痛みのプレゼント

今回は、少し前にツイッターでツイートをした、村山早紀さんの『コンビニたそがれ堂 神無月のころ』という本について、感想を色々書こうと思います。そして、今回はだいぶ長いです。ごめんなさい。

まず、これはツイートでも言いましたが、この本を読み終わるまで、長くブランクがありました。多分2年ほど。たそがれ堂シリーズは切なさと温かさが好きで、テンポよく読んでいたのですが、この巻だけは、無理でした。

ここからは大変な自分語りになりますゆえ、そのようなものが苦手な方は、どうぞページを閉じてください。

なぜ読めなかったか。それは、「死」と関わるお話があったからです。このようなテーマがたそがれ堂シリーズに出るのは、この『神無月のころ』が初めてではないのですが、最初に収録されている「幻の遊園地」がなんかこう、心の琴線バリバリに触れてくるものだったのです。


私が小学一年生のとき、祖父が亡くなりました。私の地元では祖父のことを「おじぃ」と呼ぶところだったので、以後はそう呼ばせてもらいます。

ある夏の日、私は母とおじぃの家に行きました。自宅から車で10~15分くらいの近い所でした。おじぃの家は一軒家なのですが、その日は用があって、正面からではなく、裏口から入りました。

裏口から入って用を済ませ、正面にある玄関に向かおうとしたとき、部屋の中で椅子に座っていたおじぃが、苦しそうな声をあげて椅子ごと倒れていくのが、窓越しに見えました。

しかし、その時はなにが起きたかわからず、びっくりしまたが、ただ転んだだけかもしれない、テレビの音かもしれないと思い、そして、母はその姿をみていなくて、見間違えかもしれない、と思っていたこともあり、その場では何も言えず、母と二人で玄関から入りました。

玄関で靴を脱ごうとしたとき、廊下の向こうに、おじぃの頭だけが見えました。まだ倒れたままだったのです。そこで、私は母に「おじぃが…」と言いました。

そして母はおじぃのもとに駆け寄り、いつもは私に合わせて「おじぃ」と呼んでいましたが、その時は涙声で「父ちゃん」と言っていました。体を揺さぶったり、手を握ったりしていました。そして、「こんなに手を冷たくして」と母は言いました。そのときに、人は死んだら体が冷たくなる、ということを知りました。

まさか倒れた瞬間を目撃するとは思わず、驚きと恐怖で私はおじぃに何も話しかけられず、体を触ることもできませんでした。ただ、取り乱しながら救急車を呼ぶ母を見ていることしかできませんでした。

それから救急車がやってくるまで、私は待ちきれずに家の外の道路にでました。そこは田舎で車通りも少ないので、道路に出ても、車の心配はそこまでする必要はありませんでした。

少し待つと、救急隊の方が走ってやってきました。道路の幅が狭く、救急車が通れなかったそうです。そして私は手で「家、ここ」と伝えました。家の中に入った救急隊のお兄さんは、私を別の部屋に連れて行きました。そして椅子に座らせ、お兄さんもしゃがんで私の目線に合わせて、「おじいちゃんを助けてあげられなくてごめんね」と言いました。

そのとき、私は泣くでも騒ぐでもなく、おじいちゃんじゃなくて、「おじぃ」なんだよなぁと思っていたのでした。そして、そう告げてくれたお兄さんの、額にかいた汗を、なぜかよく覚えています。

それからあれよあれよという間に、お葬式があったりしました。母は、私の知る以上は、特に落ち込んだりしていなかったです。隠れて泣いていたかもしれません。

当日は色々衝撃的なことがあって、脳の処理が追い付いていないようでしたが、少し時間が経って、処理が追いついたころ、私はひどく不安に駆られるようになりました。

例えば、家のインターホンを鳴らして、母が出るのが遅かったとき。電話をかけても出なかったとき。「お母さんが倒れていたらどうしよう」と考えが支配されるようになってしまったのです。それからだいぶ時は流れ、今はそこまでひどくありませんが、今でも急に「お母さんが死んだらどうしよう」「お母さんが死んだら生きていけないかもしれない」と思う時が来るのです。

この世に生きている時点で、致死率100%です。だから、いつか母も死ぬ時がくる。それでも不安になって仕方がなかった。本当に狂いそうなほど、怖くなる時もあります。

でも、その時に、ふと気づきました。

この恐怖や痛みは、おじぃからの最後の大きなプレゼントだ。

「~が死んだらどうしよう。」「~が病気になったらどうしよう。」そう考えてしまうたびに、近くにおじぃを感じるのです。

そう気づいたときに、なんだー、おじぃが来てたのかー。と思うわけです。そして、生きている母との時間を大切にしようと思うのです。

今ならわかります。夏の日で、クーラーが付いていない部屋でした。そこに倒れて何時間、何日とそのままだったら、と考えるとぞっとします。あの日に、私たちがおじぃの家に行ったのは、本当にたまたまでした。これは、おばぁの采配だったのかもと思います。おばぁはおじぃの奥さんで、母が若いころに亡くなりました。(今さらですが、おじぃとおばぁは、母の両親です)

そういう経験を踏まえて、ですよ。だいぶ前置きが長くなりましたが、それで、『コンビニたそがれ堂 神無月のころ』を読むと、もうダメなんです。(笑)

おばぁはあのとき、おじぃを少しでも助けたかったのかなぁ、とか、おじぃは私が気づかないだけで、色々助けてくれているのかなとか、おじぃはおばぁと何十年ぶりに会えたのかなとか、想像するだけで、泣けてきちゃうのです。

本当にそうだったらいいなぁ。

そして願わくば、おじぃが倒れる前。どこで意識を失ったか分かりませんが、この家に着いた私と母の姿が見えていたらいいなと思うわけです。すぐに救急車呼べましたよ、ということが伝わっているといいな。


最後に。本当に長くなってしまいました。ここまで読んでくださった方、もしいましたら、ありがとうございます。そして、著者の村山早紀さんにも大きな感謝を。ずっとずっと大好きなシリーズです。本当に、ありがとうございました。


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