バッチリな彼女
(うわっ、すんごい女優眉!)
これが、彼女の第一印象。やや面長の顔にアイメイクバッチリの瞳。
くるんとはね上がった長いまつ毛(鉛筆がのりそう?)の上には、感心するほど見事な弓なりの眉。
マスクで下半分は見えないが、茶髪のロングヘアといい、ピンクのマニキュアを塗った指先といい、およそそぐわぬ気がした――老人介護施設には。
5年前、おばが脳梗塞で倒れた。ひとり暮らしの89歳。
食欲・好奇心ともに旺盛で、料理も掃除もすべてこなし、すこぶる陽気で
口も達者な〈スーパー健康優良婆〉。
それが3か月の入院生活で、みるみる衰弱した。
「おばちゃん、何か食べたかものはなかね?」
耳元で話しかけても、
「なか……」
目も開けず、弱々しく答えるだけ。
脳梗塞は軽度だったが肺炎にかかり、その後は院内インフルエンザの流行で2か月近くも面会禁止に。
解除された頃にはほぼ寝たきりとなり、点滴でながらえている状況だった。
そのため、退院後は隣接する老健施設へ移ることに。
そこにいたのが、冒頭の彼女だ。
「はじめまして、担当になったHです!」
20代半ばくらいだろうか。ややハスキーがかった声で元気よく挨拶された。嫌がうえでも、バッチリメイクに目が釘付けになる。
「どうぞ、おばをよろしくお願いいたします」
母と頭を下げたものの、どうも私の中で《介護職員=バッチリメイク》が結びつかない。できたらもう少し年配で、普通メイクの人が好ましい気もしたが・・・・・・厳しい介護の現場。多少派手な見た目でも、若い人にお世話してもらえるだけで有難いと思おう。
そう、自分に言い聞かせた。
それからひと月が経った土曜日。
数日おきに通っていたが、隣市の老健施設まで車で1時間。
夕方退社後に向かうためHさんと入れ違いになることが多く、その仕事ぶりを見る機会がなかった。
個室をのぞくと、おばはいつものように静かに眠っていた。
やせ細った体を芋虫のように丸めて――。
「おばちゃん、具合はどうね・・・・・・」
耳元でささやき、ふと気がついた。ベッドの反対側の壁にオレンジ色の模造紙が貼ってある。
その上には10枚ほどの写真が――
(あっ!)
写っていたのは、長年おばが暮らした隣町の風景。
凪いだ海、漁港、段々畑、役場、公民館、自宅近所のスーパー。
バス停や『じゃがいもの里へようこそ!』の立て看板まである。
すべて可愛らしい丸文字のキャプションつきで――。
廊下を通りかかった男性スタッフへたずねると、
「ああ、この前Hさんが撮影してきたとですよ。なつかしか景色ば見たら、少しは元気の出らすかもって」
「そうですか・・・・・・」
じんわりと胸が熱くなった。
小さな田舎町とはいえ、これだけの枚数を撮影するにはかなりの時間と手間がかかったはず。あの彼女が・・・・・・。
後日本人へ礼を伝えると「ゼンゼン大したことしとらんですよ!」と赤面された。両手とくくった髪をブンブンふり、整った弓なり眉をぐんにゃり歪めて――。
Hさんの優しさが通じたのか、それからしばらくしておばが奇跡的に回復。
車イスで動けるまでになった。
おまけにHさんのバッチリメイクに触発されたのか、
「新しか化粧水ば買ってきてくれんね」
「もちっと明るか色のスカーフがタンスに入っとたろ」
と、見舞う度にリクエスト。
たまに早い時間に行くと、個室からにぎやかな笑い声が聞こえ
「あんたはべっぴんねえ。彼氏はおると?」
「えへへ、ヒミツ~。あ、もうすぐリハビリの時間ばい。頑張ってよ」
「あいよ。はよ元気になって、あン写真の場所に帰らんばけんね」
「そうそう~」
と、祖母と孫娘のようなほほえましい会話も。
写真とHさんのおかげで生きる気力を取り戻したおばは、よく食べよく眠りリハビリにも精を出し――申し込んでいた終末期ケアも取り消された。
「こんなこと、めったにないんですがねぇ」
ゾンビのような回復ぶりに目を丸くする医者。見舞いにきたいとこたちも
「恐るべしおばちゃん」と呆気にとられていた。
が、皮肉なことに、回復したがゆえに老健施設を出る羽目に――。
退所の朝、泣きながら別れを交わしたおばとHさん。バッチリメイクの目をうるませた彼女は、大きく手をふり、おばの乗った車を見送ってくれた。
昨年末、そのおばが94歳で死去。
近所の施設へ移り、コロナ禍で余生を送った。
ここでもスタッフによくしてもらったが――おばにとってのナンバーワンは、やはりHさん。
新しい施設でも壁に写真を貼り、日々眺めていたようだ。
それらの写真は、葬儀の朝おばの棺へ――。
Hさん
いまも老健施設で頑張っておられますか?
あなたが与えてくれたおばへの優しさ、忘れません。
心からありがとう。
これからも介護のエキスパートとして、いい仕事をなさってくださいね。
その素敵な〈バッチリメイク〉で――。