もう空気なんて読まない・フェミニズムから国民を守る党
石川優実「これは巨大ロボット・・・!?」
田嶋陽子「これはフェミンゲリオン。男女共同参画の予算で建造されました」
田中美津「あなたが乗るのよ」
上野千鶴子「家父長制を、ミソジニーを倒すのよ」
石川優実「私、乗ります・・・!」
アンチフェミの皆さんのアイドル石川優実の新著「もう空気なんて読まない」が出ました。思えば彼女を記事でメインで取り上げるのが今回が初めてです。そういえば彼女Twitterアカウントを消してしまいましたね。TLが騒がしくなるの嫌でフォローしていなかったのですがだいたい誰かと喧嘩してる印象でした。
いちおう彼女についておさらいしておきましょう。彼女と言えば何と言ってもKuToo運動でしょう。芸能界引退後にアルバイトとして入った葬儀場で女子のみヒール着用が義務付けられているのは女性差別だと抗議し署名活動を行い3万人のも署名が集まり流行語大賞(流行ったのかな?)にも選ばれました。
このKuTooですがハリウッドで女優たちがプロデューサーによる性行為強要を告発したmeToo運動、そして向こうのフェミかぶれの女優がアカデミー賞などの式典でヒールを脱いでみたりするパフォーマンスにインスパイアされたのだろうと推察されます。しかし流行語大賞に選ばれたものの最近では本人以外が言及したり支持したりしてるのをついぞ見かけません。思えば昨今の彼女の迷走暴走ぶりもこの初弾ネタが今いちブレイクしなかったせいかもしれません。
自分は男性ですのでハイヒールを履いたことはありませんし女性のファッションに関してもあまりわかりませんがハイヒールを履くのは抑圧の象徴であり男社会によって強制された纏足なのだというのがフェミニズム的な論旨なのでしょうが女性向けファッションサイトを見ても一角を占めており必ずしも嫌々強制されているようには思えません。KuTooの旗を振りいざ進もうとしたら同じ女性達が思うように付いてきてくれなかったというのが実情ではないでしょうか。
余談ですがハイヒールって元は貴族が履いていた靴なので高貴なものだったはずなんですけどね。
そろそろ本書の件に移りましょう。前にKuToo本を出したりしていますが単独で本格的に自らについて語っているのがおそらく本書が初めてではないでしょうか。ちなみにAmazonのレビューを見ると上位レビューは星一つの酷評ばかりです・・・やれ内容がひとりよがりで文章が下手など読みづらいなど。
フェミ本マイスターという全くもって嬉しくない称号をもらっている私です。これまで読んできた特殊能力を持った女達が男という男を虐殺しまくる欧米フェミニズム小説POWERなど例えれば生きたままのサソリを食わされる羽目になってきた私からすると本書は思ってたより余裕な代物でした。
私には現在、セックスする人が二人いる。一人は同棲している男性、一人は少し前に付き合っていた男性。どちらとも付き合っているというわけではない。将来結婚をしようという話をしているわけでもない。
よ、良かったですね。。冒頭から彼女の赤裸々な性事情が語られるところから本書は始まります。世間じゃそれを二股と呼ぶんだぜという気もしますがああ、そうポリアモリーという便利な言葉がありましたね。まあ率直にいえば理解のある彼くん&セフレがいるんですね。理解しました。石川は結婚観についてこう語ります。
田嶋陽子さんは結婚制度のことをずっと「ドレイ制度」だと言っている。私もそうだと思う。いまだに「入籍」という言葉が残っていて、家にもらわれた感覚でいるため、妻が夫の言うこと聞くべきだと思っている人がいる<中略>それにほぼ自動的に夫の苗字になることによって、「妻は夫のものになった」と勘違いする人が出てきてしまう。<中略>こういった間違った価値観が根底にあると、妻が働くことに許可を出すとか出さないとか言える権利があると思ってしまったり、養っている人にすべての決定権があると思ってしまったり、本当はただお互いの考え方が違うだけなのに「言うことを聞かないから」という理由で殴ってもいいと勘違いしてしまったり、夫がセックスを求めたら妻は応じるべきだと思ってしまう人が出てくる。それをDVというわけだけど。
