遥かな霊果 #KUKUMU
「どうして、食べものをのせるうつわに、食べものを描くんだろう」
カサつく素焼きの生地に、ゆるい粘度のある呉須を含ませた筆で桃を描きながら、ふと思った。食べもの on 食べもの。しかも桃。絵とはいえ、桃の実の上に天ぷらをのせたり肉を盛ったりするのは、違和感がある。和食の盛り付けに笹の葉などの「かいしき」を敷くのは見るけれど、桃はないだろう。
焼きものの産地である長崎県波佐見町で暮らすようになるまで、うつわの絵柄について深く考えたことはなかった。「柄つきのうつわは、茶色いおかずの見栄えがよくなるなあ」くらいの認識。だけれど、自分で時間をかけてうつわの絵付をするようになると、気になることがとめどなく増えていった。
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わたしが絵付教室に通って、もう1年以上が経つ。仙人みたいなおじいちゃんが先生だ。おみやげに甘味を持っていくと莞爾と笑う先生は、「旬のものを描きなさい」とよくおっしゃる。春には桜や水仙、暑さが増すころにはメダカや桃、秋の気配がしたら紅葉やぶどう、冬に入ると山茶花や梅を描きはじめる。
それは、風流だからという情緒的な理由ではなく、「対象をしっかり観察できるから」だ。花がどんなふうに咲いているか、実のシルエットはどう見えるか。調べて描くことが、上達には必要なんですって。
だから、去年も今年も、わたしは夏には桃を買い、描いている。純粋に先生が描いたお手本のなかで桃文様が気に入ったからなのだけど、桃を食べるよい口実ができて、よろこばしい。
どうして、うつわに桃を描くのか。絵付の勉強をしていくにつれ、わかってきた。それは、おいしそうだから、かわいいから、という単純な理由だけではない。うつわに描かれる文様には、古来意味があった。いまでは形骸化されているにしても、むかしの人びとは意味を込めていたし、それが現代にも残っている。
文様には、邪悪を退け、吉祥(きっしょう)を招く力があるとされてきた。まだ神話が近く、科学が遠く、暮らしが揺らぎやすかった時代に、人びとは身のまわりの家財道具を文様で装飾して、祈りを込めていたのだろう。
桃も、吉祥文様だ。
漢の武帝の一生を不可思議なエピソードとともにまとめた『漢武故事』(武帝の死後約400〜700年後の六朝時代に成立したとみられる)によると、西王母は武帝のもとを訪れて、長寿の桃を与えたという。武帝の時代は紀元前2世紀ごろだから、ずいぶん古い話だ。
こうした桃にまつわる神話が古代中国にはあり、さまざまな物語の下敷きにもなっている。有名なものだと、時を経て明代に成立したとされる小説『西遊記』にも影響を与えた。孫悟空は天帝から広大な西王母の桃園の管理を任されたのに、西王母の誕生日会に呼ばれなかったことを理由に霊果である桃をたらふく盗み食いして大暴れ。天界を追放されてしまう。
ちなみに西王母の誕生日は3月3日、旧暦では桃の花が咲く時期だ。この日が「桃の節句」と呼ばれるのも、長寿や邪気払いの象徴として縁起がよいからだろう。
ほかにも、漢代に編纂されたと思われる(成立年は不明)儒教経典の『周礼(しゅらい)』と『礼記(らいき)』に桃にまつわる記述がある。中国古代の帝王が出席する式典では、桃の枝や桃の木でつくった弓で不祥を防ぎ凶悪を追い払ったという。果実だけではなく、木そのものが霊木と捉えられていたのだ。
日本ではどうか。『古事記』にはこんな桃のエピソードがある。亡くなってしまったイザナミノミコトを現世へ連れ戻そうと、黄泉の国へ赴くイザナギノミコト。しかし計画は失敗し、黄泉の鬼女や雷神たちに追われてしまう。懸命に逃げるなか、黄泉の国の出口付近の麓に生えていた桃の実を3玉もいで投げたところ、追手が退散。イザナギノミコトはなんとか現世に帰ることができた、という話だ。
桃を邪気(鬼含む)を払う霊果として考えてきた歴史を知ると、童話の桃太郎も違った視点で見ることができる。「相性的に100%、桃太郎が鬼に勝つストーリーじゃん!」と、先が読めてしまうネタバレ必至の物語なのだ。
