会社員を辞める決意をした経緯
会社を辞めてちょうど一年なので、節目として経緯を書いてみようかと思う。
私は二十歳の頃からDTPデザインをやっていて、2007年からは地元ではかなり大きい会社へ転職。そこから15年勤めていた。中途入社当時は小さい紙のデザインから始まり、2年目の頃から映像制作チームに異動した。
そのチームは、大阪でCM制作の修行したリーダーがみんなに「映像とはなんぞや」ということを1から教えるような状態で、触ったことのないソフトを教えてもらいつつ制作をする状態だった。
ちょうどその頃わたしは結婚、しばらくして妊娠。産休育休制度があったのでもちろん利用させてもらって時短勤務で復帰。そんな状態なのであまり制作の頭数に入れてもらえていないような雰囲気を感じつつ、自分のできることをなんとか頑張ってこなして時間になったらそそくさと帰宅する日々だった。
次男を妊娠中は切迫早産と言われて22週から休職したので、チームのみんなにはかなり迷惑をかけた。
復帰してからチームの状況がガラリと変わり、わたしも戦力となって制作業務をかなりやっていたと思う。
やっぱり時短だったので自分の中で最速の制作スピードで数をこなした。当時の係長に「制作スピードは目を見張るものがある」と言ってもらった。
でも、毎月同じクライアントの毎月同じようなイベントの制作。変わり映えのない業務に正直飽き飽きしていた。オットは結婚を機に独立して起業していたので、大変そうだけど楽しそうに仕事をしている。オットを見習って、いろんな提案をしてみては撃沈。営業チームとは人間関係で悩んでいたのでモチベーションが上がるはずがない。
時短だから中途だから役職にも就くこともできず、もちろん給料も上がるはずがない。
入社10年が過ぎた頃に一大決意。直の上長の課長に退職の意思を伝えた。すると「辞めないでほしい、今会社が在宅勤務者を募っているからそれで働くのはどうか?」と打診してくれた。
それならまぁいいか。煩わしい人間関係の悩みも軽減するだろう。。と在宅勤務でなら続けることにOKを伝えた(ほんまはもうふた悶着くらいあったけど書くのはやめておく)。
そこから在宅勤務になり、1年過ぎる頃にコロナで緊急事態宣言が出た。すでに引きこもっていたわたしは、チームのみんなのように急に在宅ワークへ切り替えるバタバタやどんどん閉塞されていくような不安感を感じることもなく日常の延長でコロナ禍に入れた。これに関しては会社に感謝している。
ちょうどそのコロナ禍に入った頃(だったと思う)YOKO.TのYouTubeを見つけた。そこから少し経過してモーション美ボディマスターコースに入ることになる。
この経緯はまた別の機会に詳しく書くけど「ふわふわ倒立」という名前の不思議な倒立をしている動画でかなりインパクトがあった。気になる人は検索してみて欲しい。
スクールに入って月に1度大阪に通うようになり、会社で感じる違和感がどうしても拭えなくなってきた。
スクールの場では全員がみんなのことを尊敬している雰囲気で、ずっとワクワクにこにこしていて誰も愚痴っていない。そこにいるだけですごい浄化されたような気持ちになる。
それに比べて会社では…任される仕事は私でなくてもできる。むしろ個を無くせと指導され、私が私でなくなるような感覚になる。薄利多売で、まぁそれはそういうビジネスなんだからある意味割り切れば楽になったんだろうけどどんどんモチベーションが下がりまくる。会社の誰ともリアルでは会わないのに疲弊する。声を聞くだけで気分が悪くなる。
もう、辛いな。いつまでこれを続けなきゃいけないんだろう。。と思っていた。
骨格ベクトレのモニター募集はスクールに入ってすぐ募集をかけていた。数人が通ってくださっていて、セッションは楽しくて本当に楽しくて。毎回あっという間に過ぎる。
この仕事を本業にできたら…と思うけど、やっていけるか不安で仕方なかった。
チームの中で唯一信頼していた後輩が退職すると報告をくれて、この機を逃すとまた辞めさせてもらえなくなる!と思い、今度は直の上司ではなく飛び越えて部長に退職の願いを出した。
後輩の存在もだけど、ONE OK ROCKのTakaのこの言葉も私の背中を押してくれた。
ONE OK ROCK 2017 “Ambitions” JAPAN TOURのLIVEのWe areの間奏でのMC
『他の誰かになりたいとかそんなくだらねぇ事絶対に思うなよ、お前らはお前ら自身でしかないからな、誰かのせいにして自分の夢から逃げるな。
自分をよく見ろ、不安を飼い慣らせ。
いいか、お前らに出来ることは沢山ある。でも自分の胸に手を当ててよく考えてみろ。一番したいことがなんなのか、それがきっと明日から皆には出来るはずです!』
不安だ不安だって言って今の会社にしがみつくこと、これって自分で自分の人生の責任を取りたくないって言ってるようなもんで、5年後10年後本当に後悔しないのか?と自分に問いただした結果、私は会社員を辞めた。
今はこの骨格メソッドを私の相棒として生きていく。
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