卵で産みたい。
「つわりはしんどい。」
情報として、知ってはいた。
本や映画でそれらの描写は度々見てきたし、大好きな作家さんや友人が、妊娠当時のことを書いた血の通った文章だって読んできたから。
それらを読みながら、
「わあ、妊婦さんって大変なんだなあ。」
「ずっと吐き気なんて、気の毒だなあ。」
だなんて、その辛さに共感していたつもりだったけど今なら分かる。ちっともわたしは分かってなんかいなかった。
実際に自分の身体で起こって初めて、その辛さが本当に分かるのだと痛感することになる。
5週目に初めてのつわりを感じ、お、案外こんなものか、と思っていたわたしが甘かった。
前は空腹にさえならなければ、普段通り元気に過ごせていたものの、今は空腹になったら気持ち悪いのは勿論、今は食べても何か気持ち悪い。
実際に吐く、までは至らないもののずっとひどい車酔いみたいな感じ。
あと、口の中が常になんだか苦い。
もう本当に至極不快、という言葉に尽きる。
小学校の先生というお仕事柄、もちろんリモートや時短勤務なんてないから、毎朝電車に乗ってかろうじて働いてはいるものの、家に帰るともう本当に何もしたくない。
大好きだった文章を書くことも、本を読むことも、ジムに行くことも何もしたくない。
否、出来ない。ジムにいたっては1ヶ月ほぼ行けず、もったいないので解約することにした。
以前は、月曜はジムとnote、火曜は振り返りと読書、水曜は…と、どんなに仕事が忙しかろうが、意識的に自分の時間をとっていた。
そうすることが、何よりも自分の心の安寧に繋がっていたから。
しかし、しんどいときに唯一出来るのは、だらだらと毒にも薬にもならないような動画やSNSを流し見することくらいになった。
特に、最近流行りの猫ミームなんか頭空っぽで見れるから良い。
けれど、今この感情をそのまま残しておきたいので、体調が穏やかなときは楽な姿勢でぽちぽち、ちまちまとnoteに今の気持ちを書いている。
妊婦さんの中には、特定のもの以外何も食べられない方もいる。
ずっと横になっていなければしんどい方もいる。
妊娠悪阻と呼ばれる、水さえも受け付けず
吐いてしまうような症状に陥る方もいる。
それに比べると、食べものの好みは変化したものの、大体何でも食べられて、なんとか働けるわたしのつわりはマシな方だと思う。(今のところだけど)
しかし、まだマシで良かった〜とはならず、しんどいものはしんどいし、代わってもらえるものなら、代わって欲しい。
なんで、これだけ医学が発達した現代、つわりの症状を軽くする薬が開発されていないんだろう。
夜、夫に背中をさすってもらいながら、
「卵、わたし卵で産みたい。ペンギンみたいに、交代ばんこで温めたい。○○(夫の名)がリモートのときは、任せられるしさあ。」
とうめいた。すると
「そうなるとさ、まりさんはその卵どこかに置き忘れたり、うっかり潰しちゃったりすると思うよ。」
なんて、現実的なんだか非現実的なんだかよく分からない返しをされた。
…ひ、否定出来ないな。
うわっ手が滑った!びちゃ、と無惨に弾ける卵。取り返しのつかないミスに対する絶望。
うーん、それはそれで恐ろしいか。
仕方ない、これも哺乳類に生まれてきた定め。
しょうがないから、哺乳類ならではの苦しみを味わうしかない。
(というか、人間以外つわりってあるんだろうか。)
出産した友人、職場のママさん先生たち、
そしてすれ違うお子さん連れのママさんに、
あの人もあの人も「つわり」を経験してきたんだなあ、えらい…と尊敬の念を感じるようになった。
あとは、ひたすらに流産が怖い。
友人や職場の同僚など、周りで流産してしまった話を幾度か聞いている。
(幸いみなさん今は、授かったり出産したりしている。)
流産は、全妊娠の15%と決してその確率は低いとはいえない。
とすると、今わたしの中にいるらしいお腹の命は、無事に産まれてくる保障なんてどこにもない。なんて儚く脆い存在なんだろう。
出産は奇跡です。
そんな言葉を以前のわたしなら、出産は尊いことだけど、どこかその言葉にちょっと大袈裟だなと感じていたと思う。
妊娠し、すくすくと育ち、そして母子共に健康で出産する。今なら分かる。それは奇跡だ、奇跡以外なにものでもない。
心拍を確認できた日、いろんな人やSNS、大切な人がたくさんいるこのnoteでも、授かった喜びを言いたくて仕方ない衝動に駆られた。
しかし、実際には伝えたのは、職場の管理職、体調不良があれば迷惑をかけることになる学年団の先生、直接会った友人や、仲の良い友人だけ。
この小さな命が無事大きくなる保証なんてどこにもないから、結局のところ言えないのだ。
ちなみに、悩んだけれどまだ親にも言っていない。わたしの母は、かなりの心配性であると同時に、前にちらりと友人が流産してしまったことを話したときに、
「不摂生してたんちゃうの?」
あんたは、そうならんように気をつけや。」
と言ってきた。
初期の流産は胎児の遺伝子上の問題だから、母体の行動が問題ではなかったことを、丁寧に伝えたけれど、あまり伝わっていなかったように思った。
もしものことがあったときに、肉親である母に上記のようなことを言われたらきっとわたしは激しく傷付く。
母には、流産の確率が高い内は言わないでおこう、そのときそう心に決めた。
しかし、顔を合わせるたびに
「〇〇さんとこ、赤ちゃん産まれたらしいよ。」
「ああ、わたしも早く可愛い赤ちゃん、抱っこしたいなあ。」
なんて、時折こちらがうんざりするくらいの
孫ハラ(笑)をかましてきている母なので、きっと授かったことを知ったら大喜びしてくれるに違いない。
父からは、孫ハラは受けたことはないがきっとにこにこしながら喜んでくれるはず…!
ああ、早く時が過ぎて「安定期」と呼ばれる期間に入って欲しい。
安定期に入ったら、入ったできっとまた違うトラブルがあるのだろうけど、安定期っていう言葉自体がなんだか頼もしいんだよなあ。
…*……*……*……
今はようやく安定期に入っており、昨日23週目を迎えました!
こちらは、9週目のときに書いたnoteでございます〜。
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