しかし婚姻制度は女を従属させる奴隷制度であるというのは大元のフェミニストの主張でしたのでその辺りは教義に忠実ですが昨今の現代女子などはこのような主婦は奴隷などというフェミの主張を見るとどうやらびっくりしてしまうようです。
このような主張は女性の大半が専業主婦を選んでいた時代はカウンターとしてある程度は効いたのかもしれませんが共働きが当たり前で専業主婦がもはや贅沢な時代においては目を丸くしてしまうことでしょう。いや働く女性も専業主婦も尊重するのが本来のフェミニズムなどと平然と嘘を吐く者もいますが半世紀以上に渡り専業主婦は奴隷であり搾取されているというのはフェミニズムの主たる主張であり伝統です。
これはマルクス主義における搾取する側の資本家と搾取される側の労働者という図式をそのまま夫と妻の関係性に持ち込んだものではないかと思われますがしかし日本の夫に小遣いを渡し財産の相続権を持った専業主婦が奴隷という主張はそもそも無茶な論理と思われます。確かに資本主義社会では資本家の方が強者で労働者側は弱者という立場は否定し難いでしょうが夫婦関係においては財布を握られ家の中では嫁に頭が上がらないと愚痴る夫などいくらでもいるでしょう。
上記の石川の主張もまた婚姻関係からそのようにエスカレートした思考になるのかわかりませんが妻は自らの所有物で殴っても何をしてもいいと考える男などよほどサディスティックな男で婚姻制度にそのような因子があると考えるのは妄想としか思えないのですが。
続いては「モテ」って一体なんなんだ!の章。
フェミニズムの活動をするようになってから、「モテない女の僻み」みたいな言葉かり言われる。はっきり言うが、私はモテる。男性に媚びを売り、空気を読んで生きていかないといけないと思っていた10代、20代の頃より今のほうが圧倒的に恋愛はうまくいくし、変な男も寄ってこなくなった。
モテたいのかモテたくないのかどっちなんだよ...Twitter上では少なくともモテているようには思えませんでしたがしかしフェミニストを女神の如く崇拝するフェミ騎士からはディープに愛されるという意味ではニッチな需要は開拓したのではないでしょうか。
一方、こういった言葉が男性に投げかけられることは稀だ。男性に対して「モテないから僻んでる」と言ってバカにする人を見たことがない。男性に対して相談もされてないのに「そんな服装や髪型じゃモテないよ」とアドバイスする人も同じく見たことがない。
いや、めっちゃあるよ!!!!!
アンチフェミ界隈にいる人ならわかると思いますがツイフェミによるアンチフェミ男性に対するお前はモテないという罵倒は本当に今まで何度見たことかわからないです。男性への加害に関しては全く見えないという点で本当にフェミニストだなあとつくづく思います。
フェミニストの最大の加害性とは何か。それは自らの加害性に徹底的に無自覚なことでしょう。彼女たちは非常に攻撃的で加害性が強いにも関わらず自らの認識は汚れきった男社会に染まらない愛と平和の天使なのです
続いてはトランスジェンダー問題です。トランスジェンダーの特にトランス女性の問題ですがフェミ界隈では燃えやすいテーマです。スポーツの競技大会ではトランス女性の選手が圧勝してしまうという問題がりパワーバランスが狂ってしまう問題が発生しておりこと格闘技では生命の危険すら生じます。これに関しては女声の身の安全上からトランス女性に否定的なTERFといや差別すべきではないというフェミとに別れますがしかし過激なジェンダーフリー論者である科学者で医師のジョン・マネーを担ぎ上げ先天的な性差などないと吹聴してきたのは紛れもなくフェミニストです。それを否定するのは教義を否定することになります。とはいえトランス女性を全面的に肯定するのは女性の身の安全を脅かしかねないことになる。この問題、フェミ的にはどちらに転んでも詰みな気がします。ここで石川の見解を紹介しましょう。
トランス女性に対して「でも男性が女性のふりをして入ってきたらどうするんだ」とか、「身体はどういう状態なんですか?」とか、どうしても聞きたくなってしまう方は、一度体について悩んできているかもしれない人へ追い討ちをかけるような言葉は必要あるのだろうか。私はそれは攻撃にしか思えない。
