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仕事が【生き方】になるとき
生き方としてのその仕事
令和7年元旦。初日の出をうっかり見逃してしまったものの、NHK BSで放送された【鷹匠】のドキュメンタリー『鷹を継ぐもの』の再放送を観ることができ、心揺さぶられる年明けとなりました。
山形・月山で50年間、鷹狩りを生業とする松原さん。その数百年にわたる伝統は、現代では消滅の危機に瀕していました。そこに、都会から高校生の女の子が弟子入りを申し込み、果敢に鷹と、そして大自然と向き合う姿が描かれていました。
松原さんは病により左目を失明し、扱いを誤れば鷹の爪に傷つけられる危険とも隣り合わせ。それでも、一度も「辞めよう」と思ったことはないと語る姿に、言葉を失いました。
生業とはいえ、松原さんにとって鷹狩りは生き方そのものだったのです。
仕事は、生き方そのものか
仕事というのは、一定のスキルさえあればこなせるものだと私は思います。実際、日本の中小企業には、卓越した技術を持つ職人が男女問わず多く存在します。
けれど、ある種の仕事においては、それが生き方そのものではない限り、続けるのは難しいという現実もあります。このことを、私は2024年、若者たちを通じて痛感しました。
現代の若者世代は、「身を粉にして働く」ことをどこか恐れているように見えます。仕事に対する恐怖心があるのかもしれません。それも無理はないでしょう。誰かに無理やりやらされる仕事は、確かに消耗を生みます。私自身も、天職だと言われるこの仕事が「強いられるもの」になった瞬間に心を病んだ経験があります。
幸せな「生業」を目指して
松原さんのように、生き方として仕事ができること。それは決して簡単なことではありません。けれど、そんな生き方ができる幸せを感じる自分でいたい。そして、その喜びを人にも感じてもらえるような行動を積み重ねていきたい。
仕事の過程も結果も、自分の「ツクリビト」としての人生を通して真っ当する。それに共感してくれる人たちとともに生業を続ける。元旦にその想いを改めて強く抱きました。
初心に立ち返る瞬間
元旦の帰省中、父が見せてくれた一枚のハガキ。それは、私が小学校6年生の時に新聞に投稿したイラストでした。本の間から偶然見つかったその作品を、今年53歳になる私が改めて眺めると、しっかりとした線とシーンの構成力が目に映りました。
「なるほど、この子は夢を現実にする力を持っているのかもしれない」。そんな風に、少し冷静に思う自分がいました。一方で、あれから大人になったはずの私が、その子どもの頃と比べて、果たしてどれだけ成長しているのだろうかとも感じました。
おわりに
「生業」とは、ただの仕事ではなく、人生そのものを懸けて向き合うもの。その重みを感じながら、2025年、私は私の仕事を、ツクリビトとしての人生を真摯に続けていきます。