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国語だって答えはひとつ。

こんにちは、七瀬です。
今日、関東甲信が梅雨入りしましたね。
こちらでも今日は雨でしたが、降り方は強くありません。
災害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。
一日でも早く普段の生活に戻れますように……。

さて、今日のお題ですが、国語のテストでよく言われる、

「国語のテストには答えがいくつもある」
「筆者の気持ちなんてわからない」

について、国語好きな私が一席ぶちたいと思います。

まず、国語のテストの答えについて。
数学では、答えはひとつでも、思考プロセス(=解法)がいくつもあります。
これに対して、国語の思考プロセスは与えられた文章の一部から始まります。
与えられた文章の一部ということは、思考プロセスの始まりがひとつということ。
よって答えもひとつになります。
数学では、思考プロセスの合っているところまで部分点がもらえますが、国語はそうはいきません。
ただ、「ここが根拠になる」という文章の一部は必ずあります。
テストの採点に納得がいかない場合は、先生に根拠を示してアピールすることをオススメします。
私も何度かアピールしたことがありますが、一度「変わった着想だね」とあしらわれたことがあります。
それから、国語の先生が学年に複数人いると、採点基準のすり合わせができていないことがあるので、先生全員にアピールすることもお忘れなく。

次に、筆者の気持ちについて。
国語のテストで問われている「筆者の気持ち」は、筆者に直接インタビューができるわけではないので、与えられた文章から推察するしかありません。
「わからない」と開き直るのではなく、とりあえず根拠となる部分を探してみましょう。

この場合、出題される文章は作品の一部分を抜粋したものが多いので、作品全体を読んだときとは違う答えになることがあります。
それは、音楽でシングルの表題曲がアルバムに入ったときに違う聞こえ方をするのと似たところがあると思います。
また、発表されたときのインタビューなどで心情が語られたりしますし、発表された時期の社会情勢などを調べると、また違った見解ができると思います。

とにかく、存在する情報をかき集めて読んでみる。
そんな姿勢で文章に向かい合っていれば、国語も面白くなってくると思います。






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