「ギターアンプにベースを繋げたら壊れる」説についての考察
0. はじめに
ギターアンプにベースをつなげると壊れるという情報をしばしば耳にすることがある。理由は「ベースの信号はギターより大きいため回路やスピーカーに負担がかかる」とのことだ。しかし電子回路の観点で考えると、少なくとも「適切な出力」の「ソリッドステートアンプ」を使う限り、アンプが壊れる可能性は非常に低いと思われる。これよりその根拠を述べる
1. 電子回路の観点から考えた根拠
ギターアンプは大きく分けてプリアンプ、パワーアンプ、スピーカー、電源回路、そしてイコライザーなどその他の受動素子で構成されている。この中で受動素子は一般的にはアンプなどの能動素子と比べて耐圧が非常に高く、電源回路は音声信号の影響を直接的に受けることがないため、これら2つはベースを繋げた程度で問題が起こるとは考えにくい。過剰な入力信号によって故障することがあり得るとすればプリアンプ、パワーアンプ、そしてスピーカーであり、これらがベース信号の入力に耐えうるかについて述べていく。
a. プリアンプ
プリアンプは楽器からの入力が印可される箇所であり、許容範囲を超えた信号が入力されると壊れる。しかしその「許容範囲」ギター/ベースアンプのマニュアルに記載されておらず、直接調べることはできない。そこで、アンプそのものの許容入力の代わりに、ギターアンプの回路図を調べてプリアンプに使われている電子部品のスペックを確認することにした。
アンプのメーカーが製品の回路図を公開しているわけではないが、有名なモデルは有志の者が実機を分解して回路図をネットに公開していることがある。私が今回確認することができたモデルは以下の4つである。
Roland JC-120
出典:https://juggbox.blog.jp/archives/25073646.html
プリアンプに「2SK184」というトランジスタが使われているOrange Crush 15R
出典:https://music-electronics-forum.com/forum/amplification/guitar-amps/maintenance-troubleshooting-repair/40024-lost-the-distortion-on-an-orange-crush-15r
「TL072」というオペアンプICが使われているHartke A35
出典:https://elektrotanya.com/hartke_a35_bass-_amp_sch.pdf/download.html
「NJM072D」が使われているHartke HA-2500
出典:https://elektrotanya.com/hartke_ha-2500_sch.pdf/download.html
「TL072」が使われている
各部品のデータシートから「Absolute Maximum Ratings」を調べると以下のようになっている。
2SK184:V_GDS = -50V
TL072: Differential voltage = V_- + -0.3 ~ 36V
NJM072D:差動入力電圧 = 30V
このように、今回調べた製品ではベースアンプの入力部の耐圧はろギターアンプと同じか、むしろ低い結果となった。もちろんこれらはただの一例であり、たまたまベースアンプの耐圧が低くなっただけの可能性は十分ある。とはいえHartkeというメーカーは信頼も実績もある老舗ブランドで特に「壊れやすい」という評判を聞くこともないことを考慮すると、「入力の部品の耐圧が30Vもあればベースの出力信号に十分耐えうる」と判断して十分妥当と考えられる。そしてギターアンプの入力部の耐圧もおよそ近い値で設計されていることから、ギターアンプのプリアンプがベースの信号で壊れる可能性は低いと言える。
b. パワーアンプ
