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「認める」という言葉に反感を抱いてしまう話


レインボーフェスタ2024

Pikmin Bloomとお散歩

実は大阪に居住しているたまこなのですが、梅田まで電車で出ておいでやす通り(中崎町から天満)を通って天神橋筋商店街でお買い物するお散歩コースがお気に入りです。ダイエットと健康のためにPikmin Bloomというピクミン版ポケモンGOみたいなアプリを始めてから積極的に歩くようになりました。
梅田→天満→天六と歩いて、また電車乗っておうちに帰ります。商店街に入ればアーケードの下を歩けるので日差しとか雨とかあんまり関係なくておすすめです。天神橋筋商店街は日本一長い商店街と言われていて、天神橋筋一丁目から天神橋筋7丁目まで3kmくらいあります。安い服屋さんとか生活用品のお店とか八百屋さんとかあって楽しいです。飲食店も多いです。現金オンリーのお店がまだまだあるのが玉にキズ。

10月26日(土) 偶然か運命か

さて話を戻しましょう。
お散歩経路の近くに扇町公園という公園があります。フードフェスとか小さなイベントをときどきやっていたり、レジャーシートを敷いてお話している人がいたりキャッチボールやバドミントンをやっている人がいたりと、なかなか雑多な公園です。
先週の土曜日、お散歩の途中でお腹が痛くなってカンテレ(扇町公園の隣にある)のお手洗いをお借りしようとして、何かイベントをやっているのが見えました。虹色のバルーンアーチが見えて「もしかして」と思いました。Ace Weekであることは知っていたので。
お腹を落ち着かせて行ってみると、レインボーフェスタという催しでした。

「すごい!運命だ!」と思いました笑
たぶんお腹痛くなってなかったら公園の方向に行ってなかった。
ちょっとドキドキドギマギしたのですが、興味深いブースが多くてすぐに好奇心が勝ちました。でもパネルを見たり展示を見たりしていてせっかく話しかけてくれたスタッフさんに対して「わたしは知りたい」けど「わたしには触れてほしくない」という気持ちがあって、「アッありがとうございますッ」て逃げちゃいました。ごめんなさい。
逃げたらなんだか情けなくて居心地が悪くなって、無性に泣きたい気持ちになって、頂いたパンフレットたちを持っておうちに帰りました。

しょぼくれて、ひとり

おうちに帰って、レインボーフェスタのパンフレットと頂いたリーフレットたちをじっくり読みました。
不意打ちで会場に行ってしまったので、前知識がなく気持ちの準備が出来ていないことも、心許なさに繋がったのだと思います。この催しは、どういう人たちがどんな思いでどういうことをしているのか、ということを知ることから始めました。元来の性格が無神経なので、そこに無知が加わったら人の柔らかい部分を傷付けてしまうのではないかと不安だったのです。加えて、クワロマンティック・デミセクシャルという自分の指向は心の柔らかい部分にあって、不用意には触れて欲しくないのだと再確認しました。自分から開示するのはいいんです。ここでも明け透けに書いてますし。でもこちらの準備ができるまで近付かないでほしい。わがままですね。
パンフレットを読み込んで、ホームページを拝見して思いました。「やっぱり行きたい。もう少ししっかり会場をまわりたい」
流石にその日もう一度行く元気のなかったわたしは、翌日に出直すことにしました。

10月27日(日) 満を持して

起きてお化粧をして、とりあえず選挙に行きました。朝8時。それから二度寝をして、お昼過ぎにおうちを出ました。梅田でランチをして歩いて扇町公園へ向かい、着いたのは14時30分くらいだったと思います。
15時過ぎから花*花さんのステージがあることを知っていて、それに合わせて向かう算段でした。

着いてまずはNPO法人にじいろ学校さんのブースを訪れました。前日は付近をうろうろしたけど商品を見ている人がいらしたので少し離れて見つめるだけでした。が!今日は買いたい物を決めています。アロマスペクトラムの猫ちゃんバッチです。

缶バッチと猫ちゃんバッチとお花

う〜んかわいい。当日はパーカーの紐につけてました。当日最後に風船を飛ばすイベント(?)があったのですが、風船を配ってくれていたスタッフさんが気付いてくれたのか緑色をくれてうれしかったです。

花*花さんライブ

そして楽しみにしていた花*花さんのライブ!
記憶力が弱めなので抜けがあったら申し訳なさ過ぎるのですが、セトリは以下の通りでした。

  • 乾杯のうた

  • ずっと一緒に

  • This Is Me

  • あ~よかった

乾杯のうたは「さあこれから会場一体で楽しい時間にするよ」というお二人のメッセージが伝わってくるような雰囲気でした。よく通る少し低めの声が耳に心地良い。

ずっと一緒には、花*花のお二人共通の同性カップルさんの結婚式で歌った曲だそうです。二人の優しい関係性が見える温かい曲でした。

This Is Me は言わずと知れた映画グレイテスト・ショーマンの劇中歌ですね。たまこはキアラ・セトルさんのワークショップの映像が好き過ぎて映画を見たという謎の入りをしています。映画もよかった。

あ〜よかったは花*花さんを代表する名曲ですね!生で聞いたときの迫力というか魂から震える感覚が素晴らしかったです。

"認める"に対する反感について

さて、そろそろタイトルの回収に参りたいと思います。
おうちでパンフレットを見ていたのですが、広告を出している企業さんが多数掲載されていて、そこにPR文章が書かれていました。そして、ある文言が小骨のように喉に引っかかりました。

"私たちの企業は多様性を認めています"

