#75 個別社会と本の役割
学生時代に本を読んでいた人は、クラスの片隅で誰とも会話をせず静かに休み時間を過ごす女子や、進学のために時間がなく、休み時間でもインプットできるよう努力しているクラスメイトなどがいたが、それ以外で教科書以外に本を読む習慣を持っている友人はいただろうか。
私学では皆、読書の習慣があるのかもしれないが、地方の一般的な公立学校の中学生や高校生などは、読むといっても漫画くらいなものだった。(あくまでも個人の意見です)
そのため、社会人になって本を読むとしても話題のエッセイ本や漫画、ラノベなどカジュアルな本ばかりになってしまうのは仕方がないような気がします。
村上春樹氏や東野圭吾氏など、人気作家の本を読むことのある人は、定期的に直木賞などの話題本を一過的に読むことがあると思いますが、あくまでも娯楽の側面が強く、楽しいから読んでいるのでしょう。
わたしも同じように、娯楽としての本は読んでいましたが、見識を広げるための読書はしてきませんでした。
昨今、日本では社会が成熟してきて、多様な価値観を持つ人が増え、互いに理解に苦しむことも増えたのではないかと思います。
これは、当然なことで、出生や育った環境など豊かさの恩恵として海外で生まれ育った人や、両親のどちらかが外国人であったりルーツの異なるがゆえに理解できないこともあるのです。
例えば日本でタクシーを呼ぶ時、右手を上げれば気づいたタクシーの運転手はあなたの前で止まってくれるでしょう。(*イラストはタクシーが通り過ぎています)
イラスト:いらすとや
しかし、同じことをドイツで行えば、タクシーはあなたの前で止まり血相を変えて非難することになります。
ドイツでは右手を高く上げるポーズは【ナチス式敬礼】とみなされ、タブーとされています。そのため学校でも挙手は人差し指を立ててするそうです。
そのようなことは無知によって引き起こされるわけですが、学生時代なら許されても社会人になると、場合によって許されないこともあります。
だからといって、世界中の全てを理解するのは不可能です。しかし、一定の教養や知識は世界観を広げるだけでなく、身を助けることにも繋がります。
また現在それが必要な社会に成りつつあります。
その理由はこれから述べるとして、その方法として一番楽なのが読書ではないかとわたしは考えています。そこで、社会人になってからの読書の向き合い方にを考えていこうと思います。
転換期
そもそも読書の必要性が20世紀はあまりなかったようにみえます。なぜかといえば、日本の社会では多くの人は一つのモデルによる人生の歩み方が好まれていたためです。
イラスト:いらすとや
バブルが弾けた1990年代以前は、「成長社会」にあり人口ボーナス期で大量生産・大量消費と呼ばれるモデルの1億総中流社会といわれ、そこでは高校または大学を卒業し企業に入社し終身雇用モデルで定年まで働き、定年後は国からの年金で生活をするのが当たり前でした。
この頃は、0-20歳までの期間、21-60歳までの雇用期間、60-85歳までの期間と大まかに3つの期間に分かれ、成人までの成長期、成人からの青年期、定年後の老齢期になり、周りを見渡してもさほど格差はなく皆仲良く年をとるイメージが強かった。
イラスト:いらすとや
しかし、バブルが弾け1997年をピークに経済が下降し始めると時代は転換期を迎え、成長社会から成熟社会へとシフトしていきました。
経済悪化と人口縮小という二つの要素から、単に安く大量生産したものは売れず、在庫が山になるだけで、ニッチなニーズのある場所にお金が流れるよう変化しました。
正直、2000年初めはその変化は全く感じられず、リーマンショックのせいでそのうち経済は過去の大量生産・大量消費に戻ると思われていました。
ですが、現在の社会を見ればわかるように、時代は成熟し社会は画一主義から個別主義に傾いています。
象徴的なものといえば、ランドセルです。昔のランドセルは黒か赤の二種類しかなく、男の子は黒、女の子は赤が当たり前でした。
現在ランドセル売り場をご覧になればわかるように、色・模様・機能など多様なカスタマイズされたものになっています。
イラスト:いらすとや
他にも結婚式の引き出物なども、昔は同じものを参列者に配っていましたが、今ではカタログギフトなど、個人に合わせて引き出物を変えられるように変化しました。
時代の変化は一般的に、緩やかに意識と価値観を変化させるので、気づきにくい側面を持ちますが、振り返れば大きく変わっていたというように、時間経過とともにその変化は大きくなります。
この画一主義的思想から個別主義的思想の変化はわたしたちに何を与え、何を失わせるのでしょうか。
それは、安心が不安に変わり、束縛から自由になると考えて良いでしょう。わたしたちは、その変革期の後期を生きていると思います。
そこでわたしたちに求められるのは、多様性の理解と個別の価値観による幸福です。多様性の理解はいうまでもなく、男女平等やジェンダーレスへの理解であり、拡張すれば先天的な個性によりハンデを負っている人への理解も含まれます。
個別の価値観による幸福とは、その人自身の幸福の在り方を模索する活動であり人生のことです。貨幣経済では、安に収入さえ良ければ幸福になれる気がする社会でしたが、より高度な精神性を加味するとそれだけでは充実感は得られず疑心暗鬼になってしまい精神的に負担がかかる可能性があります。
過去、某大手商社に入社後、過剰労働により精神的に病んでしまい自殺という最悪なケースが報道されました。
登山が好きな人にサーフィンを教え、海が好きな人に登山を教えることは、見識は広がりますが本人の意向に反するもので苦痛にもなりえます。
このように人それぞれ個別(インディビジュアル)に幸福を求め行動することが必要であり、それを行動に移すためには多くの知識と経験が必要になります。
