ただアメリカに行ってたヤツから学んだこと
SNSの功罪
音信不通の友達だった二階堂克也がSNSで繋がった時にアメリカに住んでいたことに驚いた。
どうりで見ないはずだ。ヤツは英語を勉強するような努力家でもなく、言ってしまえばグータラなタイプだった。それが今ではヤシの木が似合う男になっている。カジノで負けた話やシネマスターとツーショットなどSNSの中味はリア充どころではない。
これが貧富の差か?それともこれが追い風に乗るということなのか?大学を卒業して10年、なんの風も吹いていない自分との差は広がるばかりである。
救いはお互い結婚していないことだったが、アメリカの初婚の年齢が高いのに対して、青年というより中年に見た感じが近いオレのほうがチャンスの量と質においてもやっぱり不利な感じだ。
古民家風喫茶店
そんな二階堂が日本に一週間ほど帰国するという。久しぶりだから会おうということになった。
インターネットで旨いコーヒーの店を探して最も口コミが熱い市内最高評価の店で待ち合わせることにした。
アメリカでコーヒーを頼むと量が多くて不味い場合が多く、どうせなら旨いコーヒーを頼むと言われていたからである。
当日は休日だったせいか流行りの店は文字通り流行っていた。先に着いたオレはお勧めのコーヒーを頼み二階堂が来るのを待っていた。しかし……来ん!
約束を30分も押してやって来たときにはカップに残ったコーヒーが乾きはじめていた。
「お勧めのコーヒーを二つ」
二階堂は椅子に座る前に注文を出して悪い悪いと笑った。
「古民家風ってなんかノスタルジックだよな。アメリカにはこういうのは無いからアメリカでこんな店やってみるかな」
それからは何故アメリカに渡ったのか?仕事の話しや、強盗に会った話しで盛り上がった。ここでは二階堂のアメリカンライフは特に意味がないので割愛したいと思う。話のポイントはここから始まる出来事なのだ。
「あのーすいません」
ふとテーブルに黒いエプロンをつけた店員が来て言った。
「店内が混み合ってきました。お客様はもう二時間近くおられるので、お席をあちらのお待ちになっている方に譲っていただけないでしょうか?」
物腰柔らかに言うが、つまり意訳すると早く帰れ!と言っているようだ。
まあ……そう言われれば、オレも約束の30分前に来ていたわけだし、二階堂は遅く来たから一時間くらいはなんだかんだで潰していたなと思った。
なんでそうなるの?
二階堂は納得がいかないようだ。
「なあ、普通よ『すいません満席です』って帰すよな?なんでオレたちが帰んなきゃいけないんだ?おかしいだろ?」
まあ……確かに。
「いいよ。出ようぜ。別にここでなくたって話しはできるし」
二階堂がそう言うならオレは別にいいと思い伝票を取ろうとしたら素早く二階堂にひったくられた。
「大丈夫、大丈夫オレが払うからお前は次のとこ払ってくれ」
二階堂がそう言うならと手を引っ込めた。
席を立って会計まで行くと二階堂が
「いやー、すいませんね長居しちゃって」と言って
千円札を二枚出して「お釣りはいいんで」と店員に言った。
「いやーいいですよ、こちらも無理言いましたし」
「いやいや、まっ取っといてください」
というラリーをニ三回したあとに無事にお金はお店側に落ち着いた。
ありがとうございました。と言う声を背に店を出てきたときに二階堂が拳を握ってガッツポーズをした。
「勝った!」
えっ?今までのは戦いだったのか?
どうしてこのやり取りで勝ち負けがつくんだ?
「なあ、どうして『勝った』なんだ?」
「勝ったから勝ったんだよ」と理由を言ってくれない。
このことは新鮮な驚きだった。今もって二階堂がなぜ勝ったと言ったか分からないままだが、オレはお金の使い方を教えられた気がした。
新習慣
彼が帰ったあと、オレはチップを渡すという習慣を持とうと決心した。
日本は内引き防止のレジなので現金を渡すことはできないが、50円くらいの缶ジュースやお菓子を渡すことはできる。
「これ仕事引けたら飲んでください」とレジのおばさんとかに渡すのだ。
すると、「いやいや大丈夫ですから」とか言われるが「まあまあ」と言うともらってくれる。
それでわかったことは、人に声を掛ける時に勇気を振るわなければならないこと、何をあげても喜ばれるわけではない、渡し方の難しさがあるとかだ。
その中でも最も発見だったのが「ありがとうございました」の声には明らかに好感度が込められていることがわかった。
近所の流行りのスーパーに買い物に行くと、レジの列に並んで会計が終わるまで下手をすると20分程かかる時がある。レジを打つ人からすればいつ終わるともしれない作業だ。「やっとついた」とか「おせーよ」のように客はよくも待たせたなという顔をしてレジに来る。そんな中にたった50円の清涼飲料水だが、50円以上の清涼感があるのだ。最後に「仕事頑張って下さい」という一言も忘れない。
お互いが幸せな気分になるためのコストが50円なら価値はある。
コンビニでも募金箱があると必ず1円でも10円でも入れることにしている。お金が世の中のために使われることも大事だが、好感度を買うと思って入れている。どうせ家に帰って小銭を貯金箱に入れたとしても、いつの間にか大金になる程度だがそれを全部だれかにあげればものすごい好感度が買えるということに気がついた。自己肯定感もグングン上がっていくし、どの店に行っても高待遇を受けられるようになった。人は何かしてもらったら何かして返さなきゃと思うからだ。
海外旅行の帰りの飛行機で機内食を片付けにきたCAにチップを渡したときは英語が通じなくて機内販売だと思われていろいろカタログを持ってこられて大変だった。やっと英語で「もうつかわないからどうぞ」と現地通貨を渡した。驚いた表情のCAは「Thank you very much」と感情のこもった声で言ってくれた。飛行機から下りるときも、いつもはランダムにお礼をしているCAも目を見てお礼をしてくれた。
すごく混んでいる銭湯でじいさんの背中を流してあげたことがある。じいさんが「あとで代わってあげるから」と言った。「じいさん。じゃ横になって隣の人の背中を流して上げてよ」するとじいさんが隣の人の腕をツンツンと突き「まわってきたよ」と言った。隣の人は理解したように、またさらに隣の人に「流しましょう」と言って6人の背中流し列車ができたこともあった。笑って銭湯を出たときは誰ともなしに「また流してやるからな」と言っていた。
勝ったの意味
今までやって来て、勝った!というより、やった!という感じかもしれない。コミュニケーションが大事ですよという社会で暮らす割に孤独だと実感することがある。電車で触れ合う人がどんな人か知らない。もしかしたら一生の友になる人が乗ってるかもしれない。そう思うと出合いのチャンスを失っているのかもしれない。コミュニケーションが大事なのはわかる。でももっと大事なのは最初の一歩なのだ。その一歩のことを勝利の一歩と名付けている。