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介護は続くどこまで パートⅡ

 前回、義母の介護について投稿したところ、具体的な困ったことと、そのときどう対応したかについて知りたいと言われたので、今回は、そのことに絞って書いてみる。

 「服を探しにいきたい、前にどこかのトイレに置いてきたから。」とありもしないことを言って出掛けようとする。夜、鍵を開けて出ようとする。姿が見えないので捜しまわると、かなりの段差のある所にいたりする。こうして、家に一人で置いておけないことが増えていった。
 そこで、買い物に行くときは、一緒に自動車に乗せて出掛けるようにした。
 店に着くと、わたしは、義母を車に残し、駆け足で買い物を済ませなければならなかった。待っていたごほうびにお菓子1袋を渡すと幼子のようにとても喜んだ。
 認知症が進むにつれて車内に一人残しておくのが心配になり、カートにつかまらせ、一緒に店内を回った。今度は、時間のかかる買い物に変わった。
 
 私が外で作業するときは、CDをかけた。歌の好きな義母はCDに合わせて歌を歌っていた。これは、始めのうちはとても効果的であった。わたしは1時間集中して外で作業をすることができた。

 義母は、とても小柄で痩せ形であったのに、認知症を発症してからお腹回りだけがどんどん大きくなり、今までのズボンが入らなくなった。仕方がないので、LLのものをたくさん購入し、裾をかなり切って縫い直した。

 ズボンが楽に履けるようになったら、次に出てきたのはティッシュ問題だった。義母はポケットにティッシュを1枚ずつ入れ始めた。出しても出してもダメだったので、部屋のティッシュケースを片付けた。そしたら、今度はトイレットペーパーをちぎって入れた。毎日毎日この繰り返しが続く。デイサービスのトイレからもちぎってきた。
 見つけられずに洗濯した日は悲惨だった。わたしは、ポケットを縫うことにした。何着も並べておいて、片っ端から縫っていった。ポケットに入れられなくなった義母は、パンツのゴムやシャツの間に、トイレからちぎったペーパーを入れた。いたちごっこのような状況が続く。
 
 しばらくすると、用を足して使用したトイレットペーパーを流さずに、トイレのあちこちに置いたり、テーブルの上に持ってきたりするようになる。
 これらも義母にとっては何かの意味があってしたことだろうけれど、家族としては困った。
 
 私たちは長期間、義母の衣類への執着に悩まされた。
 一日に何十回となく引き出しを開け閉めし、衣類をあちらこちらに入れ直す、最後には仕舞えなくなる。そして、これが次第にエスカレートしていった。
 ベッドの上にたくさんの衣類を並べ、色々なものを着たり脱いだりした。上着の袖に足を通してみたり、肌着を着ずに上着を着たり、ズボンの上にパンツを履いたりと、ビックリするようなことばかりだった。 朝に着替えた日常着を脱いで、パジャマに着替えて外で草取りを始めたりもした。

 どうにかしなければと考え、まず、義母のタンスの引き出しに中身の表示した。そして、遊び感覚で義母といっしょに出し入れをしてみる。最初は多少成功したように思えた。しかし、それは短期間で終わった。
 そこで、タンスの中の衣類を少しずつ別の場所に移動することにした。衣類が少なくなったことに気づいた義母は、どこに隠しても、数日後には探し出し、もとのところに運んであった。
 義母はほとんど2階に上がらないので、夫が「2階ならいいだろう」と2階に運んだ。しかし、見事に見つけられた。我が家の階段は急なので、義母が落ちたら困るからと、上れないように柵を設置した。それでもそれを見事にすり抜けて2階から衣類を運んだ。
 次に、タンスの引き出しに長い棒を差しこみ、引き出せないようにした。これはかなり効果はあった。そこで、義母が通所している間に、衣類をすべて出してタンスを空っぽにし、衣類はすべて別の場所に移動した。そして、また、棒を差しておいた。義母は中に衣類が入っていると思い込んで、落ち着いてきた。
 
 骨折してからのトイレ問題は、部屋のあちこちに排尿してしまうことから始まった。義母は、排尿後、突然、正気に戻るらしく、後始末のために新しい紙パンツをちぎって拭いた。そのままなら水分を吸って問題ない紙パンツだが、ちぎってしまうと、その片付けは途方にくれるものとなる。
 あるときは、汚れた紙パンツを水道のところに運んで洗った。水をどんどん吸って、義母の力では持ち上げられないくらいになる。

