誠実であるということ
誠実な人がすき。
最近、よく耳にする言葉だ。
果たして、誠実さとはなんなのだろうか。
調べてみると誠実とは次のように定義されている。
私利私欲をまじえず、真心をもって人や物事に対すること。また、そのさま。
ここで、真心とは何かという疑問がわいてくる。同様に調べてみると以下のように定義付けられている。
他人のために尽くそうという純粋な気持ち。偽りや飾りのない心。誠意。
つまり、誠実であるということは簡単にいえば、
自分の利益や欲望にとらわれず、他人に尽くすという純粋な心をもって、人に接すること。
を意味することとなる。
誠実な人と軽々しくいいがちだが、非常に高い人間性が求められるものであるという結論に気づかされる。
そもそも、人間は私利私欲にまみれた動物であることは言うまでもない。その私利私欲を一旦どこかにおいといて人のために尽くすというのだから本当に人格者である。
ただ、互いが互いにつくすことによって生まれる誠実さであってもよいのかもしれないと思う。つまり、相手に求めるのではなくお互いがお互いを想うからうまれるものということだ。
誠実な人がいいと思うより、この人には誠実でありたいと想うこと。そして、相手もそうであること。そうすることで、大きな信頼になるのではないか。
誠実さを求めるなら自分も誠実であれ。