宇野千代と白洲正子
「宇野千代女の一生」などによると、宇野千代が結婚したり暮らしたりした人は尾崎士郎、東郷青児、北原武夫だが、ともかく美人だったので、若き日の今東光も宇野千代との結婚を考えたとか、普通の意味でも萩原朔太郎、梶井基次郎、川端康成、三好達治、青山二郎、小林秀雄たちと交流があったとのこと。
青山二郎は昭和十七年、中山義秀と真杉静枝の結婚式で宇野千代と出会った時の印象を、「廊下で、抜けるように美しい婦人とすれ違った」と書いている(青山二郎「中山義秀」)。青山二郎は宇野千代の本の多くをそれは美しく装幀しているが、昭和五十四年に青山二郎は逝去したので、装幀したのはそれまでに書かれた宇野千代の著作「人形師天狗屋久吉」「色ざんげ」「ママの話」「残ってゐる話」「或る日記」「わたしの青春物語」「あるとき突然」「水西書院の娘」「往復書簡」などである。
ところで、青山二郎といえば骨董収集鑑定の達人で、小林秀雄や河上徹太郎らの文士たちが周りにいて、その中に白洲正子さんも加わっていた。宇野千代も白洲正子も青山二郎に関する著作がある。宇野千代「青山二郎の話」。白洲正子「いまなぜ青山二郎なのか」。二人とも昭和三、四十年代に銀座で着物の店をしていたという共通点もある。白洲正子の本の装丁を青山二郎はしたのかどうか、それが知りたい感じがする。