ギターアンプにベースを繋げたとしてもパワーアンプに許容値以上の信号が入力されることは現実的に考えられない。なぜならギターアンプは、程度の違いこそあれど、基本的にゲインを上げると音が歪むように設計されているからだ。ゲインを上げて音が歪むということは、プリアンプを飽和させているということで、飽和とは「アンプがそれ以上大きい出力が出せない状態」を指している。言い換えると、プリアンプの入力信号を大きくしたとしてもプリアンプの出力は飽和のときの出力で頭打ちになるということだ。そしてパワーアンプは歪んだ音、すなわちプリアンプの飽和出力を受けることを前提に作られている以上、ベース信号をプリアンプに入力してパワーアンプが壊れるとは考えられない。
c. スピーカー
スピーカーに限っては、ベース信号を入力したとき壊れることが十分あり得る。「b. パワーアンプ」のところで述べたようにパワーアンプの入力パワーはプリアンプの飽和出力が上限となるため、パワーアンプの出力はギターを繋げてもベースを繋げても変わらないと考えられる。つまりベースを繋げたときとギターを繋げたときでスピーカーに伝わるパワーは同じだが、スピーカーが振動する振幅は同じではない。電気信号のパワーは周波数に寄らず振幅の二乗にのみ比例するが質量をもつ物体の振動のパワーは振幅と周波数の積の二乗に比例する。音域が1オクターブ低いベースの音が同じパワーでスピーカー入ると、他の条件がすべて同じであれば単純計算でスピーカーの振幅は2倍になるということである。本来想定されている最大振幅より2倍も大きく振動するとなると、スピーカーが壊れるリスクを無視できるとは言い切れない。
しかし、冒頭で述べた「適切な出力」という条件を付けるのであれば、振幅が2倍になることもおそらくは問題にならない。ここでいう「適切な出力」とは「ボリュームを上げる余地がある程度残っている状態で必要十分な音量が得られる」出力を意味する。練習であれライブであれ、何らかの特別な目的でもない限り必要になる音量をギリギリ出せるアンプをあえて選ぶことは普通はしない。必要な音量以上を出せるアンプを使い、ボリュームをさらに上げる余地を残せるようにする。そして「ボリュームを上げる余地がある」状態が最大出力のときより電圧が半分以下であれば、ベースで1オクターブ低い音を入力してもスピーカーの振幅は許容値以内に収まるということになる。
ここで「ボリュームを上げる余地を残すまではいいとして、その状態の電圧が最大出力のときの半分以下である根拠がどこにあるか」という疑問が生じる。感覚的な話で恐縮だが、電圧振幅が半分のとき信号のパワーをdBに換算すると6dBで、音の6dBの差は「音量の違いが分かる程度」の差しかない。実際どの程度違うか感じてもらうために動画を用意した。
この動画では、DAWのデフォルト設定から音量を6dB下げたトラックと元の状態のままのトラックを順に流している。アンプのボリュームが最大の時の音量からこの動画程度の差だけ音量を小さくしていれば、スピーカーの振幅が許容値を超えることはない。
電子回路の観点ではないが、オクターバーの存在も一つの傍証になりうる。オクターバーはモデルによってはギターの元音より2オクターブ低い音を出すこともできるが、オクターバーを使うためにギターをベースアンプに繋げるという事例は聞いたことがない。このことからも「アンプを普通に使っている分には」低音を鳴らすことが致命的な問題はなりえないことが窺える。
3. まとめ
「ギターアンプにベースを繋げると壊れる」という説は「ベースはギターより出力が強い」「音域が低いため低周波がスピーカーの負担になる」の2点を根拠としているが、
ギターアンプもベースアンプもプリアンプの入力部の許容信号に大きい差はなく
プリアンプが飽和するためパワーアンプに大きい電圧がかかることもなく
アンプを最大音量で鳴らさない限りスピーカーの振幅の許容範囲であり
オクターバーで低音を鳴らすことがある
ことから、アンプが壊れる可能性は低いものと思われる。にも拘らず「壊れる」とされているのは、わざわざギターアンプでベースを演奏する必要性がないことと、「安全であることを証明する方法はない」ことに起因しているのではないかと考えている。
4. 裏話
この記事を書くにあたって、最初はギターとベースの出力信号の振幅を調べて根拠として使う予定だった。しかし、この測定データでは「パッシブベースはギターアンプに繋げても問題ない」までは主張できるもののアクティブベースを繋げた場合は不明のままであり、そこからプリアンプの許容入力を調べるというアイデアが思いついたため没となった。とはいえせっかく測定したデータなため、ここにアップロードする
