章になってしまったが、要するに、朝の忙しい時間に読み聞かせをしてくださったお母様方、誠にありがとうございました。お陰様で今でも楽しく本を読むことができています。ということをお伝えしたかったです。

最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。


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