しかし多様な知識を得ることも、経験を積むことも物理的に時間の制約を受けるので限度があります。そこで、多くの著名人や知識人・文化人・専門家などが執筆した本を読むことで、その現象や行動を疑似体験し、必要な経験値を獲得するのです。
つまり「個人の幸福戦略的読書」になります。
読書の恩恵
それでは、大まかに本を読むことによる効能をいいます。
①想像性の強化
②処世術の強化
③情報の精度強化
以上の3点になりますが、想像性の強化については何となく理解できると思います。本は多様なジャンルがあるので自分の好きなジャンルだけでなく、手つかずのジャンルの本を読むことで新たな価値観が宿りこれまでとは違った角度から自分の好きなジャンルも捉えることができるようになります。
それだけではなく東京大学大学院総合文化研究科の酒井邦嘉教授によれば、
「本を読むという行為は、決して情報を得たいというためにやることではなくて、むしろ自分のなかから、どのくらい引き出せるかという営みなのです」
といいます。
読書をしているときの脳は、他の活動をしているときとは違う働き方をしています。本の活字は視神経でとらえられ、後頭部の視覚野に入る。そこから、本の内容に沿うように自身の蓄積された情報と照らし合わせ、映像化してイメージが脳のなかにつくり出されます。
黙読しているときも、音声化できる活字はいったん脳の中だけで音に変えられ、記憶との照合によって自動的に単語や文法要素が検索される。検索された情報は、さらに単語の意味や、文を作る文法を分析するため言語野へと送られる。そこで初めて「読む」という行為が確かに言語と結びつくのです。
これに対して動画などの映像は、視覚野でとらえられた映像と言語野で理解した言葉をもとに、脳は場面の意味を理解する。しかし、テレビ画面からは次々と新たな情報が送られてくるために、情報の意味を理解することで脳は手一杯になってしまう。
そのため、表層を理解することにとどまってしまう。
これに似た現象として、昨今映像の解像度の向上ににより、脳の処理が低下している。いや、処理不用な高鮮明な映像が溢れているといえる。
例えば、映像の一部がモザイクがかかり出演者が誰かわからないとする。あなたはその人物が誰か脳内の蓄積されたデータから共通点を照合し模索するだろう。
だが、同じ映像で高鮮明な映像ならそのような脳処理は一切不要なはず。
未知なものや不確実なものなどに対応するときにはこのような脳処理が必要不可欠なように、想像力はわたしたちの生活にかかわっている。
次に処世術の強化ですが、安に楽な方法を探るために本を読むことが有効だというのではなく、対極する二つの考え方や、倫理感など自分の想像を及ばない視点を得るためには、赤の他人の真摯な考えを理解することが肝要だということです。
例えば、赤ちゃんポストなどの問題です。10代で子を授かり家族や友人にも打ち明けることができない母親が、生活力がないがゆえに愛しい我が子を赤ちゃんポストに涙ながらに預けることと、生活力があるのにもかかわらず、自分で育てることをせず、赤ちゃんポストに預けるのでは話は違ってきます。
このような場合、前者は理解され、後者は非難されると思います。
しかし、後者の母親が適応障害で生活することは不自由なくできても、赤ん坊のように四六時中世話をする能力が備わっていないのだとしたらどうでしょうか。おそらく今度は母親に同情する人も多いのではないでしょうか。
このようにひとつの現象の中に多様な視点があること(Wbasic)を理解し、複眼的思考を手にすることで、より正確な判断をとれるようになるのではないでしょうか。
最後に情報の精度強化ですが、いうまでもなく世の中の起こっていることは、発信する側の意図が含まれます。メディアをみればわかるように、資金源であるスポンサーの意向に反する行動や報道をするのが難しい。
だからといってNHKのように、視聴者の受信料で成り立っている組織ですら黒い噂は絶えず、半ば国営放送のようになっています。北朝鮮の国営放送をみればわかるように体制に都合の悪いことを報道することはありません。
そうなると出回っている多くの情報の中から精査し、自身で情報の精度を高めるしかありません。その一役を担うのが本になります。
政治家・学者・文化人・経営者など数多くの人が本を出版しています。そして、本を出版する人は、一定の成果を出した人や知名度が高いなど、限られた人です。
この時点で一定の篩にかけられ残った人になります。そのため自主出版は別になりますが一定の信用を得ているともいえます。
そして、本は一冊製作するのに膨大な資料と時間と試行錯誤が行われている場合が多い。今あなたが読んでいる文章でさえ、繰り返し読み、誤字脱字や、言い回し・例え・引用・イラストなどを検討した結果、このようになっています。
たとえ数分で読み終わる文章でさえそうなのです。
一冊の本の中には作者の想いや意図・哲学・伝えたい事実など様々なものを内包しています。そこにアクセスし、並列化を行い、自身のOSをアップデートすることで、最高のインディビジュアルライフを見つけ出すことも一つの手です。
イラスト:いらすとや
そろそろ、21世紀のインディビジュアル・ワールドを生き抜くツールとして本を携えて、新たな星を探しに行きませんか。
おわり
参考文献「本を読むものが手にするもの 藤原和博著」
最後まで読んでいただきありがとうございます。
佐々さん画像を使用させていただきました。
毎週金曜日に1話ずつ記事を書き続けていきますのでよろしくお願いします。
no.75 2021.7.16
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