tama
恋愛ってなんだろう。 そんなフェーズになりつつある今日この頃。 はじめて会ったその瞬間に、なんとなく、あーこの人のこと好きになりそうだな。 そんな感覚がないと次に進めないタイプの私。 自分の直感を信じているわけではない。 ただ好きになれそうと1ミリでも思わないと好きになれない。 この感覚は人によって違うものなのだろうか。 人の本質をみていないのに何が分かるのだと言われたらそれまでだ。 恋とか愛とか、私には難しすぎて、すべてを放棄したくなる。楽しいはずのことが億劫に
マッチングアプリ、街コン、友人の紹介、出会いの活動に積極的に取り組む中でいくつかの気づきがある。 まず大前提に他人を好きになるのは難しい。 愛は技術だと唱える心理学者は多いがやはり愛の技術を使いたいと思える相手でないといけないことを悟りはじめている。 よくない男の人にひっかかりがちな私に対して、そこがだめなのだと指摘されるのは想定の範囲内である。自分でもいいところをみる努力はしてるつもりだ。 ただやっぱり2つの条件を満たさないと私には恋愛はできないらしい。 1つ目は
孤独な時間の埋め方は人それぞれだと思う。 友人と過ごしたり、趣味に没頭したり、仕事に全力で取り組んだり、何かをして孤独を埋めることができるならそれは生きやすさにつながるのかもしれない。 私は孤独を埋める術がわかっていない。何かをしていても孤独という感情がマイナスなものとして自分の中に在り続けるのだ。 そもそも孤独は埋めなければならないものなのだろか。この問いに対して今の私はイエスという答えしかもっていない。孤独という感情を感じると息苦しくていられないからだ。 ひとりは自
そもそも夜の関係になったのは彼の人間性を信じ、心を許してしまったことがきっかけだ。 最初はある種自分にとっても都合のいい相手だった。それがマイナスな感情になってしまった理由を考えてみた。 1.自分の価値が下がったと感じだから もともと私はそういうことは好きな人としかしないと強い意思をもってきめていた。昔から男の人の下心を感じるのが苦手だった。下心を感じるときちんとみてもらえていない気がするからだ。やれる女と好きな女は全然違うとはよくいったもので、自分が前者であると思われる
合コンで出会った彼と夜の関係をもってしまった。どう考えても正常でないこの関係性に終止符を打つ勇気がでない。 そもそもわたしはそういう関係に対して前向きではないタイプの人間だ。人によっては楽しんで自ら選択することもあると思うが、やはりわたしは違ったようだ。 彼と別れたあと、自分の中に残ったのは罪悪感だけだった。 この罪悪感が何に対するものかという問いに答えるのはむずかしい。ただ1つ言えるのはあまりにも綺麗に生きてきすぎたということだろうか。 どこか自分を大切にできていな
わたしはどうにも恋愛体質らしい。 恋愛をしていると頭の中はそれでいっぱいになる。 相手が何を考えているのか、自分のことを好いてくれているのか、相手の感情を読みとろうと考えを巡らせる。 こういう体質だと自分の中で恋愛が安定しているときはハッピーな気持ちだけで満たされるので特に何の問題もない。 ただ、相手の感情の中にゆらぎを感じると瞬く間に不安が襲いかかることとなる。 この体質と向き合うために、ネットや本などを漁るとだいたい想定していることが書かれている。 その中で私が
25歳という節目の年を迎え、 自分は何を思うだろうか。 そんなことを思いながら過ごした1年だったが いざ迎えてみれば感情や人生観に大きな変化はない。 人生とは何か という問いは日々の労働により考えることすらなくなり どう生きようか ということもなんとなく考えることを避けるようになった 何か自分にしかできないことがあるかもしれない という想いは錯覚だと思うことで気持ちを鎮め 今目の前のことを必死にこなそう という気持ちだけを大きくしている 何者かになる必要はないのだ と
正論の説教を浴びた。 どう考えても自分に非がある。 なのにどうしても認めたくなくて 言い訳を探す。 時間の無駄だと分かりながら 反省しながら ただ、ただ、言い訳を探す。
わたしは絵が下手だ 絵しりとりをすると必ず笑いがおこる 自然な笑い? 馬鹿にした笑い? そんなのはどうでもいい みんなが笑っている わたしの絵をみて笑っている それだけで十分なのだ
どんなにキラキラしてるあの人も 綺麗でなんでも持ってるあの人も お金持ちで自由にみえるあの人も みんなきっと 悩んだり苦しんだりしてることがある 悩むことは決して悪いことじゃなくて むしろみんなに存在する試練のようなもので ただそうわかっていても 希望がもてないときもある 希望がもてないとき 人に話を聞いてもらおう それでももてないとき 朝早く起きて太陽を浴びて お散歩をして小さな生命と触れ合おう 生きる意味を考えるんじゃない 小さな美しい情景や今ここに在る幸せ
世の中はこんなにも愛で溢れているのになぁ
コロナによって大きく変わった生活や仕事。 この変化も当たり前となり、慣れたように感じる今日この頃。 しかし、心だけがどうにも落ち着かない。 このふわふわとした気持ちが漠然とした不安や孤独感からきているものであることに最近やっと気づいた。 転勤により、慣れない場所での生活をはじめて約1年半が経つが友人や家族に頻繁に会っていた半年前と今では精神状態がまるで違うように思う。 人とのつながりを感じられる瞬間が極端に少ないのだ。 私にとって人とのつながりは何よりも大切なものだ。
人生とはなんなのでしょう。 毎日、 起きて、 ご飯をたべ、 働き、 勉強し、 遊び、 お風呂に入って、 寝て、 起きて を繰り返し 少しずつ成長してきました。 ただ、ふとした瞬間に私は何のために生きているのだろうかという疑問に至ります。 生きていれば 楽しいことも つらいことも 幸せなことも 不幸なことも 経験します。 いろんなことを経験します。 しかし、この経験は何になるのだろう。 とふと疑問に思うのです。 日々を穏やかにすごせる感謝の気持ちは常にあります。 ただ
負けず嫌いを自分の中で完結させようとするのは危険だ。 誰かとの比較で負けたくないとなるならよいが、自分の中での理想の自分となると際限がなくなる。 ある意味大事なことではある。 人と比較しすぎるとつまらなくなる。 ただ、あまりにストイックになると自分の保ち方がわからなくなる。 保てなくなるくらいなら、他者との比較し勝ちたいた思った方がよい。
好きだから苦しいのだ 好きで好きで頭から離れなくて 休めなくなる だから辛いのだ
みんな人間なんだって たくさんの悩みや葛藤を抱えて 戦いながら生きてる 生きるって幸せなことだけど 辛いこともたくさんある 生きてる意味がわからなくなったりするけど ふとした楽しくて幸せな時間が意味をもたらしてくれたりする 今日も生きてる 幸せなこと、偉いこと、認めてあげよ