とにかく桃は、さまざまな神話や民話に登場する。紹介したのは僅かだけれど、こうした歴史を知ると、桃が吉祥文様であることは納得できる。
ではなぜ、数ある果物のなかで、桃が古くから霊果とされてきたのか。
おそらく、薬効にすぐれている点から人びとに求められた結果、神話に溶け込んだのだろう。
桃は果実だけでなく、種(仁)や、葉、花、樹皮、産毛までも薬として用いられてきた。ただ、漢代に書かれたとされる『黄帝内経』や『神農本草経』などを見ると、根拠不明のまじない的な記述も多い。「桃の花は悪鬼を殺し、人を好色にする」なんて、笑っちゃうほどファンタジーだ。
しかし実際、現代科学の分析でも、桃の木のあらゆる部分に有用な成分が含まれていることが証明されている。現代漢方医学でも活躍していて、たとえば桃仁と呼ばれる種子は、血の巡りをよくする作用があって月経不順や打ち身などに効く。葉には肌を美しくする効果があり、じんましんや湿疹に用いられるそうだ。女性にうれしい薬効が多い。
神話と科学は、簡単に切り離せないものなのかもしれない。桃がより神秘的な果実に思えてくる。
とはいえ、桃だけが特別なわけではない。ほかにもぶどうや枇杷など、吉祥文様とされる果実はいくつもある。文様の世界は豊かだ。それでも、桃がおもだった文様に数えられてきたことは間違いない。ざくろと仏手柑(ぶしゅかん:柑橘の一種)とともに、桃は中国の三大吉祥果と呼ばれている。
この3つの果実を並べて描く「三多紋」は伝統文様として日本にも伝わっていて、伊万里焼のうつわにも描かれている。わたしの住む波佐見町でつくられた焼きものも、江戸時代には伊万里焼として海外へ輸出されていた。
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わたしはこの夏も、ちいさなうつわに桃の絵付をした。
ぐるりと枝がつながる桃文様は去年から気に入っている絵柄だ。今回は色ちがいの一対として仕上げた。今年も口実を得て桃を観賞し、食べている。
桃は、かわいい。うぶ毛を纏っているから、ちいさな獣のように見える。まるっこい、ピンクの静かな獣。そっと撫でると、甘い香りを漂わせて「食べて」と誘惑してくる。
ひとしきり愛でたら、ぬるくならないうちに包丁で切ってしまう。ピンクの薄く頼りない皮を剥くと、「よく内側に留まっていたなあ」と感心するくらい果汁が滴る。夏を実感するように喉が渇き、にわかに飢えた心地がする。
去年、炎暑の日々に絵付をした、桃文様の皿に盛り付け。桃 on 桃。文様に込められたあれこれを知っているからか、なんだか厳かな気持ちになる。歴史を超えた祈りが、いま、わたしの描いた一枚の皿にも宿っているのだ。
口に含んでなめらかな果肉に歯をあてると、甘くてさっぱりとした果汁が広がる。身体中、すみずみまでうるおう気がするから不思議だ。孫悟空が霊果を盗み食いしてしまった気持ち、ほんのちょっとだけわかる。
桃は、栽培の歴史も東洋で最も古いという。
紀元前10世紀から紀元前6世紀ごろまでの歌謡を孔子が編纂した『詩経』には、桃をテーマにした詩がいくつもある。なかには「園に桃あれば、その実を食らう」と明らかに栽培した桃を食べた描写も残っている。
桃の栽培技術については、さらに時が経って、魏晋南北朝時代の『斉民要術』に接ぎ木の方法などが詳しく記されている。この中国最古の農業技術書によると、6世紀ごろには桃の栽培はすでに広く普及していたようだ。
文献で歴史を辿れる範囲では、桃が人間の手で栽培されるようになって、3000年ほど経つ。野生型の桃は果実のサイズが3センチくらいしかないので、それに比べると品種改良された現代の桃はずいぶんと大きく、みずみずしく、甘い。もしかしたらわたしたちが食べている桃は、遥かむかしの人びとが思い浮かべていた霊果以上に、極上の味なのではないだろうか。
西王母が天界の自らの庭で3000年に一度実る神秘の桃が熟すのを待つあいだに、人類は同じだけ――もしかしたらさらに太古から――時間をかけて毎年桃を育て、よりおいしく進化させてきた。次に西王母の庭に霊果が実るころ、地上の人びとはどんな桃を育て、口にしているのだろう。
文・写真:栗田真希
編集:よしザわるな