a. 機材紹介
測定に使用した機材は以下の通りである
オシロスコープ:FNIRSI DSO152、200kHz帯域
ケーブル:シールドケーブルを切断して自作
ギター1:Bacchus BST-1M 2TS。ただし、リアピックアップのみFLEOR Alnicoというシングルサイズハムバッカーに改造している。
ベース:ARIAPROII IGB-STD
ギター2:Jackson X Series Dinky™ DK2X HT、アクティブPU
b. 測定結果
以下の6通りの状況でオシロスコープの画面を動画撮影した。
ギター1の全弦をピックで鳴らしてフロントPU(シングル)から出力
ギター1の全弦をピックで鳴らしてリアPU(シングルサイズハムバッカー)から出力
ベースの全弦をピックで鳴らしてリアPU(ジャズベ風)から出力
ベースの全弦をピックで鳴らしてフロントPU(プレベ風)から出力
ベースの1弦と4弦を無作為にプリングしてフロントPU(プレシジョン風)から出力
ギター2の全弦をピックで鳴らしてフロントPU(アクティブハムバッカー)から出力
撮影した動画をコマ送りしながら出力のVppがどこまで高くなるかを確認した結果を以下にまとめる。
b-1. ギター1
ギターのパッシブPUからの出力は全弦を鳴らしてもほぼVppが1V未満であるが、瞬間的にはフロントでは1.28V、リアでは1.67Vの信号が確認された。dBuに換算するとそれぞれ-4.7dBu、-2.4dBuになる。
b-2. ベース
ベースは、ピック弾きではおよそ1.数V程度のVppが出力され、瞬間的にはリアでは1.24V、フロントでは2.13Vの信号が確認できた。また、プリングをすることでさらに高い3.91Vが出力された。dBuに換算するとそれぞれ-4.9dBu、-0.25dBu、5.0dBuになる。
b-3. ギター2
ギター2はVppが3~4Vの信号を出し続け、最大では5.67Vの信号を出力した。dBuに換算すると8.3dBuになる。
c. 結果の分析
パッシブ同士の比較では、ベースの出力がギターより高かった
ベースをスラップで演奏するときはピック弾きより2倍近く強い信号が出力される
アクティブギターはベースのスラップよりさらに強い信号を出力する
ギターアンプにベースを繋げる問題で言われている「ベースの信号はギターより強い」「スラップ奏法で瞬間的に高い電圧が出力される」は傾向として正しいということが測定結果から判明した。しかしアクティブPUのギターの出力はベースをプリングしているとき以上の電圧を出しており、アクティブギターの出力に耐えられるアンプがパッシブベースで壊れるとは考えにくい。
4. FAQ
Q:回路図を調べた例がギターとベースで2個ずつ、しかもベースは同じメーカーの製品では早すぎる一般化では?
A:いい着眼点ですね。ぜひ他の製品も調べて私に知らせてくださいQ:ヘッドホンアンプや1W程度のミニアンプならボリュームを最大にすることも珍しくない
A:そこまで出力が小さいとスピーカーの許容入力がアンプ出力を大幅に上回っているのではQ:ネットにはベースを繋げて壊れたって人がいる
A:ネットにはベースを繋げて壊れなかったって人もいます。両方の事例がある以上「運が悪いと壊れることもある」のか「運がよければ壊れないこともある」のか判断できませんQ:そこまでしてギターアンプにベース繋げたいんですか
A:したいかしたくないかの問題ではなく、言われていることが正しいか正しくないかが問題ですQ:オシロスコープにPeak detectもないし録画を目視確認してるだけだし、瞬間的なピーク電圧を取り逃しているのでは
A:いい指摘ですね。高性能なオシロスコープをプレゼントしていただけたら再測定してみますQ:安全だと言い切れないなら繋げないに越したことはないのでは
A:その通りです。この記事はギターアンプにベースを繋げるのを推奨しているわけではありません。単に巷で言われていることが信憑性に欠けるといいたいだけです