 夜中にもベッドの上で排尿する。紙パンツを下ろして排尿し、また紙パンツを履く。レンタルした介護ベッドのマットに尿が染み、床にも落ちる。
 翌朝、介護用品の会社に連絡して、マットの交換を依頼しなければならない。

 「そうだ、パジャマのズボンを脱げないようにすればいいかも」とパジャマの上下を縫い合わせ、自力で外せないようにしてみた。これは大成功に見えた。
 ところが、2週間もすると、義母は体をあちこちずらしながらバジャマを脱ぎ、排尿できるようなった。「パジャマ上下つなぎ作戦」は失敗に終わった。
 ついに、最後の手段、市販の介護用パジャマの登場となる。これはあちこちにファスーがついていて、首のところのファスナーはホックで止めてあり、これが介護者にしか外せないしろものだ。これで、とりあえず、就寝中の排尿は解決した。

 しかし、昼間は別問題だった。
 ソファーに座っていて排尿することもある。これも紙パンツを下ろしての排尿。重くなったソファーは一人では運べない。そして、一日では乾かない。
 疲労困憊したわたしは、義母の部屋に小さなカメラを取り付た。物音がしたら、画面で確認できるようになり、大騒動は、半減した。

 大便は、朝食後、主に夫が付きっきりで面倒をみる。不思議だが、自分でトイレに行くときは問題なくできるのに、人がついていくと、ズボンやパンツを下ろしたり、便器に座ることが指示なしにはできない。私が朝食の片付けや洗濯を干している間、夫は根気強く義母が排便を終えるのを待つ。もちろんおしりの洗浄や乾燥は自力でできないため、夫が操作する。
 何年もの間、大便は毎朝出すことができたのだが、最近は、排便状態が安定せず、施設の看護師さん の手を借りることがある。
 最初のころは貨幣状湿疹が足にたくさんできて、治療を続けた。そのうちに、老人特有の皮膚のかゆみも加わり、義母は掻きまくるようになる。掻くと悪化し、また掻くの繰り返しで、両手両足だけでなく、鼠径部や乳房下、背中などに広がり、薬を塗るだけでもかなりの時間が必要になる。苦労して塗っても、義母はそれを擦ってとってしまう。そして、血が出るまで掻く。かさぶたができるとそれが痒くてまた掻く。血が出る。
 あるとき、トイレの掃除ブラシがテーブルの上にあるのを発見した。義母が痒いところを掻こうとトイレから持ってきたことがわかる。義母の部屋にある危険なものは、全て撤去したと思っていたが、トイレのブラシまでは気づかなかった。

 ある日、デイサービスの方がピンクの可愛らしい手甲を作って両腕にはめてくれた。すると、それをはめている昼間は不思議と腕だけは掻かなくなった。私が思い付かないアイデアだった。
 ケアマネージャーさんが「施設から出ていこうとする利用者さんのために施設の中にバスストップを立てたら、そこから先に出なくなった」と教えてもらったことがある。この手甲のアイデアもその一つだろう。
 
 最近、衣服や布団やテーブルなど、ちょっと気になるところがあると、ずっと引っ張ったり、つついたりするようになった。
 新品のこたつ布団は、義母が座るところだけ繊維を引っ張って無惨な状態になっていて、もはや修理のしようがない。
 さらに、こたつ布団の裾を綴じた糸は、全て抜き取られた。取り敢えず、バイアステープの幅広いものを使って裾を一周縫い固めた。
 編み込んであるベストも気になった毛糸をひっぱり、気づいた介護員さんがストップをかけてくれたが、後の祭りということも。
 テーブルのキズを見つけて、最後には穴を開けてしまう人もいるらしい。
 これは認知症の人に現れる症状らしい。あるとき、夫が、これを無理に止めようとしたことがある。義母は、おしゃぶりを無理矢理取り上げられた赤ちゃんのように、怒り狂った。その後、無理にストップをかけることはやめた。
 
 こうして書いていると、ただ義母に振り回され右往左往している夫婦の姿が浮かんでくる。介護される人もする人も、穏やかに過ごせる手立ては、なかなか難しい。
 
 質問をくださった方の要望に応えられたかどうかわかりませんが、断片的に書いてみました。



                






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