さすがフェミニズムの敬虔なる信徒というか教義に忠実なのですね。しかしその前のページでは家の中に男性作業員などが入ってきただけで怖くて仕方ないと書いているのですが髭もじゃの性自認が女性と称するおっさんが浴場やトイレに入ってきたら発狂してしまいそうですが大丈夫なのでしょうか。
女装をしてトランスジェンダーを名乗って入ってきた人は男性であって、トランスジェンダーではない。なぜ嘘をついた男性のために、なんの罪もないトランス女性の権利を制限されなければならないのだろうか。
いや、髭もじゃのおっさんにしか見えない人間が自分は肉体的には男だが性自認は女のトランス女性であると主張してきた場合どう偽物か本物か判断するのでしょう。性転換し長い髪をなびかせ乳房を持ちいかにも女性的なトランス女性であれば女性として認めるのでしょうか。しかしそれこそジェンダーバイアスではないのでしょうか。やはり駒をどう動かそうとも詰みという八方塞がりな状況です。この状況を作り出したのは紛れもなくフェミなのですが。
ここからは文字数の関係もありますのでサクサク行きましょう。後半は石川本人の半生が語られるのですが意外にも周りの顔色ばかり伺う女の子でキャバクラでバイトをしアイドル業を引退した後は葬儀社に務めるのですがいわゆる仕事に関しとにかく本人の口からは辛い辛いとしか語られないのですがふとある思いが脳裏をよぎりました。
この人そもそもあんま労働に向いてないのでは?
本書を通して痛感するのはとかく本人の自我の希薄さ、判断力の無さ、メンタル面では情緒不安定、フィジカル面にも脆さを抱えている。芸能界にいた頃はまだよかったが実社会で生きていかなくなったところ適応障害を起こしたというのがKuTooの発端であったような気がします。今では理解のある彼くんに支えられているようですがフェミニストなので専業主婦にはならないのでしょうが本当にこの人どう生きていくんでしょうね。
これまでの半生で周りの顔色ばかり伺っていた女の子がフェミニズムという錦の御旗をバックに意気揚々と鉄砲玉として銃乱射しているのが現状でしょうがしかし撃たれる側からしてみればたまったものではありません。
だがしかし石川本人を批判するよりその背後にあるものに目を向けていきたいと思います。KuTooは流行語大賞に選ばれ2019年のBBCの「100人の女性」に選ばれました。いくらなんでも爆上げが過ぎると思われないでしょうか。よく考えれば画期的なことを成し遂げたわけでもないグラドル上がりの世間知らずのお姉ちゃんです。本人の実態と与えられた箔にあまりにも乖離があるとは思われないでしょうか。
ここで思い出されるのが伊是名夏子です。伊是名夏子といえばJRの無人駅での乗車拒否騒動でいちやく有名になりました。Twitter上でも批判が相次ぎ次第に露わになるのは弱者特権を傘にした本人の非常識なモンスターぶりでした。そんな一般人には理解しがたい人物であっても社民党の幹事であり一部界隈では姫扱いです。伊是名夏子にしろ石川優実にしろリベラルに過剰に持ち上げられ自我が肥大したモンスターという点で共通しているように思われます。
そして石川はNHKの番組であるハートネットTVに出演しています。このハートネットTVの総合司会である中野淳アナウンサーは先に挙げた伊是名夏子の夫です。この辺り点と線が繋がってきましたね。さらに石川を2019年のBBCの「100人の女性」に選ばれていますがこのBBCは英国の放送局ですがこのBBCは伊藤詩織のドキュメンタリーを2018年に制作しています。さらにこのBBCは2017年に日本の主に秋葉原などを訪れ日本はペドフィル文化が蔓延した異常な国であるという印象操作を誘うようなドキュメンタリーを制作したことでも話題になりました。
つまり何が言いたいかと言うとフェミのバックには必ずと言っていいほどリベラルの影があるのです。Twitterでは不評な上野千鶴子や北原みのりも朝日新聞に寄稿していますし仁藤夢乃はTBSのサンデーモーニングに出演しています。常にフェミとリベラルは共犯関係にあります。
