アンナ・カレーニナ 感想 演出◎原作再現力・キャスティング×
Amazon primeで「残り4日」ってなってたので急遽昨日見ました(笑)
評価数がすごい多いので有名作なのかなー?と思いまして。
感想は演出がすごく面白い!(舞台風)
話は原作(名作小説)があるようなのですが、その再現ができていないように思ったので残念、といったところ。あとキャスティングがミスマッチでは?と思いましたね。(海外映画では珍しく)
あらすじ
昔のロシアの貴族階級(?)のお話。
政治家の貞淑な妻は、一児の息子を持つ美しい母。結婚は愛がない。舞踏会で知り合った青年と恋に落ち不倫。子供を身ごもる。愛しているからすべて許されるんだと開き直って堂々と不倫もし子供も産むが、最後は不倫相手の愛すら疑い、自殺する。旦那は高名な政治家だが体裁を気にして別れない……。
この不倫相手が美しい主人公に一目ぼれしてアプローチするんですが、序盤の描写で汽車の事故で作業員が敷かれる描写があります。貴族であった不倫相手は主人公にアピールするためにその作業員に慰めのお金を渡します。←この描写、結構唐突なのですがかなり印象に残るように描かれていて、最後汽車に敷かれて死ぬ(自殺する)主人公の流れの伏線になっています。
感想
①キャスティング微妙では…?と思った話
主人公の美しい妻を演じるのはキーラ・ナイトレイ。まあ歩く芸術みたいな人ですよね。
演出がおしゃれなので彼女の登場シーンは「ん?この人が主人公でいいのかな?」というような短めのカットから入るんですが、明らかに美しさがほかの主要女優さんと比べレベチ。彼女は脇役になれない女優さんですね、いい意味で。
そして旦那も堅そうな政治家でジュード・ロウというかなりのキャスティング。旦那はひげのおっさん、みたいに描こうとしているし、ジェード・ロウなの!?ってくらいイケてないんですが、やっぱり外国語映画でもにじみ出るイケメン度なのか演技力なのか……見ている側として、”つまらない”という設定であろう夫の方に目が行くんレベルなんですよね。見た目もぼさっとしているのに、なぜか魅力を感じてしまう。
しかし、この映画の内容的に一番魅力的に感じるべきなのは不倫相手であるアーロン・テイラー=ジョンソンなんです……。ただこのひとねぇ……。演技が下手なのか何なのかわかんないけど、前述の二人ほどの魅力がないんですよ。だから、主人公アンナという圧倒的美女がなぜこんなやつに惚れるんだ……?という説得力がない。
こういうラブロマンスものは圧倒的に主人公カップルに魅力がないと成り立たない。
キャスティングって重要だなーと思ったわけです。
多分顔とかじゃなくてオーラとか演技力の面でね。
つまり日本の映画(キャスト重視というかキャストのプロモーション動画と化している)も完璧な間違いをしているわけではないってことだね。私も邦画ディスの姿勢を改める必要がありますねぇ。ええ、皮肉ではないですよ。
②劇(舞台)を見ているような演出が面白い、センス抜群
まるで舞台を見ているような不思議な演出の映画です。
この映画の真骨頂でしょう。
正直子の演出がなければ途中から見る価値ないんじゃないかってレベルですね(ただの不倫で狂う女の話なんで)
こういうシャレオツな演出って失敗しやすくて、物語がわかりにくくなったり、突拍子がなさ過ぎてハマっていなかったり……ってなりやすいんですが、不自然じゃないくらいに絶妙に入れてくるんですよね。
これは演出・監督の実力かなぁと思わずにはいられないですね。
そして舞台女優も顔負けの美しい主人公アンナですから。どこの1カットを切り抜いても絵画レベルの完成度ですね。
物語の進行を邪魔しない演出。この映画の評価すべき点だと思います。
ちなみに、ミュージカルではないですが、”っぽい”演出ですね。
私はこのような演出を映画で初めて見たので、かなり新しい試みなのでないでしょうか?