性別、宗教、セクシュアリティで差別しません。ということを伝えたいのだと思うんですけど、なんかこう、ズレてんなって思ってしまいました。
多様性という言葉が使われている時点でマジョリティとマイノリティの区別があって、マジョリティ優位が前提という意識があるように思えます。決して多様性という言葉が悪いとかそういうことが言いたいんじゃなくて、"多様性"と"認める"って相性悪いなっていう。煮物をあてにシャンパン飲むみたいな、それぞれはとても素晴らしいのに合わせ方変えたほうがお互い輝けるのでは?っていう。

そもそもなのですが、「別におまえらに認められたくねーし」って気持ちが強いです。認められなくてもわたしはわたし。知ってほしい分かってほしい人たちには自分から伝えるし、そういう人たちは「そっか、それがあなたなんだね」って言ってくれると思うけど、それは理解とか尊重であって、"認める"という発想にはならないと思うんです。そして、仲良いから距離が近いからといってわたしの全部を分かってほしいわけじゃないです。感性が似ているところでコミュニケーションがとれて楽しく過ごせたらそれで良いと思っています。活字が苦手な子とは映画を見に行けば楽しいし、アウトドアが苦手な子とは夜通しゲームすれば良い。セクシュアリティについてはセンシティブでより内面的な話だから、感性が似ていたりきっかけがあった子とだけしています。

わたしが自分の気持ちとか在り方を大切にして生きることについて、社会に対する特別な主張はないです。あえていうなら「干渉しないで」かな。
彼氏は? いい人いるの? 結婚は? こどもは?
放っておいてほしいなって思います。そもそもそんな興味ないくせに。「今日は良い天気だね」くらいのフランクさで心の柔らかいところに触ろうとしないでほしい。悪気がないのも、わたしが過敏なのも理解しています。でも嫌なものは嫌。

現在法的に婚姻関係を結べない同性カップルが「同性婚を認めて」と主張するのは当然だと思います。法律だもの。法改正が必要で、人や国を動かさないといけないから。
たまたま異性をパートナーとして選んだ人だけが婚姻関係というメリットを享受しているのも変な話ですよね。

言葉のニュアンス

ふと"認める"を辞書検索してみました。

みと・める【認める】
1 目にとめる。存在を知覚する。気づく。「人影を―・めた」「どこにも異常は―・められない」

2 見て、また考えて確かにそうだと判断する。「有罪と―・める」「頭がよいと―・める」

3 正しいとして、また、かまわないとして受け入れる。「自分の非を―・める」「試験に教科書の持ち込みを―・める」

4 能力があると判断する。「世に―・められる」

5 気をつけて見る。じっと見る。

デジタル大辞泉

おそらくパンフレットで使用されていたのは3のニュアンスですよね。

"正しい"または"構わない"として受け入れる。

随分と上からじゃありませんか、と思ってしまいました。多様性って正しい正しくないじゃないですよね。構うも構わないも、あなたのお気持ちなんて存じ上げません。みんな違ってみんな良い、でよろしいのではないか。別に「人を殺すと興奮するので無差別に殺人します!」って言っているわけじゃない。これがわたしだから、ってお葬式に真っ赤なミニスカートをはいて行くわけじゃない。社会や他者との関係性を重んじながら、自分が自分として、あるいは自分と大切な人が手を取り合って生きていきたいだけ。
「多様性を認めましょう」という四角張ったジェンダーやセクシュアリティの教育をするよりも、人はそれぞれ身体的特徴も体力も考え方も感じ方も好きなものも違って当たり前で、それはその人の大切なアイデンティティだから、自分と違うからと言って攻撃してはいけませんよ。同じように考えたり感じたりしなくて良いから、理解できなくても尊重し合っていきましょうね。という道徳教育のほうが重要に思います。
そもそも「人はそれぞれ違う個人である」という意識が念頭にあれば、多様性が存在することなんて当然なのですから。

広い視野と知識、そして余裕を持つこと

多様性を尊重することは、コミュニティが狭かったり知識が乏しかったり他者への興味が薄かったりすれば難しいと思います。
知らないことが多ければきっと世界は怖いところになるし、生き辛さは増してしまうでしょう。そうなると自分と違う"異端"は攻撃対象になってしまうことと思います。広い視野を持ち世界と広く関わることで、自分のことも他者のことも大切にできるんじゃないかと思います。あとは余裕を持つことかな。

わたしはキャパが低くて、すぐにいっぱいいっぱいになってしまうし、他人に優しくいられなくなる自覚があります。時間的・経済的・体力的・精神的な余裕を持つことで、在りたい自分でいることができる。
完璧を目指さないこと、ひとりでできない事は助けを乞うことも余裕を持つために気を付けています。30年以上生きていると、自分の得意なことと苦手なことが分かってきます。苦手なことが得意になれば良いけど、わたしは苦手なことが多いので、それを全て…となると負担が大きいです。なので"支障が出ない程度までできるようにする"か、"できなくても支障が出ないようにする"ようにしています。及第点取れたら偉いぞわたし。無理なら助けてもらおうね。って。

さいごに

認める認めないの世界線で生きることは、わたしにとってはしんどいことです。「あなたトトロっていうのね!」のメンタリティで生きていきたい。あなたはそうなんだね。ちなみにわたしはこんな感じでやらせてもらってまして…。仲良くやれそうならお近付きになりたいですし、馬が合わなそうでも付き合いが必須ならその場では円滑に関わっていたい。好きでも嫌いでも、他者に対する敬意や尊重する気持ちは持ち合わせていたいです。言うは易し…ですがね。

さてさて長くなりましたのでこの辺りで終わりにしようかな。
お昼間もだいぶと冷えるようになってきたので、皆さんお体にお気を付けて過ごして下さい。あなたの心に少しでも寄り添えていたら嬉しいです。それでは。

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