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近況と雑感

つい先日誕生日を迎えて、僕は26歳になった。

子供の頃に思い浮かべていた26歳とはかなり違う、というより26歳の自分を子供の頃に思い浮かべた事など恐らく一度もないが、成熟した大人とは程遠い何とも不安定な26歳になってしまった。

四半世紀も生きていれば大体どこかしらに落ち着いて安定しそうなものだが、僕には相変わらず一向にその気配がない。だがどこかに落ち着くのは性に合わず、例えもう一度人生をやり直したとしても同じ道を辿るような気もするので、これからもやりたい事を細々と続けて、出来る限り前を向いて腐らずやっていこうと思う。

自分の愛するものに、魂を燃やせるものに情熱を捧げて生きていきたい。

情熱と言えば最近はもっぱら「鎌倉殿の13人」を観るのに熱中している。最近と言うより正確には放送開始してから観ているので今年に入ってからずっとそうだが、日曜の夜に大河ドラマを観るのが僕の週末の細やかな楽しみだ。

歴史上の資料においても不明瞭な点が多く、その生涯の多くが未だ謎に包まれている源頼朝の最期を、脚本の三谷幸喜さんは「頼朝の最後の一日」として息絶えるその瞬間までを丁寧に描いた。

頼朝にしか聞こえない幻聴、天に見放された事を悟り死の恐怖に怯える頼朝、自らの行いによる周囲への人間不信、死期が近くなるに連れて生じた悔恨の念、混同する記憶と衰える身体能力、そして手足が痺れ呂律が回らなくなり落馬した最期の場面。鈴の音が聞こえた人物と聞こえなかった人物。

僕はなぜ武家の棟梁たる征夷大将軍が馬から落っこちたのかずっと不思議に思っていた。頼朝の死因に関しては諸説あるため何が正解なのかはもはや誰にも分からないが、先週の放送回を観て妙に納得したと言うか、合点がいったような気持ちになった。史実が定かでない以上、源頼朝がなぜ死んだかよりも、孤独なあの男が何を思い生きていたかに視線を向ける方が重要なのだ。

源氏一門の親族をことごとく死に追いやり、忠義を誓った家臣にまで手をかけた男が、あれ程視聴者から忌み嫌われていたにも関わらず、彼の壊れてゆく様を観ているといたたまれない気持ちになり、頼朝が神仏に縋る事をやめて自分の運命を受け入れた瞬間、「鎌倉殿の13人」から鎌倉殿がいなくなる事に一抹の寂しさを感じた。

今作で三谷さんは人間の持つ凛々しさや醜さ、そして勇敢さも姑息さも余す事なく生々しいほど丁寧かつリアルに描いてきたが、蛮族と揶揄された九郎義経がそうであったように、やはり視聴者である僕たちは最後の瞬間、頼朝の事を愛してしまった。それ程まで三谷さんの描くシナリオと大泉洋さんの熱演は素晴らしかった。

次回からは頼朝のいない鎌倉幕府の物語が始まる。新章突入を前に過去の放送回を一挙に再放送するらしいので、未視聴で興味のある方は是非ご覧になって欲しい。三谷さん曰く物語は頼朝が死んでからが本番を迎えるとの事。

ドラマの話に熱を注ぎすぎたので話題を少し変える。

最近少しずつ、本当に少しずつではあるがライティングの仕事をさせてもらえるようになった。僕はいくつかの自分に知識と関心のあるジャンルを絞り、それらに関連する内容の仕事を受注するかたちで記事を書かせてもらっている。

始めたての頃は単価は安いものばかりで時給換算すると普通にバイトした方が稼げるものがほとんどだったが、そんな簡単に割の良い案件にありつけるなら世の中ライターだらけになっているはずなので、最初から大きな期待はせずに空き時間に細々と記事を書く作業を続けて来た。

この世界には「ちょっと文章を書くのが上手い」程度の人はたくさんいて、それこそnoteには至るところに名もなき文豪が存在しているが、得手不得手の概念とは別にその人にしか書けないものや作れないものがあると僕は信じているので、これからも細々と続けていこうと思っている。  

それに収入源は多いに越した事はない。もっともこれだけで食っていけるとは思っていないけど。

一定量のライティングの仕事をこなした上で感じたのは、至極当然ではあるが仕事を発注する側、すなわちクライアントは記事を執筆するにあたってライターに対して所謂「傑作」はあまり求めていない場合が多いという事だ。

無論優れた記事であればそれに越した事はないのだが、1から10まで全て自分の裁量で文章構成を決められるnoteなどとは違い、人に依頼されて書く文章には最初から指定された要項やマニュアルなどが存在している。

その制約の中でスペースを見つけて自分らしい文章を書き綴る事は可能だが、それはあくまでプラスアルファの作業で執筆にあたっての優先順位は決して高いものではない。むしろなくても困らないし、依頼者によっては他人の意志の介在を嫌う人もいる。

逆に言えばそんなに力を入れなくても要点さえ抑えていればすんなり了承してもらえる事もまた事実なので、問われる資質としては納期を守りながら無難にタスクをこなす事に尽きる。僕はこの業界はもう少しクリエイティブと言うか、独創性が求められるのかと思っていたが、結局どこの世界でも「地道にコツコツ」に叶うものはないらしい。

ひとつひとつの記事を書くのはそれ程難しくはないが、継続的に同じ作業を繰り返していると次第に苦痛を感じるようになってくる。僕は一週間の納期でだいたい2本の仕事を受けているので全然許容できる範囲だが、これをもっと多く、そして早いペースで仕事をこなしている人がいると思うと、とてもじゃないが自分のキャパシティを遥かに超越していると感じる。

ただ上を見ると際限なく青天井が広がっているので、冒頭でも言ったが今後も腐らずにコツコツ続けていこうと思う。元々お小遣いが稼げるようになれば良いと思っていたくらいの体温しか持っていなかったので、副業としては悪くない。

それに地道に続けていれば何か思いがけないメリットがあるかもしれないし、何か良い事があるかもしれない。

人生26年目はなるべく悲観的にならず前向きに物事を捉えるて生きる事を目標にしたい。今の時代「〇〇すべき」とか「〇〇はしてはいけない」みたいな受け手に対して一方的に否定的なニュアンスを投げかけてくるコンテンツで溢れているけれど、残念な事に人を肯定してくれるものは中々見当たらないので、ならばせめて自分で自分を受け入れて生きていこうと思う。

早いものでもう7月になった。殺人的な気温で外に出るだけで汗と日焼け止めがハーモニーを奏でて身体中の皮膚が大変な事になるが、僕はいくつになっても夏休み前の小学生の頃の気持ちが忘れられない人間なので、少しだけワクワクしている。

近況と雑感はこんなところだろうか。良い感じのタイトルを思い付かなかったのでくるりの丸パクリをしてみた。今のところ、他に書きたい事は何もない。

読んでいただきありがとうございました。皆さん熱さには気を付けてお過ごし下さい。

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