カラオケに行くたび泣いてしまう人の話

『カラオケに行くたび泣いてしまう人の話』
 わたしとあの子の話です。

●おそろいのキーホルダーは話さなくなっても呼吸のように付けてた

 高校生のとき、わたしとあの子は同じパソコン部に入っていた。十分間に何文字打つことができるかを競うワープロ大会があり、わたしと彼女は近畿大会に出場した。
 わたしは三度の飯よりパソコンが好きだ。どうしてそう思うようになったかという経緯はさておき、その情熱は部内一だったと思う。スマホよりパソコンが大事だったし、小学生の頃、パソコン依存を疑われ、一週間ほど禁止されたときはものすごく泣いた。からだじゅうの水分という水分が無くなったのではないか、と思われるほど毎晩毎晩枕を濡らした。
 そういうこともあり、近畿大会の前日はよく眠れなかった。ということをあの子に話すと、彼女は「じゃあ勝たないとね」と笑った。そういうところが好きだった。この『好き』というのは、高校ではじめてできた友達として、という意味だ。
 少し余談だが、キーボード音オタクのわたしはエンターキーと変換キーの音をやけに気にする。文字を確定するエンターキーの音に締まりがないと打った気にならないし、変換キーの音が弱いとちゃんと変換できていないような気になる。パソコン部では各々が自分の好きな種類のキーボードを購入し、マイキーボードを大会に持って行っていた。特にこだわりのない人は学校のキーボードを使用していた。ちなみにわたしは、学校の準備室に置いてあった黒いキーボードを借用していた。それの音はやわらかく、しかし弾力もあり、わたしが求めていた理想のキーボードだったのだ。卒業祝いに貰えませんか、と顧問に聞けば「買え」と言われた。当たり前だ。あの子はちゃんと近くのヤ○ダ電機でマイキーボードを購入していた。音は明瞭で弾力も硬めの白いキーボードだった。
 近畿大会は先輩三人とわたしとあの子というメンバーで出場した。あの子は泣きそうな顔で「私、補欠だったんだ」と言った。わたしは知らなかったふりをしていた。高二なりに倫理観を守っていたつもりだった。参加賞であるエンターキーのキーホルダーを筆箱につけ、「勝ってね」とわたしに言った。

 それから数カ月して、わたしはあの子と距離を置くことになった。置きたい、と言ったのはわたしで、あの子もうんと頷いた。お互いに悪いところがあったのだろうと今なら思えるけれど、あの頃はそうではなかった。毎日会って、話して、家に帰ってもラインして、そういう存在なんて一人しかいなかったのに、わたしたちはそれを失った。そのうちあの子は部活に顔を見せなくなり、学校にも来なくなった。クラス替えをしてまた来るようになったけれど、その頃にはもうわたしたちは他人になっていた。それでも、卒業まで筆箱のエンターキーは変わらなかった。
 大学生になり、わたしは筆箱を変えた。知り合いが誰もいない(と思っていた)新しい環境で、大学生らしくふるまうためだった。おそらくあの子も筆箱を変えているだろう、と思う。そうであってほしい。そうすることで、わたしたちは上書きされずに、何度だって思い出せるはずだから。

●「声が好き」ミラーボールの回ってる部屋に案内されたかったね

 高二の夏休みまで、あの子とわたしとSちゃんとBちゃんの四人で、数カ月に一度カラオケに行っていた。近所のカラオケ屋は部屋の種類が四つあり、それぞれ内装が違っていた。わたしたちがよく案内されていた部屋は小花柄の白い壁紙で、花畑を連想させる薄緑の天井だった。ソファはココア色で、女子高生四人組にはぴったりだろう。
 しかし、わたしたちには狙っていた部屋があった。それはミラーボールが回っている部屋で、ディスコのような雰囲気がかっこよかった。もしその部屋に案内されたら、デスボイスでマキ○マムザホルモンを叫ぼう、と決めていた。結局、その部屋で歌うより先にわたしとあの子は遊ばなくなった。

 あの子はよく「声が好き」と言ってくれていた。わたしもあの子の声が好きだった。あの子はわたしのヒビカセが好きだと言った。わたしはあの子のスノーハレーションが好きだと言った。たぶん、わたしもあの子もそれが一番好きな曲ではなかったと思う。彼女の好きだった曲はもうあまり覚えていないけれど、その頃のわたしは超歌手が一番好きだった。メ神のイメソンだと勝手に解釈した曲を、毎回最初に歌っていた。彼女も彼女でそういう曲があった。けれど、わたしたちはわたしたちの中でお互いの十八番を決めていたのだった。

