【実践編】パルクール風跳び箱運動
「小学校の体育といえば?」と聞かれたら、おそらく最も多くの回答としてあがるのが「跳び箱運動」だろう。それには2つの理由があると思う。まず、記憶に残るということは、その体験に強い感情を伴っていることが多いことを示唆している。楽しかったこともつらかったことも、それが”思い出”として残るときには強い感情で色づけられている。ただし、それが必ずしも「ポジティブな感情」とは限らない。従来の跳び箱運動は、跳べる子にとっては特に楽しい運動である一方で、体育で最も事故発生件数の多い種目であり、苦手な子にとっては逃げ場のないような心境で恐怖心と格闘する経験だけが積み重なることもある。今も昔も体育での跳び箱運動を通して、多くの子供たちにぽじてぃb強い感情が喚起されていることは間違いないだろう。
もう一つの理由として考えられるのは、跳び箱運動という場面の特殊性である。サッカー、バスケ、水泳、陸上など、体育で実施する他の種目は、どれも「体育以外」に触れる機会がある。しかし、現代社会では学校以外に跳び箱がある場所はほとんどなく、学校体育以降の人生で跳び箱運動を体験する人はまずいない。つまり、跳び箱運動は「学校体育にしかない種目」と考えている人が圧倒的に多いのだ。そのイメージによって「体育」から連想しやすいものになっていると思われる。
この2つの理由から考察する。体育における従来の跳び箱運動は好き嫌いがはっきりと二分し、なおかつ学校でしか体験しない種目である。これは、楽しんで好きになっても卒業後につながらず、嫌いになれば「体育そのもの」へのイメージが悪くなって運動離れにつながる、という生涯スポーツの実現への貢献度が極めて小さいものだとわかる。私はこのように考え、跳び箱運動の「新しい形」が至急必要であると感じ、今年度の実践で試行錯誤をした。本稿は、その検討プロセスと実践の結果を中心に記す。
1.従来の跳び箱運動は「体操競技」
体育で扱う種目は、必ずその先のスポーツに接続していなければならない。体育のバスケが楽しかったから中学ではバスケ部に入りたい、持久走で走る楽しさを味わったから休日にランニングをしたいというように、体育で体験した運動の「発展形」が世の中にスポーツとして存在している必要があるのだ。では、跳び箱運動を楽しんだ”先”にはどんな発展形が待っているのか。
広義な答えは、おそらく「体操」だろう。その体操も生涯スポーツの世界では①一般体操、②器械体操、③新体操、④トランポリン、⑤パルクールの5つに分けられているため、跳び箱運動は「②器械体操」に位置付けられると考えられる。さらにいえば、跳び箱のような「台」を跳び越える運動は体操競技では「跳馬」に相当するだろう。したがって、内村航平選手や橋本大輝選手などに代表されるオリンピック種目の体操競技が、跳び箱運動の究極な発展形としてイメージされているのだ。
逆にいえば、このイメージされている究極形の”簡易版”が体育の内容になっている。この跳馬種目(を含む体操競技)は、技の正確さ・美しさを競い合う競技である。試技の再現性が重視され、身体操作感覚のわずかな修正を何度も繰り返して「コツ」をつかむことを目指す。このような練習を通して「できないことをできるようにする」ことが目的となる運動である。体操競技の跳馬では、ひねりや回転などの複雑な技術が必要になるが、体育では開脚跳びや台上前転など「台の跳び越え方」をより簡易で単純な動きにしている。動きこそ簡易化されているが、技の正確さや・美しさを追求していくという目標設定は実際の体操競技と同じである。すなわち、従来のような跳び箱運動では、「できない」を「できる」に変えることを目指す圧倒的に技能偏重な体育になってしまっているのだ。
そこで、基にする究極形を「②器械体操」ではないものに変えたらどうだろうか。上述の体操の5分類のうち、障害物を越える要素をもつ種目がもう1つある。それが「⑤パルクール」である。パルクールは、フランスを中心としたヨーロッパ各国で盛んで、壁や段差など様々な障害物を生かして軽快にコースを駆け回るアーバンスポーツ種目である。決められたコースを進んでゴールまでのタイムを競う「スピードラン」と、コース内の障害物を自由に使いながら高度な技を繰り出す「フリースタイル」という2つのジャンルがある。
2.なぜパルクールに寄せるのか
パルクールと器械体操の最大の違いは、体操競技は技の再現性を重視する一方で、パルクールは技の即興性を重視するという点である。もっとわかりやすくいえば、体操競技では「障害物を正しい動きで跳び越える」ことが求められるが、パルクールでは「障害物の越え方は何でもいい」のである。この180度違う視点をもった運動を体育に導入したとき、きっと大きな変革が起こるのではないかと考えた。
従来の跳び箱運動の最大の問題点は「跳べるようにならないと楽しさを味わえない」という点だった。これが技能偏重であることを何よりも証明している。逆にいえば、技能偏重ではないとするのなら、「跳び箱を跳べなくても楽しさを味わえる」ようにしなくてはならない。そんなことは可能なのだろうか。
もう少し厳密に考えると、従来の技能偏重な跳び箱運動は「正しく」跳ぶことが要求されていた。すなわち、正確には「(開脚跳びを)跳べるようにならないと楽しさを味わえない」のであり、具体的な跳び方を指定されていたことが根本的な原因であったと考えられる。それならば、「障害物の越え方は何でもいい」とするパルクールは、従来の跳び箱運動の最大の問題点を解決できるはずである。
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