そんなリベラルの本願とは何か。それは日本は差別的で遅れた国であると吹聴しポリコレ教に入信させ教育しなくてはならない。そのような思い上がった傲慢な考えが根底にあるのではないでしょうか。彼らの野望は自分たちのイデオロギーで世界を染め上げることではないかと。そして伊藤詩織や石川優実は我が日本がジェンダー的に遅れた国であると吹聴するために担ぎ上げられた神輿なのではないでしょうか。
本書において表向きはKuTooを掲げ進軍する勇ましい女戦士のイメージの石川が実は理解のある彼くんに支えられたメンヘラちゃんであることが露呈するのですが思えばフェミ自体がリベラルという理解のある彼くんに依存した拗らせメンヘラなのです。そんなリベラル知識人の下記の東浩紀氏の記事ですが批判が相次いでいます。
どこまでが「かわいい」でどこからが「エロい」かは、最終的には個人の感性で判断するほかない。
これは確かにそうでしょうかこんなものどうやってオフィシャルな線引きをするのでしょうか。東氏が絶賛するシン・エヴァンゲリオンも美少女のエロティックな場面は登場するのですが。
しばしば言われるように、日本社会は伝統文化を含め性に寛容である。それは弱点でもあり長所でもある。グローバルな倫理規範とどう整合性を取るか、今後も似た騒動は起こり続けるだろう。
グローバルな倫理規範とは一体どこを指しているのかよくわかりませんがおそらくディズニーあたりのポリコレ的な作品がスタンダードとしているのかもしれませんが国際的に見てもテスラのCEOのイーロン・マスク氏も日本のオタクコンテンツをこよなく愛することで知られ日本のアニメ作品などの国際的人気はもはや凄まじいまでなのですが。
ここまで批判的に書きましたがしかし東氏も苦しげというかもう致し方なく擁護してる感がしてしまいます。ここに見られる構図はフェミの理解のある彼くんたるリベラルが半ば頭を抱えながら庇っているように見えます。果たしてリベラルはいつまでフェミの理解のある彼くんを続けられるのでしょうか。
本書の話に戻りましょう。巻末でフェミニズムに出会えたおかげでポジティブに幸福になれたと綴る石川ですが最近の本人のオフィシャルブログを見るにアルコール依存、適応障害で精神科に通院しておりもはや精神崩壊気味とのことです。思えばリベラルメディアに過剰に持ち上げられたものの一般人が集まるTwitter上ではフルボッコとこの温度差が彼女を狂わせていったのではないかと思います。
真のフェミニズムを信仰してやまないフェミ信者は似非フェミはフェミニズムをちゃんと学んでいないからおかしいのだと散々のたまわってきました。しかし大学でフェミニズムを教え文献も執筆している上野千鶴子や牟田和恵がフェミニズムを知らないとなぜ言えるのか。そこで今回の石川ですが彼女は実は感心するほどフェミニズムを熱心に学んでいるのです。本書にも参考文献として
「愛という名の支配」 田嶋陽子
「男も女もみんなフェミニストでなきゃ」 チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ
「性暴力の理解と治療教育」 藤岡淳子
「説教したがる男たち」 レベッカ・ソルニット・ハーン
「日本のフェミニズム since1886性の戦い編」 北原みのり責任編集
「ひとりひとりの「性」を大切にする社会へ」 遠藤まめた
「ひれふせ、女たち:ミソジニーの論理」 ケイト・マン
「私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない」 イ・ミンギョン
など国内外のフェミニズム本が出てきます。フェミニストはフェミニズムを学んでないからおかしいのではありません。逆にフェミニズムを学んでいるからおかしいのです。つまるところフェミニズムそのものがカルト思想なのです。この本質的な危険性が周知されない限りフェミによる被害は拡大しまた第二、第三の石川優実が現れるのでしょう。
フェミニズムから国民を守る党は皆様からの寄付を賜っております。貴方も一緒にフェミニズムをぶっ壊す!!
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