Yahoo!ブログのサービスが終了してしまった話。

よくある話です。

 2019年12月15日、Yahoo!ブログのサービスが終了した。気が付けばwebサイトが無くなっていたというのはよくある話で、これまでも幾度となく経験した。読書感想文ジェネレーター、Yahoo!きっずの検定、みなくるホーム、どれも、わたしがパソコンから離れている間に消えた。悲しい、というよりは切なかった。ヤフブロがあるから大丈夫、と思っていた。
 きっかけは小学五年のとき、一番仲が良かった女の子に誘われて、ブログというものを開設した。当時のわたしは嵐ファンで、同担大歓迎とかそういうことを書いていた。十数人の人の名前が友だち欄に載って、コメントを残し合ったり、今でいういいねボタンのようなものを押し合ったりした。チャットのように一対一でコメント欄で会話するという「絡み部屋」で、わたしは顔も本当の名前も知らない友達と仲を深めていった。夏休みには夜中の三時まで喋って、相手(確か高校生だった)に「家族に何も言われない?」と心配されたりもした。
 ブログにはバナーや名前アイコンというものがあって、これをいかにかわいく作るかが重要だった。トップページに表示するための簡単wikiの背景を作ったり、スクロールバーを置いたり十字キーに変えてみたり、かわいいフリーフォントをダウンロードしたり、「すぺさん(スペシャルサンクス)」という名の仲良しさんのブログのリンクを貼ったり(カラフルな星が並んでいて、オレンジ色の星を押したらわたしのブログに飛ぶ、というものがあった)、とにかくそういうことが楽しかった。今はもう忘れているけれど、クラスメイトの誰よりもHTMLに詳しかったと思う。ますますのめり込んでいくわたしは、親にパソコン依存を疑われ、パソコン一週間禁止令が出たこともあった。親に隠さなければならないこともある、ということを学んだのも、この頃だった。
 熱しやすく冷めやすかったわたしだが、ブログは小六、中一、中二、中三、と順調に続いた。途中、受験が理由で姿を見せなくなった年上の友達は何人もいたし、何の前触れもなく閉鎖した年下の友達もいた。友達は六十人くらいいたが、小学生から中三くらいまでよく話していた人は十人くらいだった。そのほとんどが年上で、わたしが高校受験のためパソコンをする頻度を週一にする頃には、もう閑散としつつあった。それでも時々更新される彼女たちのブログが大好きだった。
 高校に入ってから、更新頻度は受験のときよりも落ちた。数か月に一回、近況報告をするだけ。小学生のときから仲良くしてくれていて、TwitterやLINEでも繋がっている三つ上のRのブログを久々に覗けば、「またいつか会う日まで!」と書いてあった。大学が忙しいらしく、それはもう本当に仕方のないことだと思った。よく話していた友達のブログの最新記事は、大抵「またね!」で終わっていて、わたしはそれを信じようとしたし、わたしも「また!」と書いた。また、を続けているうちにあやふやになって、大学受験が終わって、今年の初春頃にまたそこへ戻ってきた。
 そのあたりから、Yahoo!ブログのサービスが終了することは分かっていて、移転するか否かでわたしは少し悩んだ。移転してもコメント欄は消えるということはつまり、絡み部屋という記事があっても、記事があるだけ、になってしまうということだ。わたしたちの思い出が消える。もやもやした思いを胸に抱えたまま、わたしはとある人物と会う予定を立てていた。三つ年上の、Rである。ヤフブロからTwitterとLINEの両方で繋がったのは、Rが唯一だった。
 今年の三月、Rと会った。お互いの中間地点の都会で遊んで、美味しいものを奢ってもらった。「大学生になるからお金かかるでしょ。出すよ」みたいなことを言われて、Rみたいな大学生になりたいと思った。ヤフブロの話をしながら、春から進学する予定の大学についても少し話した。お互い本名を知っているし、顔も知っちゃったし、なによりわたしはRを信頼していた。
 ヤフブロの話になって、Rは共通の友達であったM(Rと同学年)とも会って遊んだことがある、と教えてくれた。MとはTwitterで繋がっているから、連絡は取れるのだけれど、やっぱり少しためらいがある。覚えていなくてもいいけれど、忘れられているかもしれないことが怖いからだ。Rも、Mと遊んだのは高校のときだと言うし、そういえば二人がプリクラを載せていたような記憶がうっすらあった。
 本題、なんて大袈裟なものではないけれど、わたしは本題に移った。ヤフブロがサービス終了するらしいよ、と切り出した。ハンバーグを食べながらの話だった。Rは「らしいねぇ」と言った。「まぁでも仕方ないかもね」と続けて、切り分けたハンバーグを口に放り込んだ。寂しいけど、仕方ない。「そうだね」とわたしは相槌を打った。Rは移転するつもりはないらしかった。
 最後にツーショットを撮ってもらって、また遊ぼう、と言って別れた。また、に既視感を覚えて、けれども笑って手を振った。いつかまた遊びたい。
 秋頃、どうしても消えてほしくなかったわたしは、某ブログへの移転を決めた。ずっと忘れないようにしようと、友だち欄の写真を撮った。みんなが区切りをつけるなか、わたしだけがつけられなかった。取り壊される母校に立てこもっているような気持ちだ。
 そのまま、サービス終了の日が過ぎた。移転先のブログもまだ見に行っていないし、友だち欄を撮った写真もまだ見返していない。代わりに、サービス終了をテーマにした連作短歌は詠んだ。載せます。

『Yahoo!ブログが終了してしまった。』
サービスがいつか終了してしまうのなら大人にならなくていい
青春は隠喩でしたね 本当にここがわたしの青春だった
存在を誇示する名前アイコンはいつも隣の芝生が青く
バナーとか簡単wikiをつくるためソフトの解凍サイトを回る
英単語使いたがって中二かよ(小五だったよ)覚えてるけど
相方が欲しくて相方募集して同盟組んで絡まりあって
覚えてる? 午前三時に会話する背徳感のある夏休み
移転してでも残したい青春のコメント欄は消されるという
忙しくなったのだろうもう四年見てない人を忘れられない
会ったこと一度もないしこれからもきっと会えない でも大好きだ

ありがとうYahoo!ブログ。わたしの青春でした!

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