●十八番ってきみが教えてくれたからあの日からもう歌ってないよ

 前の話と少し被るが、あの子の中で、わたしの十八番はヒビカセだった。春ちゃんの十八番だよ、と言ってくれた日から、ヒビカセはあの子のわたしの十八番になった。あの子はどうだろう、分からないけれど、わたしはあの子と離れた日から、もうあれを歌っていない。特に理由はなく、なんとなくだけども。

●最後まで上手くアイスを食べられずきみは誰より不器用だった

 わたしたちは、ドリンクバー・アイスバー付きの五時間パックを選ぶことが多かった。四人で歌えば五時間なんてすぐで、高校生の体力はおそろしく、さらに一時間延長することもあった。
ドリンクバー・アイスバーはもちろんセルフサービスだったのだが、ソフトクリームを巻くという動作が、わたしたちはどうしようもなく下手だった。誰に教わるでもなく上手くソフトクリームになっている陽キャ同級生が眩しかった。
 上手く巻けないから上手く食べられない。わたしたちのアイスは芸術的で、ピカソが作ったと言えば高値で買い取られるはずだと笑いあった。プラスチックスプーンを使って、どうにか形を直そうとするも、余計に芸術の完成へ一歩近づくだけだった。
 高二の夏休みに遊んだときも、わたしたちは何度挑戦してもきれいなアイスになれなかった。次こそ、と意気込んで、夏休みが明けて、わたしたちは二度と遊ぶことはなかった。

 一度だけ、高二から高三へ進級する春休みに、卒業した先輩たちとわたしとあの子とRちゃんと後輩たちでカラオケに行ったことがある。Rちゃん、先輩、後輩たちがきれいなアイスを食べているとき、わたしとあの子は指に垂れたアイスをおしぼりで拭き取っていた。

●お互いに離れたことを梅雨明けのように美談にして語ってる

 まさしくこの記事。きっかけは、彼女のブログにわたしのことが書かれていて、それを偶然わたしが見つけてしまったのだ。彼女のブログで、わたしは『元親友』と呼ばれており、わたしの黒歴史含む高校生活が諸々暴露されている。そうか、わたしたちは親友で良かったのか、というのが最初の感想だった。あの頃のわたしは、親友という単語が少し気恥ずかしくて、彼女をどう表現していいか分からなかった。
 あの子はわたしとの三年間(でいいのかな、正確にいえば一年五カ月くらい)を日記に書いていたらしい。そこから抜粋して振り返っていく、という構成のブログで、そこでわたしは彼女の本音を知った部分もある。
 あの子がわたしを記憶として記事に書くなら、わたしも同じことをしてもいいかな、と思い、わたしはあの子の短歌を詠んだ。それがこの連作だ。まるでわたしはあの子に未練があるみたいに見えるけど、たまにあの子の夢を見るけど、それでも今のままで大丈夫だと思っている。あの子には届かなくていいや。

●「声も好き」コンプレックスなの きみに「本当?」と聞き返した声も

 わたしは自分の声がきらいだ。わたしとカラオケに行ったことがある人はよく分かると思うけれど、わたしは地声と歌声の差が激しい。そのことを言われるのも苦手で、しかし統一することはできないので、仕方ないじゃんと諦めることしかできない。
 諦める、という単語は前向きだと思う。諦められないでずるずると引っ張るよりも、さっさと諦めてそんな自分を受け止めながら前に進んでいく方がよっぽどいい。よく「諦めるな!」というフレーズを耳にするけれど、結果と過程が見合わないなら非効率的だと思う。何故急にこんな話をするかというと、わたしがいつまで経ってもなんにも諦められていないからですね。今世紀最大の矛盾話になるけれども、「成功しないんだから諦めろよ」と言ってくる人間とはうまいフラペチーノは飲めないと思う。
 あの子はわたしの「声も好き」だと言った。わたしは「本当?」と聞き返した。地声だった。あの子は大きく頷いた。はじめてだったから、鮮明に覚えている。そのときの彼女の表情も匂いも。短歌にしてしまったから、たぶん一生忘れられないだろう。

●カラオケに行くたび泣いてしまうのはきみのせいではないけど、だけど

 やっぱりきみのせいだと思う。

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