その点も、評価できると思います。
③物語的には原作小説のすばらしさを再現できていない
この映画、ただの不倫物語、ではないようです。
正直演出に踊らされて最後まで見たものの、「うーん???」っていうのが鑑賞後の感想です。なんかよくわからないんですね。
愛に翻弄される不倫女の話、しかも愛する息子がいるにもかかわらず、なぜあんな男に惚れたのか全然説明不足のラブロマンス。
「いやいや、一目ぼれだろ、愛とはそういうもんだ!説明つかないんだぜ!」と言われれば現実はそういうこともあるのかもしれないけど、これは作品なわけで。一目ぼれにしろ何かしらの理由は必要なのではないかと思ってしまいますよね。
もともと一目ぼれしたのは前提で、もう一押し理由付けが欲しい。例えば、冒頭の汽車の事故で亡くなった作業員にお金を渡す彼を見て、主人公の親族には同様に事故で亡くなった人がいて、その優しさにも感化されて不倫に至った……とかね。簡単じゃないですか、こんなの。
まぁなんであんな男に……っていうのは①で話したキャスティング面が大きそうな感じは……するんだけども……(647の好みの俳優じゃなかっただけ説)
そしてメッセージ性、という意味でもただのラブロマンスならばなくてもいいわけですよ。しかしWikiを調べてみればこの作品の原作小説は名作とのことではないですか。なにー!?と思いましたね。
一言でいうと完璧な原作殺しですよ。これは。原作ファンは怒鳴り込んでいいレベル。
「帝政ロシアの作家レフ・トルストイの長編小説。『戦争と平和』と並ぶ作者の代表作であり、現代に至るまで極めて高い評価を受けている」とのこと。(引用:「アンナ・カレーニナ」Wikipedia)
うーん?はて、どの辺が?
Wikiを読み進めると以下。
なーーーーーーーーーるほどおおおお!!!
Wiki書いた人絶対頭いいだろ天才!!!映画しか見ていないのに、理解みがすげええ!!!
私が知りたかったことがこの数行のセンテンスにすべて凝縮されているんだがしかし!これは嫉妬レベルの要約力ですね!
特に太字に示した部分ですね。
なるほど原作小説でこの部分が表現されているのであれば間違いなく名作。
つまり人間の真理は愛にあるのですが、その愛に素直に従うことが社会的に許されないことって昔から多々ありだからラブロマンス作品が世にはたくさんあるわけです。駆け落ちだとか身分違いの愛だとかそれこそ不倫だとか。
しかしそれを社会悪と同等に語ろうとしているわけだ。
社会とは都会にあって田舎にはないと私は思います。
社会システムっていうのは感情のない、いわば「建前」「システム」。だからお金(資本主義)がものをいうのです。
しかしお金がなくても暮らしていけるほど田舎は「感情」で動くことがある。
そして感情の真骨頂が愛。
作品などでも語られるのが「何をもって幸せであるか」という定義ですが、そこに愛を持ってくるかお金を持ってくるかで180℃表現が変わるんですよね。私は正解がないと思いますが、「愛が正解だ」と定説されつつあるのは、きっと愛の希少だからだと思います。成功者である大作を作る都会人には、レアなものだからですよ。
さてこの作品の話に戻ると、映画では全くうまく再現できていませんが、都会の社会に歯向かって完全に悪者扱いされて汚い不倫女となってしまったアンナが本当に悪いのか?社会が生んだ不幸な被害者なのではないか?
人間の社会システムって本当にこれが正解かな?とまで問うているとは私は思うわけです。
でもね作者に言いたいね。
私も社会システムが正解だとは思わない。相手が聡明なあなたならば。
けど人間結局バカばかりなので、こうやって統制していくしか、生き残る道はないのです。
昔、社会システムを作った頭のいい人だったきっと考えたはず。
「犠牲者もいないが、残存者も少ない」か「犠牲者はいるが、残存者は多い(大多数は助かる)」か。
そして後者が選ばれてきた人間の歴史の結果が、この不合理な社会なんですよってね。
小説家はピュアであるべきだから、この作者は小説家として正しいし、書かれた小説はきっと大作なのでしょうね。
映画はこのあたりの再現力は0なので期待せずみなさんWiki読みましょう(笑)