おじさんとわたし 5 (上京)
最近バイトを始めた。
医療職あるあるだが本務先と別の勤務のことをバイトと言う。
月に1回静岡に通っている。
新幹線で1時間くらいで着くので乗り換えがないぶん楽だ。
朝の東京駅は、夜の空港と同じくらい好きだ。たくさんの人が行き交い、活気があってなんだかワクワクする。
いやまあ、仕事に行くのだけれど。
新幹線の中で朝ごはんを食べるとちょっとした旅行気分を味わえるので、いつも売店でパンとコーヒーを買う。
いや、旅行ではなく仕事なのだけれども。
私は中学まで静岡県で育った。
名古屋に近いところで、ブラジル人が多く住んでいた。
たくさんの工場と、綺麗な砂丘があった。
そこで育った時の良い思い出はあまりない。
ママはいつも家に男をあげていた。
当然ながらそんなママとは折り合いが悪く、夜家に帰らない日々が続いた。
補導されるのを恐れる小心者の私は、音楽を聴きながら田んぼをぐるぐる歩き回り、夜が明けるのを待った。
中学3年の秋。
もう本当にこの人と暮らしていくのは無理だと、取り返しのつかない大喧嘩をした。
泣きながらおじさんに電話をした。
「危ないから家に帰りなさい」
と、私を嗜めたあと
「東京に来るか?」
おじさんは静かにそう言った。
地元の公立高校の受験をやめ、都内の私立高校を受験した。
自分の貯金から受験料をこっそり振込み、受験日前日までママには何も言わなかった。
無事に合格し、パパとママが離婚した時に得た慰謝料と養育費をアテにして、私は地元を離れた。
お前は私から逃げるんだね。
見送りに来たママにそう言われた。
そうだよ、とは言えなかったけれど。
こうしておじさんの家で暮らすことになった。
おじさんの家には、おじさんとおじさんのお父さんお母さんがいた。
私は小さな頃から2人をおじいちゃま、おばあちゃまと呼んでいた。
急に転がり込んできた私を、おじいちゃまは嬉しそうに迎え入れてくれた。
おばあちゃまはソファに座ってぼそぼそ歌を歌っていた。
おじいちゃまは亡くなるまで私のことをおじさんの隠し子だと思っていたらしい。
おじさんの従姉妹のおばさんが教えてくれた。
「良い勘違いしたまま死んじゃったな」
と、おじさんは笑って言った。
家は古い日本家屋で、廊下は踏むと軋んだ。
畳の上にえんぴつを落とすとコロコロ転がっていった。
私の部屋は2階の奥の一番陽当たりの良い部屋で、机とベッドが準備されていた。
家の中に階段があることが、集合住宅育ちの私にはなんだか妙に嬉しかった。
ホームに新幹線がゆっくりと入ってくる。
ピンクの清掃員のおばちゃんたちが、妖精の群れみたいにちょこちょこと出てきた。
どういうわけか、いつも私が新幹線に乗る時は雨の日が多い。
窓ガラスに雨が叩きつけられ、後ろへ後ろへと流れていく。
あれから15年が経った。
三島まで少し寝ようと椅子を倒して目を閉じた。