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13ヶ月。涓滴、岩を穿つ。
表題の感じは「けんてき、いわをうがつ」と読むそうです。
昨年の4月にハノイに来てから、13ヶ月目に入りました👏
考えてみると、実は海外の国どこかで1年を超えて暮らしたことは初めてでした。
カナダは1年、タイも累計で1年、インドは結局1年に満たず。。
節目という事で。
1年前自分の書いた記事を読んでみると、実は結構悩んでたんだなぁとわかります。
(タイトルから既に溢れ出る悩ましさ)
中々ベトナムっていう国は内側に溶け込んでいくのが難しいよね、という文脈での悩みだったように思います。
1年経ってみると「上手く行ってる」と思うところもあり、まだまだと思うところもあり。
全体的にはスローながらに前進してるって感じかもしれません。
コミュニケーションについては、少しずつ良くなってきたんじゃないかなぁ。
簡単なタクシーの運転手との会話、屋台での注文、レストランの予約、もろもろ。。
今までは聞いてもファックスの受信音くらい(失礼)にしか
聞こえなかったベトナム語の解像度は、少しずつ上がっている気がします。
少なくとも、話されている単語の端々から意味を予測することはできるようになりつつある。
(ただしHCM に行くと言葉がまるで違うのでそれも難しいんですが)
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日本人駐在員が現地でいく場所となると、
どうしても、日本人コミュニティの内側になります。
海外の邦人コミュニティは得てして狭いので、大体同年代だと誰かしらがどこかで見たことある、といった感じになる。
自分も日本人である以上、コミュニティとの関わりを持たず生きることは現実的に難しい、と思われ。
最初は「なんでベトナムにいるのに日本の居酒屋行って、日本人ばっか飯食うんだろう」と
思った節もなくはないですが、まあ海外にいると日本でいる以上に
色んな人との出会いもあるもので、それもいいんじゃないかなあって思ってます。
逆に最近は特にベトナムのローカルに少しずつ行く頻度が増えてきました。
ベトナム料理、好きなんですよね。美味しいし、安いし。
ベトナム人の友達とか、日本語を話せるベトナム人のお店の人とかから色々と
教えてもらって、これはこれで少しずつ世界が広がっている。
ビールが70円で飲めて料理も美味しい居酒屋なんて素晴らしすぎる。。
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主に飯の話になってしまいました。
少しずつベトナムに「溶け込めている」感覚はあります。
(どこに居ても現地の飯を食うことが一番最初のステップだとは昔から思っています)
あと、やっぱり言葉って大事だなぁって思います。
特にベトナムみたいな内気な人が多い国だと特にそうかも。
1年近く勉強してきて、まだまだ先は長いものの、少しずつ世界が開けてる感じがします。
前回記事で書いたベトナム音楽もそうですし、これから、これから。
どの国に住んでも、本当にそこの事を理解しようと思えば1年じゃ物足りないなあって。
ある意味自分は色んな国を転々と住んできたので、薄く・広く知ってる状態なんだと思いますが、
何度も書いてる通り結構この国すきなんですよね。特にハノイ。
会社を辞めた同期に、高校の同級生夫婦に、10個上の飲食店オーナーに。
色んな人がハノイに来てくれて、話を聞けば聞くほど、
色んな生き方があっていいんだろうなあって思います。
そもそもうちの家族もみんなそうですもんね。
親父は韓国人だし、妹は高卒でオーストラリアに行っちゃった。
やっぱりそういう移民的な血が自分の中にも流れてるのかもしれない、と。
少しかっこよく言いましたが、要は飽き性というか、多動というか。
「一度しかない人生だから」という事を何かにつけて考えます。
会社の辞令でこの国に来たのも、何かの導きがあるのかもしれないと思う次第です。
自分の納得する人生になればいいな、と。